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育ちがいい人だけが話しているおいし~1/8000のレクサスに乗った話~

 頑張って苦労をして、手にしたものは一生の宝物になる。受験、就活、恋愛、高価な物……頑張れば頑張る程、達成したときの喜びもひとしお。

 一方、幾重もの偶然が重なり、ふわりと手にした幸せもある。「お金を払っていないのに? いいんですか?」と100回は心の中で叫んで、「ありがとうございました」と20回以上お礼を言って受け取るギフト。私はそれを出世払いギフトと呼んでいる。忘れないよう、大切に書き留めておこう。

 ジュエリーブランドの展示会に友達から誘われた。私自身はブランドに疎く、アクセサリーでさえもめったに付けない。ただ、キラキラしたものを見るのは好きなので、ガラスの美術館や万華鏡美術館は好んで行っていた。
 なんとなくショーケースを眺めるだけなのかな~と軽い気持ちで赴いたらそこはセレブたちのテーマパークだった。

 受付を済ませた私たちはブラックライトで照らされた薄暗い廊下を通る。しんと静まった廊下に靴音だけが響く。紫色の光が怪しさに満ちていた。薄暗い部屋のギャンブルと怪しい取引、その奥に隠されたジュエリー……いや、まさか。そんな展示場は斬新すぎる。
「なにここ? この先に何があるの?」前を歩く係員に隠れて、友達にジェスチャーで伝える。「私もわからない」と返され、ちょっと不安になる。
 エレベーターに乗り込んだときには、ホテルハイタワーの最上階から落とされるアトラクションが頭をよぎった。

 エレベーターの扉が開くと、群青色の入口。ブランドのロゴと白いティアラが飾ってある。ああ、よかった。全然怖くない場所だ。

 案内人に導かれて、ジュエリーを1点1点、丁寧に紹介していただく。ゴールド、グリーン、ライトブルーなど、キラキラが満遍なくあしらわれていて、光のしずくたちが、幸せをふりまいている。ここでは「宝石」とは言わず、「おいし(お石)」と呼ぶ。育ちがいい人だけが知っている辞典に上書きをしたい「おいし」。頑張って背伸びをして「ピンクのおいしが可愛いですね」と言った私の声は震えていた。

 ひとしきり紹介を受けた後、個室に通される。「何か気に入ったものがあればお持ちしますよ」と言われても、ネックレスよりも先に浮かぶのは、そのお値段。老後資金として貯蓄をしようとしている目標額を身につけるなんて、とてもとても。「せっかくだから何かつけてみなよ」と友達に勧められて「では、展示してあるやつでなくてもいいので、何か似合いそうなものを……」とお願いした。

 待っている間にシャンパンが振る舞われ「今日はありがとう」と友達と乾杯した。去年はデルヴォーのニューヨーク5番街店で「あたたかいティーかコーヒーはいかがですか?」と店員から声をかけられ、びびって店を後にしたのに。友達がいるって無敵だ。
 試着させてもらったペンダントは、4ヶ月分のお給料ぐらい。上品なおいしを着けた私は、自分でもびっくりするくらい綺麗だった。どこへでも行けるし、なんだってできる。そんな勇気が湧いてくるキラキラだった。

 ノベルティをもらい、すっかり堪能した私たちはブラックライトの照明を通って外へ出た。タクシーが1台止まっている。白い手袋をした運転手さんが、ドアを開けてくれた。
 このタクシー、普段乗っているのと違う。だって、床はふさふさの絨毯だし、シートはすべてアイボリー1色。手すりの硬い部分はべっこう色でつやつやしている。
「料金はいただいています」と運転手さんが言うので、展示場の最寄り駅を伝えてから「ちょっとこの車、いつも乗ってるのと違うんですけど?」「なんか高級感あるね。そういう仕様なのかな?」とジェスチャーでやりあう。

 駅が近づいてきたとき、もう一度運転手さんは「料金はいただいているのでどこでも行きますよ」と言った。

「ええ。なので、そこの駅へ」と同じやり取りに違和感を感じた。

「どこでもいいんです。たとえば、次の行き先とか、ご自宅とか。そういう目的で使われていますよ、みなさま」

 初めて理解した。駅までの料金ではなく、次の目的地までの料金を、私たちは支払ってもらっていたのだ。
「じゃあ、例えばなんですけど、彼女の帰り道の沿線上に、私の目的地があるので、両方送っていただいてもいいですか?」と友達は提案をした。
「いや、いいよ。私の家って、ここからだいぶ遠いし、電車で1本だし」と遠慮しても、「いいですよ。そのための車ですから」と当然のように運転手さんは言った。

「今日は来てくれてありがとう。またね」

 友達が降りたあとの1時間30分、終電を逃しても漫喫に駆け込む私は、人生で一番長いタクシードライブをすることになった。

「このタクシー、いつも乗っているのと違うんですけど、送迎用の特別車なんですか?」
「いや、たまたまあの辺りを走っていて、呼ばれたから行ったんですよ。私の会社は8000台タクシーがあるんですけど、その中のたった1台のレクサスです」
 正直、車の種類なんてまるで知らなかったのに、一瞬にして自分が今乗っているのはタクシー界の最高級車だと判明する。ちなみにその次のランクは7/8000のクラウンらしい。車のランクも、乗り心地も想像はつかない。30年間こつこつ溜めていた運を一気に使い果たした気分だ。

「レクサスを運転できるってことは運転手さん、すごい人ですか?」
「どうやったらレクサス運転できるようになるんですか?」
「ここから私の家までかなりあるんですけど、走行距離は長い方ですか?」
「例えば、庶民の私が乗っても、セレブな方が乗っても、メーター料金は変わらないと思うのですが、どうやって売り上げを伸ばすんですか?」


 取材か!と自分でも突っ込みたくなるくらい質問を飛ばして、逆に私の仕事の話もして、記念に名刺交換までさせていただいた。

 どんな突拍子もない発言でも、運転手さんは笑って答えてくれた。

 タクシーから降りるとき「これで運が尽きたのではなく、この車に乗ったから、もっと人生にいいことがありますよ」と言って、レクサスは去った。完璧なおもてなし、サービスを私は体験したのだった。1日だけのシンデレラになった私は、キラキラの気持ちいっぱいで家へ帰った。

 出世したら、ちゃんとお金を払って手に入れるから、待ってて。

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