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これからの教育の話をしよう。

こんにちは!瀧井です〜!

今日は「教育」について。
「これからの教育」ってどんなのがいいの?

っていうお話をしようかなと思います。

わたしの今までの話を簡単にしますね。
大学入るまでは、ガチ教員志望でした。

高校選びも、ソフトボールで推薦来てたのに
「いい先生」(あくまでイメージ)になれる
進路先が少ないからってそこを断って、

とある大阪市立の体育科の高校を受験しました。バスケットボール部の件で有名になった、あの高校ですね。大阪府民は知ってるかと。

そこは体育教師を目指す子達が多くいて。

スポーツ一筋で体育教師になることしか
考えていなかったわたしは、
「大阪体育大学」に進学することを前提に、
そこを受験しました。それで落ちてしまって。

そして滑り止めで受けていた、
ソフトも強くて勉強もできるところに入って。

そこからは体育教師になれる環境は無くなったわけですから(今思えばそんなことはない)

社会科の教員を目指しました、3年間。
単純に得意だったんですよ。

高校入学した時の課題テストで社会科は満点。日本史世界史の授業でも常にトップクラス。
最後の一年は世界史で常に学年トップをキープしていました。

あ、これは余裕で教員なれると思いました。

他の成績も悪くはなく、
最終評定が「4.8」あったので、
「関西大学文学部アジア史学コース」を指定校推薦で出しました。忘れもしません。笑

そしたら今度は実力が足りていなくて。
うちの高校は「評定+模試の結果」を見て
総合的に指定校を決定する高校でした。

暗記だけしまくって実力付いてなかったんです。そんな中で受けたのが、「京都女子大学

いわゆるお嬢様大学です。

毎日大学に車で送ってもらえる子、
洗濯機を一人で回せない子、
バイトしなくても仕送り10万超えていた子。

今思えばびっくりですが、
こんな子が普通にいる世界である、
「史学科」で社会科の教員を目指し入学。

そしたら教職がきつくてきつくて。
シンプルにここまでする必要あるの?
今聞いてる授業より、
実践の方がよくね?っていう
授業まで受けないといけなくて。

しかも塾でバイトしてたから
先生の悪口なんかは普通に出てくる中で、
進路指導をやりたいと思ってたけど
簡単には無理だなって。

良くも悪くも教員は「踏み込めない」。
進路指導だってそう。
「本人が行きたいところ」ではなく、
「本人が行けるところ」「学校としていかせたいところ」になるんです。

教育委員会、学校の特性上、
一教師になってしまうと、
なかなかアプローチはかけられない。

別の角度から教育にアプローチをかけよう。
そう思って教員になることをやめました。

もし教員目指してたら
ここでnoteの筆を執ることはなく、
みんなに出会うこともなかったかも。

そして今に至ります...。

っていうのが今までのわたしですね。

というわけでタイトル通り、
これからの教育の話をしよう。

今、ゆたぼんの件で話題になっていますね。

「義務教育」について散々考えた人、
ゆたぼんにリプライ、コメント飛ばした人、
いやどうでもよくね?ってなってた人。

様々だと思います。
それぞれに思うことはありますが
一旦それは置いておいて。

そもそも「義務教育」ってなんでしたっけ?

みなさんが義務教育で受けてきた、
普通教育」に関する表記がありました。

普通教育とは、
通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、
職業的・専門的でない教育を指すとされ、
義務教育と密接な関連を有する概念である。
九年の具体的な内訳については、教育基本法は特に規定せず、学校教育法に委ねている。

なるほどなるほど。
やってないと大人になったら苦労するよ!」
ってやつですね。普通教育というのは。

小中学までは、みなさんは
等しくこれを受けてきたわけです。

子供には「教育を受ける権利」があり、
親権者には「教育を受けさせる義務」がある。

その権利を捨て、「義務教育」を受けないで、
新しい生き方をしようとしている。
それがゆたぼんくんですね。

「義務教育」を受けてきた大人からしたら、
それを捨てて「YouTuber」などという
最近出てきたわけのわからない仕事をしていると。新しいお仕事ですもんね。YouTuber。

でもよく考えてみてください。
子供の時、その仕事をしっていたら
みなさんどうだったと思いますか?

はっきり言って「義務教育」で習う範囲は、
現在は昔と違いネットで全て手に入ります。
演習問題だって載ってるんだから、
予復習なんて簡単にできてしまう。

学校の機能としては、
「クラス」という単位の中で協調性を学ぶ。
割と対人関係的な方に向くのかなと。

それでも「行きたい」ですか?
その学校が良い悪いではなく、
「行きたいか」「行きたくないか」。

それを判断するのは大人ではなく子供ですし、
嫌だと言ってるものを無理に通わせる必要は
ないのでは?って思っています。

大人がやるべきは、義務教育に対抗しようとする子供を叩くことではないと思っています。

それが本当に彼のもとに行って
何か伝えられることがあるなら別です。

それは1つの教育の形ですし、
ぜひ行ってください。彼のためになります。

だけど大半の人はそうじゃないでしょ?
ゆたぼんの面倒見るわけじゃないですよね。

じゃあ何すればいいん。ってことですが、

彼のような型にはまらない子供達のための
選択肢を用意しておくことです。

これが「新しい教育」だと思います。
今ある定義をそのまま伝えるだけではなく、
さまざまなやりかた、生き方を用意する。

選べるようにしてあげないと、
せっかくいろんな生き方が最近出てきたのに、
子供たちは知らないまま大人になってしまって

今ゆたぼんくんを叩いている大人達と
なんら変わりのない大人になってしまいます。

大人は仕事選べますよね?
そりゃ試験選考はありますよ。
会社に合わないと長く続けてもらえませんから。

子供にも同じように、選べる要素があるのならそれも入れてやるべきです。選択肢として。

そして教えてやるべきことはもう1つ。
自分に自由を求めるのなら、相手にも自由をさせろ」ということです。

今回の彼の件で1つだけ引っかかってたことがあって。

学校行かないのが自由なら学校行くのも自由なのでは」と思ったのです。

それも今回の炎上の理由の1つかもしれませんね。学校にいくことを真っ向から否定しているようにもとれる。そんな動画でしたから。

多様性」という言葉が多く飛び交っていますが、実際教育に反映されていないのだなと、今回の動画、炎上の様子を見て感じました。

これからさまざまな教育の形が出てきます。
代表的なのは「N高」。自ずと今の学校教育とは違った教育の形がこれから増えてきます。

その中で大切にしたいことはこの2つ。

様々な選択肢を用意してあげること。
(今ある学校の形が全てではない)
お互いの自由を認め合える教育をすること。
(学校行くも行かないも自由です)

N高は今生徒数10000人を超え、
新しい学び方を提供しつつも、
高卒資格をとれる、新しい学校です。

最近有名になってきていますね。
フィギュアの紀平梨花選手も在籍しています。

こういった学校教育は、
今までのやり方とは明らかに逸れていて、
批判を受けることがあるかもしれません。

正直私も、「学校に行ってない子」の受け皿でしかないと思っていました。そんなことはなかったんです。

とても面白い学校だと思いました。それにこんな学校がもっと国内で有名になれば、周りの大人が認めてあげれば、息苦しく生きる子供たちは減るかもしれない。そう思いました。

義務教育がいいのか悪いのかなんて判断はできないと思っています。

実際N高のようなやり方より
義務教育のほうがいいかなんて義務教育しか受けてこなかったんだからわかるわけがありません。義務教育がいいっていう証明はできませんよね?私もできません。

だから義務教育や、その選択肢になりうるものを叩くことで無くしてしまうのではなく、

「それらを受け入れて選択肢とする」

大人の器の大きさが求められると思います。

これからの教育は「選択肢をどんどん増やしていくこと」「選べる環境を整えてやること

この2つが大事なんじゃないかなぁ。

人間は賢い生き物なので、
その時勉強しなくても、後々必要になったら
自分から勉強しようとします。

ただ子供の時に選べないまま、お互いの自由を認められないまま大人になるというのは、
認めてあげさえすれば選択肢が山のようにある今の世の中では生きづらすぎる。

それを救ってあげられるのは大人であり、
家族であり、しかいないのかもしれません。

めちゃくちゃ長くなっちゃったけど、
今日はここまで🙆‍♀️
読んでくれてありがとです!
また書きますね〜!

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