共感の鍵が開いたあとの話
一人も好きだけど、人と喋るのも好き。
人がどういう風に感じるのか、どう思っているのか、ふだん見えないところを話すとき、鍵がちょっとだけ開く。
それが初対面で開く人もいれば、絶対わかりあえないだろうなぁと感じる人もいる。
私は、いつも聞き役が多いので色んなことに共感するのだけど、共感できない部分ばかりだとやっぱりわかりあえない。
しかし、それはしょうがないと思っている。
自分の考えと相手の考えは同じではないからだ。
しょうがないとは思っているのに、共感できる人との時間のほうが圧倒的に心地がいい。
自分の感じた違和感について共感してくれたり、解釈したことを共有したり、さまざまなことについて談義する。
同じようなことをずっと喋りつづけてしまう。
ああでもない、こうでもない。
でも、それってどうなの?
じゃあ、それでいいんじゃん?
結局、別に誰も正解なんか求めていなくて、ただただ喋って聞いている。
何が言いたいかって、「昨日はたくさんカフェに行ってたくさん喋って楽しかった」という話。
私の場合、カフェや喫茶店で働いていたことがあるというと、人々はカフェに詳しいと思うらしい。
実際は、まったく詳しくない。
一人行動をすることが多いので、あまり開拓をしないのだ。
同じところに三年も住んでいるのに、意外と周りのおいしいお店を知らないし、はりきって探そうとも思わなかった。
おすすめのところを聞かれても、答えられない。
「私はふだんこの街で何をしているんだろう?」
そんな風に感じながら、はじめて行ったカフェにわくわくする。
カフェって一人で行くのも楽しいけど、誰かと行くのも楽しいものだ。
おいしいものを共感しあえる時間。
共感しあえたら、今度は自分の行きつけにしちゃおうかな。なんて考える。
本音をいえば、家の近くにモーニングとランチをやっていて、コーヒーもチャイラテも紅茶もあって、野菜が食べれて、Wi-Fiと電源があるカフェができてほしい。
どうかよろしくおねがいします。
Photo&Text nanamedori
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