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【持論】結局建築って何なのか?

先日、建築学科を卒業した。建築を学んでから様々な視点から持論を述べるようになり、良い学生時代を過ごしたと感じる。今回はその1つとして、全く建築の知識が無かった高校時代の時(頑張って思い出しました)と、大学で4年間学び初心に戻った時の建築に対するイメージを踏まえて、自分の考える"結局建築とは何なのか"をできるだけ誰にでも理解できるようまとめた。

①建築を学ぶ前

高校時代のパソコンを使う授業で"興味のある分野の偉人"をパワポでまとめる機会があった。元々図画工作が好きだった自分は、その頃何となくだが建築や芸術に興味があったため、"建築家"と検索して出てきたル・コルビュジエをまとめた。軽く紹介。

ル・コルビュジエ / 1887〜1965
フランスで活躍した建築家。近代建築の三代巨匠のうちのひとり。サッカー界で例えるとメッシぐらい有名。建築学んでる人で知らない人はいないぐらい偉人。

出典:国立西洋美術館

コルビュジエを調べると近代建築の五原則やら、モダニズム建築やら訳のわからない事ばかりであった。

当時の自分は一般人(以下建築を学んでいない人のことを示します。なんか嫌な言い方だけど分かりやすく伝えたいので許して🙇🏻)であったため、【建築=箱】という外見的な形での解釈があった。家・学校・オフィス・病院などの、用途は違えど人々が生活する箱というイメージである。

【建築=箱】という大きな括りが世の中に存在する建築の根本的なもので、それが派生して細々としたものが存在すると解釈していた。つまり、"建築"といったら"形"であったり"状態"を連想していた。

この解釈は一般人の方々に共感してもらえるものであると思う。

高校時代の建築に対するイメージ(一般人的な?)
※当時は橋も建築物だと思っていた

②建築を学んでから

では建築を学んでからイメージは変わったのか。
もちろん大きく変化している。学内で設計が優れている訳でもないので、他の人よりも設計課題の成果物にイメージが反映されていなかったと反省しているが、建築に対するイメージは言語化できると思う。(4年時は卒業設計より建築の本を読むことに没頭してたの反省です)

学び始めてからのイメージは【建築=都市の構成要素の一部にすぎないもの】である。これはポジティブにもネガティブにも説明できる。公共建築を例に、(ポジティブ=使う人 / ネガティブ=使わない人)として説明する。

Ⅰ.ポジティブ
自分の住んでいる地域を頭に浮かべてみるとわかりやすい。
用途を考えると、あの場所に図書館があれば、あの場所にプールがあればと自分の理想郷ができあがる。また一般人視点からしたら現代風に言うと"こんな形の建築ができれば映える"となる。使う人は『〇〇ができて嬉しい!』『新たな生活の一部ができた!』と賛同する。

都市の構成要素の一部にすぎないということは、そのひとつ一つを考えれば理想の都市ができあがるという考えである。(有識者は都市計画があるじゃんとか言わないで👍🏻)

Ⅱ.ネガティブ
一方で使わない人からすると『これって俺ら、私らからしたらどーでもいい考え方じゃね?』とか『これできたからって社会が変わる訳でもなくね?』という批判的視点になり、最終的には景観が崩れてしまうのでは?邪魔では?と虫けら扱いにされる。

世の中に存在する建築は、設計した人が何かしらの意図があって設計していると思う。だが使わない人からしたら自分に関わる建築以外はただの都市の一部である。

公共建築を例として

自分の高校時代の箱的なイメージもこのポジティブとネガティブに反映される。

③結局建築って何なの?

では結局建築とは何なのか。それは上記で説明したポジティブとネガティブの中立地に存在するものであると思う。

建築の存在位置

中立地に存在しなければならないことを認識した上で、用途や社会背景などの事柄を絡めていくことが必要であり、それを踏まえたものが建築であると自分は考える。
実際この中立地があるということを、わざわざ人々に説明する必要は無いと思うが、建築は自然とこの中立地に存在することが意義なのではいかと感じる。

めちゃくちゃ簡単にまとめると形が特徴的であったり、設計手法が良かったりするのは付随するものであって、【建築=誰にでも受け入れられる人間の生活の一部】ということが今の持論である。

①【建築=箱】→②【建築=都市の構成要素の一部にすぎないもの】→③【建築=誰にでも受け入れられる人間の生活の一部】
という流れが自分の建築に対するイメージの変化で、現代の建築は②〜③を彷徨っていると感じる。

だからといって政治的に、国家的に批判されるのは建築。
ネガティブ側に1%でも受け入れられれば、この持論に繋がるのではないかと感じる今日この頃。

あくまで持論なので他の意見があっても良いと思ってます。(むしろあったほうが良い)

この持論の続きとして、"インスタ映えと建築"についても述べたい。


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