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「“ごめんね”って言わなくなったね」。笑顔になれる魔法がかかった。

岸田家の住む団地に、祖母と一緒に地元から引っ越してきたわぶちゃんと富士子、補欠争い組のケンタと市川みね。

住んでる階が違うだけで、いつでも会いに行ける、っていいなぁ、憧れだなぁ、って思ったし
わたしにもそんな仲間がほしい。

わたしがちょっと、ほんの少しでも相手に優しくしようとして気をつけていても

向こうからくれる優しさをわたしが「いらん」と突っ返してしまうことも何度もあったから「親友」とやらに出会えなかったのもまた事実。

だから、ドラマのなかだけでも
わぶちゃんやケンタ、サチは
仲良しトリオでいてほしいなと思ったし、

友達であっても、家族であっても、
誰に対しても「ごめんね」「わたしがもっとあれできてたら」とかいう申し訳なさみたいなものを抱く瞬間ってあると思うんだ。

特に、車椅子ユーザーのサチのお母さんは
毎日ファミレスに出勤するサチを見送るときに必ず「いってらっしゃい、ありがとう、ごめんね、(わたしの代わりに働いてくれて)ありがとう」と何度もサチに伝えてた。

「わたしがサチの代わりに働きにいけたらよかったのにね」なんて、言葉の裏側を隠してさ。

ここまで書いてきて、ふと、思った。
あれぇ、何か…思ってたこと前と似てる?

……やっぱり、感じてることは環状線。
巡り巡って帰ってくるんだ。
いつか書いた記事が誰かに読まれて発掘されて、またそこから誰かにシェアされるように
思いも一緒だと、わたしは勝手に感じている。

これは実話だけど、おばあちゃんも必ず、「ありがとう」の代わりに「ごめんな」を使ってた。
「何もしてやれることがなくてごめんな」と。

別に何かがほしくてそこに行ってるんじゃないのに、わたし達が来ると必ず持って帰れるお菓子やらドリンクやらを探してくれるし、それはそれで嬉しいけど「……わたしはものを貰いにきてるんじゃないで」と言いたくなるときだって、ある。

けどその「ありがとう」の伝え方がわからないだけで、邦子も一緒なんじゃないかな、なんてちょっと思った。

サチが出勤間際に発した
「お母さん、“ごめんね”って言わなくなったよね」。

一見普通の台詞に思えるけど、ここでわたしは自分ごと化してしまったんだ。

わたしもできることやできないことが多くあって、その度に「ごめんね」「申し訳ない」って気持ちになることある。 

でも、サチはそんなお母さんの気持ちを全部わかってて…「今までわたし、その言葉言われるの嫌だったからお母さんにその言葉かけられても頷いてなかった」とやっと伝えることができたんだ。

その日はサチが、お母さんをひとり残して出ていくことを「ごめんね」がない分ほっとした顔で「行ってきます」を邦子に伝えることができたんだと思う。

車椅子生活を送っていて、自宅から出ることが難しい邦子の側にも、わぶちゃんのおばあちゃん、富士子がいてくれているし、富士子お気に入りのみねもふたりの「息子」みたいに大切にされていることが伝わってきたよ。

ひとりにされないために
ひとり誰かを置き去りにしないために

理想像かもしれないけど
夢みたいな
幸せボケみたいな話かもしれなくても
大切にされあっている感覚が心地よくて
現実にも「団地組」みたいな場所や安心感が味わえるところが増えたらいいな。

あー、これ絶対ドラマロスになるやつだ……
書きながら思った。

でも
それは今置いといて
「ごめんね」を大量に使うことのない世界が
あるとわたし達も少し、生きやすくなるのかな。
そんなこと考える夕暮れ。

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#樋口若葉 #野田翔子 #岸田サチ
#変化 #ケンタ #抱えてるもの手放そう





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