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運命論者のシンデレラは、矛盾の靴を履く

今日の私は、女子高出身感丸出しでお届けします。つまり、夢見る乙女感全開で行きますが、温かい目で見守っていてください。
(最近、話して数分の異性の先輩に「女子高出身だよね」と見抜かれてしまい、結構ショックを受けました。まだ矯正されていないのか…)


さて、『私の未来のだんな様』という名曲があります。我らがBerryz工房が2009年に発売したシングルです。(もう10年以上前とは…!)



” 私の未来のだんな様
どっかに目印をつけて
歩いて 頂戴 ”

こんな歌詞をかけてしまうつんくさんは、改めて想像力の鬼だなと思います。
誰よりも乙女だ…


小学生の頃にこの曲を聴いて、衝撃を受けたものです。「私の未来のだんな様は、同じ空の下にいるのか!!!」と。それから10年以上経った今も変わりません。血眼になって目印を探しながら、街を闊歩しています。

思えばこの考えは、運命論に基づいていますよね。自分の最愛の人は既に決定されているものとしています。

ただ運命論に則るならば、同時に私の寿命も決定されているはず。だから、最愛の人を愛し得る時間は、今も刻一刻と減っているのです。つらたん。せっかく授かった生なのだから、できるだけ長い時間を、愛することに使いたいのに。(今いる友人に対してはしっかり実践中です。)

目印をつけて歩いてくれるのならすぐに見つけ出すから、余生を余すことなく一緒に過ごしたい。


あれ、なんかおかしいとここで気がつきます。未来のだんな様が誰であるかはもちろんのこと、彼と出会うタイミングも運命によって規定されているはずなのに、それを自力で早められると思い込んでいるのです。運命論を取り巻く乙女の矛盾が、ここに存在しています。

あぁ、恋愛を前にして、論理はこんなにも無力なものかと思いました。恋って大抵論理を超えた部分に存在するから、怖くて怖くて仕方ないです。きっと私にはまだ早い。





『C / C   (シンデレラ/コンプレックス)』

難しい乙女心は、大抵ハロが歌ってくれています。



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