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ブロークンハートダイアリー

昨晩、これまでの30年近くの人生で一番大好きだった人に別れを告げられた。
今までいろんな人と付き合ってきたけど、この人に関しては、勝手に当たり前な存在とみなし、本当にたくさんの負担をかけてしまっていた。

我に返り、はっとした。これまでずっと甘えすぎていた。相手も自分のことで精一杯な時期なのに、私は休職し不調であることを言い訳に、相手に重くのしかかってしまった。

時差があるので、相手の真っ昼間、こちらの真夜中に会話は終わり、実家にいた私は、まるでまだ扶養されている子どもかのように、親の部屋に入っていき、抱きしめてもらい、手を取ってもらい、話を聞いてもらった。慰めてもらった。

二十何年ぶりだろうか?両親にはさまれて、川の字になって寝た。厳密に言うと、両親は寝て、私は一人悶々としながら横になっていた。こんな年になっても、こういう風に迎えてくれる健在な両親がいるなんて、本当に贅沢だとは思う。けど、残念ながら、そんな贅沢に対する幸せを感じるよりも、胸の奥までずきずきいうような後悔と辛さに襲われてしまった。

本当に皮肉なことに、こうやって冷静になってみると、あのときこうすればこんなことにならなかった、ということが次々と浮かんでくる。「善い」人と一緒にいて、ついついわがままなことばかりしてしまっていた。なんで昨日まで、関係が解けてしまうほどまでに甘えてしまったのだろう。

考えてみれば、私は自分のことでいっぱいいっぱいになって、相手のためを思えなくなっていた。好意だけが先走り、思いやりが足りていなかった。自分の安定を補うために、相手のエネルギーを消費していってしまっていた。気づいたら、関係の外観は変わっていなくても、中はすり減ってしまっていた。相手は、「僕が弱くて本当にごめん」と言っていたけど、きっとそれは、私がこれ以上勝手に不安定にならないようにの、思いやりだと思う。

自分の人生を立て直さないといけないと思う。これまで本当に甘えてきてしまった。いい加減、自分に素直になって、いろいろ試してみて、今までよりも更に紆余曲折を経てでも、もっと本当にやりたいことを探して、人生を楽しんでいる自分になりたい。

きっとこの関係が始まることができたのは、その当時は私が「人生を楽しんでいる自分」だったということが一つの要因としてあると思う。人生は、本当にいろんなことの積み重ねだったり、偶然だったりがあって一進一退する。良いタイミングで再会できて、本当によかった。そこからベストな自分を持続できなくて、本当に自分にも相手にも申し訳ない。

心が真っ二つに割れるとは、こういう気持ちなのだなと思う。もう起こったことを変えることのできない無力さで情けなくなる。こんなにも悲しいのか。いつかこういう日が来るかもしれないと恐れながら付き合っていたところはあったけれど、いざその日が来てしまうと、本当に悲しい。再会してから、自分にとってはある意味一番の親友の人だった。くだらないことから真面目なこと、どうでもいいことから大事なこと、本当にいろいろ包み隠さず会話をしていた。幸せなことに、一方通行なことはほとんどなく、お互いにいろんな話をしていたと思う。たしかに私はたくさん泣いていた。でも、本当に幸せだった。それを噛み締めながら生きているつもりだった。死ぬまで一緒にいれると思った。初めて、一緒に老いていける相手がいるかもしれないと思えた。でも、私は「棒に振ってしまった」。

こんなにも素直でまっすぐな人を追い詰めるなんて、私は本当に学んでいない。

変わらなければならない。前に進みたい。この真っ二つになった心を、縫い合わせて、更に強く、しなやかに生きていきたい。

大好きだからこそ、そうしていきたい。


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