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時代劇 十六夜顕現 火炎主

時代劇  十六夜顕現 火炎主
    (いざよいにあらわるかえんのドミネ)
               作:高星七子

それは波理洲是方(ばりすのこれかた)八百七十三年。
星々の光も冷たき時節、月の齢十五の夜であった。
勒攻来武ノ介一郎(ろくはら・くらいぶのすけいちろう)は賛振句国(ザンブレクこく)と駝路目鬼乃国(だるめきのくに)の境、その宿場にある鳥馬屋に寝起きしている。

かの日も冴えざえとした月が雲ひとつない夜空に浮かんでいた。
元服ののち初の大役を果たした珍来武ノ介には銀の星々を
纏ったかのような月が殊のほか美しく思われた。

この月を慈琉姫(じるひめ)も見ているだろうか。
どの家に嫁がせるかと勤原の家と姫の生家で会合が持たれたことを知り、”いやなものは断ればよい。いつなんどきであろうともこの玖来武ノ介が助ける”とどれほど言いたかったか。
慈琉姫はこの心を知っているのか。優しく励ましてくれる、あの温かな笑い顔を曇らせたくない。せめてこの自分の想いが伝わっていればと願った。

広間では見事に藻の怪物を倒したことを口々に皆めそやす家臣たち。心底から誇らしく思ってくれているらしいのは判ったが、気恥ずかしさの方が上回っていたたまれぬ。
酔った振りで宴の席を抜け出すと、弟も子狼を連れて砦の裏庭に現れた。親を亡くして彷徨っていたものを太守である父が連れ帰り、玖来武ノ介と弟に与えたのだ。

金の髪も麗しく利発だが病がちな弟・序朱亜之丈と頑健な
身体に生まれながら朱雀を宿さず弟にその役目を負わせて
しまっている兄、それが玖来武ノ介である。
あまり似ていない兄弟ではあるが、賑やかさより静けさを好むのは同じであった。
姿形よりも心の有り様が似ているのかも知れぬ。
いいや似ていた、のだろう。

この異国、贅振令句と駝路目鬼乃国の境一ー小さな宿場の
鳥馬屋で、ただ灯明の火を見つめるだに脳裏にまざまざと
甦るのは、朱雀と聞う赤黒い獣の姿だ。
あれは獣の姿をした魔神と呼ぶに相応しく、焼け焦げた肌の隙間から身体の内に燃える炎が覗いていた。
牙の生えた口腔の中からも炎が吹きださんばかりに燃えており、外側の焦げた肌、獣の頭や角、鋭い爪が中の炎にかろうじて型を与えているかのようでもあった。

(あれは誰が喚んだのか)

同じ火の獣が朱雀の他にもいるとは聞いたことがない。
玖来武ノ介にあるのは、弟から分け与えられた朱雀の祝福だけだ。

(あの火炎のドミネを探し、仇を討つまでは)

それまでは死ぬることはかなわぬ。
どれほどに罪が重くとも、死して逃げることは赦されぬ。
玖来武ノ介は自身が赦せぬのであった。

遠い昔に帰り、嘆きに沈もうとする玖来武ノ介の耳に
下方で関貫の開く音が聞こえた。
乱暴な足の運びで二階へと昇ってくる者がある。この僅かに脚を引き摺る癖のある足音には聞き覚えがあった。厭な予感に畳の上の刀を手探りで確かめる。

(賛振句の辺安羅兵が鳥馬屋に雇われるとは、何が起こっている?)

相手が仕掛けて来るのならば斬り合う外はない。玖来武ノ介はそうと心算すると、何ごともなかったように盃を口へ運んだ。


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