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心の逃げ場所

高校3年生の春、あるバンドと出会った。
挫・人間だ。
初めて聴いた時の感想はただ一つ、怖い。確か聴いたのは『人類』だったはず。当時まろやかリンゴ酢のCMで歌ってた人だとわかってギャップにビビりまくったのも覚えてる。そっからひと通りマスダポドさんとのコラボなんかもYouTubeで観てほえ〜こんな世界もあるんだなぁと思っていた。
そこから数ヶ月後、気づけば唯一近所のゲオにあった『テレポートミュージック』を借り、すり減るほど聴き、『非現実派宣言』のリリースを心待ちにしていた。受験期真っ只中の私はライブになんか行けるわけもなくてただリリースだけを楽しみに生きていた。ちょうど時期を同じくして、英語の試験と面接だけという推薦入試の話が舞い込んだ。自己肯定力皆無の私はその話に迷ったが、普通入試なら受かるかわからない高いハードルだったからとりあえず乗ってみた。するとどうだろう、今まで細々と生きてきた私の学生生活は脆く崩れ、嫉妬の念に取り憑かれた“友人モドキ”たちに叩かれる毎日。クソ喰らえと思いながらも負けて休んだ日もいくつか。

(ここまで書いてはや1年、続きを書こうと思う)

(と書きながら約2年放置した…今日はライブを観に行った。気持ちで書ききる。)

叩かれる日々からの逃げ道を作ってくれたのはやはり挫・人間の曲の数々だった。くそみたいな学校帰り、自転車を漕ぎながら口ずさんだゲームボーイズメモリー。いつかこの日々を懐かしむ日が来てくれるのかなと祈りにも似た気持ちで歌った。

時は流れ大学。順風満帆な大学生活を謳歌していた2年生。
とうとう初めて挫・人間を実際に観られる日が訪れた。2年前の5月26日だ。奇しくも成人式の前撮りの日とインストアライブの日が被ってしまった。前撮り用の濃い化粧とがちがちヘアメイクのまま車に飛び乗り、母に駅まで送ってもらった。着いた頃にはインストアライブは終わり、特典のサインの時間も終わり、チェキの時間であった。途方に暮れていたところ、お姉さんが話しかけてくれた。アベくんと夏目くん、そしてスタッフさんに話をしてくれて、全員のチェキが終わったタイミングでメンバー全員がCDにサインをしてくれたのだ。事情を話すと彼らは「成人おめでとう!」と声をかけてくれ、私は吃る他なかった。その後タワレコ内をいつも通り徘徊していたら彼らは販促で写真を撮りに来ていた。ストーカー紛いだと思われるのは嫌だったので、ササっと他のコーナーに逃げたが、なんとエレベーターホールでまた出くわしてしまう。おまけに閉まりかけのエレベーターを下川くんが慌てて開いてまで乗せてくださるワクドキ恐怖体験。申し訳なさで気が狂いかけた。

そんなイベントから数日し、順風満帆だった大学生活に陰りが…
大好きな音楽も聴けない摂食障害紛い人間になってしまったタイミングで、またも挫・人間の助け舟が。
6/22、挫・人間初めての名古屋ワンマン公演の日だ。遠征はしない主義の私がいよいよ初めて彼らの演奏を目の当たりにする日。
幸運にも最前列アベくん側、練習してきた振りも完璧に踊り、全身で音楽を楽しんだ。人間不合格だった私を人間合格させてくれたのは紛れもなく彼らだった。アンコールでステージに飾ってあった花のアレンジをホールに投げた下川くん。拾ったグラスペディアを大切に持ち帰り、ドライフラワーにした。2年以上経った今日も部屋に飾られているのです。

それからは辛いことがあったら心の中で
「下川くんへ、」と手紙を書くという精神安定法を編み出しなんとか生きながらえていた。
実際にこれは効果があるので、是非。

次にお会いしたのは、OSジャンクション発売記念インストアライブ。ロックバンドらしからぬ楽器を持たないライブに唖然とし、クリスマスツリーを横目に、大通りを行き交う人の目も気にせず、全力で⭐︎君⭐︎と⭐︎メ⭐︎タ⭐︎モ⭐︎ル⭐︎を踊ったのはいい思い出です。
(※ヘッダー部分の写真はこの時のサインCD。この時続きを書こうとしたと推測)
おっと、忘れてはならない。この1週間前に中野サンプラザであったOKAMOTO'Sのライブ終わりに下川くんに遭遇したのだった。なんの血の迷いか、感情が高ぶり声をかけてしまったのだ。その事を確かインストアライブの時に伝えて、覚えていてくださった様な…記憶が曖昧な上にオタクフィルターがかかっている可能性がある…

西暦は変わり、1/21に2度目のワンマンライブ。前回は恥じらいからできなかったヘドバンを見様見真似で挑戦した。それがもうなんとも楽しかった…病み上がりライブでした。

それから数ヵ月後、自分の人生を大きく左右する事件が起きる。
その時すがる想いで聴き続けたのが『笑いあうために』

今までの生き方と 真逆のことをしてみれば
怖いのは仕方ないんだよ きっと
しあわせなとき僕たちは弱いから

いつ聴き返しても克明にあのときの香りや心情が思い出される。あの時も今も、
これまでのすべてを良かったと言っておくれ
と心で叫んでいる。いつの間にか、憎んでいたあれやこれやと笑いあっている。不思議だな。

留学中に発表された、『ブラクラ』。とりあえずスペインから自宅宛に初回CDを注文しておいた。ツアーは留学期間と重なっていたので、諦めて新曲だけをただだ楽しみにしていた。『一生のお願い』からの『ソモサン・セッパ』のMV公開があまりにも衝撃的すぎて、この2曲を繰り返し聴いていた。
文明の利器に囲まれた世界では、地球の裏側でも最新アルバムは聴けてしまうのだ。ありがとうAppleMusic。ありがとうインターネット。

そんな矢先のコロナ。人生が無茶苦茶に壊されたそんな孤独で絶望のなかの『マジメと云う』。幾度となくこの曲を聴いて泣いた。いろんな思い出がフラッシュバックして頭も心もくしゃくしゃだった。

ぼくらいつだって報われないけど
さみしさだけはわかったから
同じ痛みと涙たどって
ぼくら必ずめぐりあえる
そうだろ?

言葉の優しさに死んじゃうかと思った。これからも幾度となく救われるのだろうな、この曲に…。

辛いことは重なるのです。
外出禁止令が発令された街に取り残された私が起床して目にしたのは【アベマコトからのお知らせ】の文字。脱退。ツアーに参加できない私はもう一生“挫・人間のアベマコト”が観られないのかと愕然とした。誕生日前日の出来事。

その1週間後日本に緊急帰国したが、自粛自粛に、つづく自粛で心が死んでいた。しかしクソみたいな事しか起きないこの世の中でもひとつだけ楽しみにできることがあった。延期になったツアーの名古屋公演に参加できるかもしれないという一筋の光。

それが今日のライブ。

実に1年以上ぶりのライブハウス、しかし慣れたダイホが万全の感染対策が施された状態に。頼もしかった。検温に除菌、ソーシャルディスタンスの保たれた声の出せない着座ライブ。不思議というか世界線間違えた?といった雰囲気。しかも生で見られる最後の“挫・人間のアベマコト”。情報量と感情の波でおかしくなりそうだった。でも、やっぱり心の底から嬉しかったし、楽しかったし、これからも楽しい日々を心待ちにしながら生きたいなって思った…誰が最後のまこまこりんコールがエアになる未来を予想できたのでしょう…
そういえば、アイラブユー!って指ハート、やっぱり照れちゃって出来なかったや…

不要不急がわたしには必要なんです。
そう強く感じたのでした。

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と、4年と数ヶ月の思い出を初めて字に起こしてみました。今後のライブ、私の定位置は舞台左手じゃ無くなるのかな…?

これからもずっと大好き挫・人間。


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