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僕は尖った人間にはなれない。


久しぶりのnote☺️

今日はちょっとした葛藤のお話。

ありがたいことに最近はいろんなプロジェクトの立ち上げだったり、
もうほんとにいろんな経験をさせてもらってるな、と思っていて。

しかも1人じゃなくて、一緒にやりたいって言ってくれる仲間がいて、
そして動いてくれて、話を聞いてくれる相棒がいて、
とても幸せだな、って思ってる。

そんな中で感じたこと。
わたしは尖った人間じゃない。尖れない。
うーん、尖りきれない。が正しいかも。

というのも、最近とあるシビアな話をしていて、
「思いだけあってもだめ」
「そういう残酷さも必要だよ」みたいな話になって。

その時「あー私、こうはなれないなあ」って思ってしまって。

尖るっていうのは感覚が人それぞれだと思うけど、
私は「冷たさ」的な一面があると思っていて。

もちろん私が尖っているなあって感じる人の裏側には
当然温かさも存在して。
その冷たさもやさしさの裏返しなのかも。

尖っている人達がうらやましい反面、
わたしももっと尖った方がいいのかな、
尖るべき?でも尖ろうとして尖るもんなの?
いやそもそも尖ってるってどんな状態?

冷酷な人にはなれないし、
結局「いい人」でいてしまう。
でも尖っている人がいい人ではないなんてことはない。

尖ってるってなんだろ。
今の組織に尖りが必要なのであれば、
わたしからそれはしていかなきゃいけない。

だけど、その結果失うものとかないのかな。
いいことばかりになるのかな。

最近のわたしの中にある最大の葛藤。
尖りたいのか尖りたくないのかも分かんない。

ただ、いまのわたしには尖りきる、
「今」必要のないものは切る、みたいな感じのことができない。

でもわたしが、これからの組織が、
いい意味で変わってく上では必要なことかもしれないな。

そんなことを考えながら、今日は月曜日。
今週一週間でいろんな身の周りのことが動く予定。頑張るぞ。




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