熱狂する人たち

パンデミックが始まり、収束するように見えたり、また新たな波が来たり。
そのほかにも、BLMがあったり、ワクチン問題があったり、アフガニスタン問題があったり。そこには、いつも『熱狂する人たち』がいる。そう、心と感情と言う理性に突き動かされる人たち。人は想像上のものにも価値を見出し、それを情報や貨幣等に置き換え、他者と交換したり、譲渡したりする生物です。一般的なマーケティングもどう消費者を『熱狂』させるかに重点をおいているように思います。西洋の価値に基づいて生きている多くの地球人は理性的に生きているように教育されています。しかし、多くが見えない熱狂がその多くの価値判断のタービンになっていることに気づいていない。世界中に直感や第6感に相当する価値がある。恋愛も『熱狂』に突き動かされる人が多い。理性的判断も一皮剥いたら、その『熱狂』に基づいていたりする。
でも、人類の歴史はこの『熱狂』に、警鈴を鳴らしている。かつて占い師や聖職者たちの直感で政治的判断を行っていた時代。近世ではナチスドイツが良い例だろう。
音楽やアート、嬉しい知らせ、悲しい知らせに心動かされて、感情や気持ちを爆発させることは、とても重要です。とても人間らしく、人生を豊かにしてくれる動力です。
しかし、自分たちが『熱狂』させらていることに気づいていないと、危険だと言うこと。正直わたし自身もさまざまな『熱狂』を楽しんでいる。(苦しむこともある。)

先日ある友人といかにフラットになることが重要か話した。それは決して感情を押し殺すことでもなく、自我否定でもない。個としての存在がどう宇宙と溶け込むかということ。目の前に並んでいる様々なカードを同じ目線と心で一枚一枚丁寧に読むということ。

3D宇宙に生きている私たちは、眠りから目覚めると、仕事、捕食、遊び等、物理的交流に晒されます。そこに存在し、そうあることに意義を求めます。それが私たちの喜びなのです。そして『熱狂』はさらなるオーガズムを与えてくれます。それは、怒りであれ、悲しみであれ、歓喜であれ。だからこそ、その『熱狂』で、幸せの輝きがより広がるように生きたい。

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