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メレキー・カルファ〜後宮女官物語〜2

 あのとき、白薔薇の園で見たイスケンデルの暗い瞳。いつもメレキーを子供扱いする時とは別人のようだった。たったいま処刑された兵士の、閉じられることのない虚空を見る目がそこにあった。
うっそりと一礼して去った彼をキョセム妃は気づきもせずに____
いや、気にもとめずにムラトを「我が獅子」と呼んで抱き上げ頬に口づけする。
(気の毒なイスケンデル殿……かわいそうなメレキー)
 キョセム妃のお気に入り女官として特別に与えられた部屋は、キョセム妃の居室とごく近くにある。女主人の召し出しに瞬く間に応えられるように、また皇子皇女たちの話し相手としていつも近くにいるようにと心配りされたものだ。
 メレキーはその柔らかな絹の寝具と天鵞絨のクッションに囲まれていながら、眠れないでいた。朝からキョセム妃の着替えを手伝い、皇子たちの勉強の道具を揃え、昼は女官長に言い付けられた細々とした用事を済ませる。夕方には学舎から帰るムラト皇子を迎えに行き、広大な宮殿の庭を彷徨った。脚は棒になりミシミシと音を立てるようなのに、眠気は少しも訪れない。
窓の外には中天にのぼる青い月が輝いている。
街に暮らしていたときと何一つ変わらない月だ。
その青白い光で見る鏡の中からは、乱れた金髪の不満気に口を尖らせた少女がこちらを睨みつけている。
(お前は何様なの、メレキー。ちっぽけな子供のくせにお妃様に嫉妬するなんて)
大人たちは「これは子供には聞かせられない」といってメレキーには話してくれないことがある。いつもそれが悔しくてイライラしていたけれど、宦官長や女官長は正しかったのだ。
(みんなは、わたしがイスケンデル殿に憧れていると知っていて言わなかったのね)
「ヤサク!」
 メレキーは天鵞絨のクッションをどこにともなく投げつけた。クッションは力なく壁にぶつかって落ちる。
(情けない、やきもちを焼くだけで他にできることはないの?)
 メレキーは気づかないでいたが、この「ヤサク」と吐き捨てるように言うのは思い通りに行かなかったときのキョセム妃の口癖である。女主人であるキョセム妃は、母を失ったメレキーにとって第二の母同然の存在だった。
                               

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