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楽しく怖いスノーボード

この冬もスノーボードを特訓しています。
スノーボードの面白いところは今この瞬間の自分の身体と環境に深く集中して、頭でものを考えなくなるところだと思います。

普段から考えることが好きです。頭の中でずーっと自分と議論したり、日常を振り返ったり、考えを巡らしています。けれどスノーボードで滑っている瞬間は余計なことを考えません。他のことを考える余裕はなくて、滑っているこの瞬間以外のことに意識が向いてしまうとフッと足を取られて転倒します。

しかしスノーボードってなんと酔狂な遊びなのでしょう。二本の足を一枚の板に固定してツルツル滑る斜面を滑走するなんて、正気じゃない。足が一枚板に固定されている状態で高速で斜面を滑り降りる。どう考えたって危険です。二枚板のスキーの方がまだ理屈に叶っている気がします。

ところが、やってみると面白いんですよね。
斜面を滑っている間は頭が空っぽになります。私はまだまだスピードを出せないのですが、それでも滑っていると速さと一体になった気持ちになります。ときどきガリっとなってバランスを崩すと自分の身体の硬さに気がつきます。脳みそに偏りがちな意識が身体に向けて集中します。


スノーボードも自転車と同じで、スピードに乗っている方が安定するので、上達するには速さに慣れることが大切です。でもスピードが出ると同時に恐怖感も生まれます。

急な斜面で速度が上がると思わず怖くて腰が引けて後傾姿勢になってしまいます。そうなると途端にターンができなくなります。気持ちと身体の反応はとても正直に繋がっています。僅かな体重移動の妙で板をコントロールしている、このスポーツのダイナミックなイメージには似合わない繊細さに驚きます。

こうして文章に書いていると、どうして自分が上手くターンができないのかとか、急な斜面で腰が引けたらダメだとか分析することもできるのですが、実際に滑るのと頭で考えるのとは全く別もので、ゲレンデにおりるとまだまだ「怖い!」と感じる瞬間がたくさんあります。「怖い!」と感じた瞬間グラグラとふらつきます。

 
その一方、スノーボードを始めたばかりの近所の友人は全く怖さを感じないと言います。たった3日滑っただけで彼はメキメキ上手くなりました。私は彼のレベルになるのに2週間は必要だったのに。
怖さを感じないことで、こんなに早く上達するのかと自分との違いにびっくりします。

身を守るために恐怖心が必要なときもありますが、恐怖心とは心のブレーキをかけてしまったり身体を硬くしてしまったり、足枷にもなるものです。スノーボードを始めてからヒシヒシと感じます。でも一体いつからこんなに怖がりになってしまったのでしょう。

小学生の頃に初めてスキーをした時は全然怖くなくて、ちょっと滑り方を教えてもらったらすぐに「1番難しいコースに行きたい!行きたい!」と言って連れて行ってもらった覚えがあります。あの頃は怖いという気持ちが全然ありませんでした。
小さな滝から飛び込んだこともあったけど、あれも今ならもう怖いと思います。
中学と高校では走高跳びをやっていましたが、もしも今、背面跳びをしろと言われたら怖くて出来ません。
子どもの頃は恐怖心なんてなかったから、そのお陰で身体を使って自分の世界を広げて行くことができたのでしょう。


その代わり就職しないとか、知らない国に引っ越すとか、そういうことには昔から恐怖心がなかったし、今でも縁もゆかりもない土地に移住するとか、自分のお店を開くとか、そういうのは怖くありません。

怖さにもいろんな種類があって、人生に挑戦にするのは怖くないけれど、フィジカルな挑戦に対しては特に怖い!と感じるようです。失敗することや恥をかくことには恐怖心を抱かないけれど、身体が痛い思いをするのが怖いのでしょう。


恐怖心はどこから生まれるのでしょうか。
まだ起きてもいないことを怖いと思う気持ちは、今までの痛い経験上、また同じ目に合いそうだと予測して生まれるのか。全く未知のことに挑戦するからこそ不確かなことに対して生じる気持ちなのか。まだ起きていないことを恐れるというのは、想像力があるということかもしれません。

怖いという気持ちを手放すことができたら、私のスノーボードももっと上達しそうです。だけど今は、まだ怖い。だから少しづつ出来ることを増やして身体を慣らしては時間をかけて怖さを減らすしかありません。

恐怖心をうまく手懐けることができたら、もう一歩世界が広がるんじゃないか、そう思います。



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