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日本語を勉強します

パートナーが、うちの母にインスタグラムでメッセージを送っている。自分の打っている日本語が合っているかどうか、聞いてくる。ひらがなのフリック入力は使えないけれど、ローマ字入力モードを使えば、もう自分でも日本語が打てるようになってきているのだ。

彼のケータイ画面を覗いていると、日本語を打つ時も文節で言葉を切ってスペースを開けている。フランス語らしい発想だなと思う。


Google翻訳で

I lean Japanese.

を日本語へ変換する。これは正しいか?と尋ねられる。

私は日本語を勉強します。

うん、正しい。だけどこれだと”今”勉強しているという感じがしない。どちらかというと、”今から”勉強する感じに聞こえる。現在形だけど未来っぽい感じがするよ。なんでだろう?日本語って難しいね。


I’m leaning Japanese.

と打ってみると、

私は日本語を勉強しています。

と訳してくれた。
こちらの方が過去から続くいま現在も勉強中というニュアンスになる。

I will lean Japanese.

もGoogle翻訳してみると、

私は日本語を勉強します。

と翻訳された。やっぱり日本語の現在形には未来が含まれている。


日本語には未来形がない。
そう教えてくれたのは日本語を勉強中の外国人だったと思う。それまで日本語に未来形がないなんて、知らなかった。国語の授業でも英語の授業でも、そんな話は聞かなかったと思う。No Futureって、なんてパンクでアナーキーな言語なんだろう。

パートナーが日本語を勉強し始めたときにも、なんで未来形がないの?!どうやって未来の話をするの?!と驚いていた。

そう言われると確かに不思議な感じがするのに、日本語で話したり読んだり書いたりするときに、不便だと感じたことはもちろんない。ちゃんと現在と未来の違いがわかるし、混同することはない。どうしてだろう?

日本語が誕生し、育っていく中で、どうして未来形は生まれてこなかったのだろう?
現在形なのに未来の予感がするのはどうしてだろう?でも全部の動詞がそうとは限らないのかもしれない。よくよく調べてみる必要がありそうだ。

それに世界中の言語を比べてみれば、未来形のある言語の方が少数派という可能性だってある。たまたま私の比較できる言語が日本語とフランス語と英語しかないから、日本語を不思議に思うのかもしれない。


外国語を学ぶ面白いところは、外国語で会話できるようになったり本を読めるようになることだけではない。仕事や旅行に便利だというだけでもない。

それよりも外国語という新しい視点を手に入れることで、母国語を新鮮に観察できるようになり、母国語に対して今まで気づくこともなかったような疑問を問いかけることができるようになることが大きい。当たり前の囲いを、外すことができるようになるのだ。このような視点を変える能力というのは、語学学習だけではなく、生活のあらゆる場面に生かされる能力でもある。


日本語の文法というものをもっと理解したい。それに日本語という言語がどうやって進化してきたのかも知りたいと思う。日本語の成り立ちや文法について面白くわかりやすく教えてくれる本はないか、探してみよう。
外国語を学び、日本語に興味が出てくると、言葉というものそれ自体にも興味が生まれてくる。言葉って面白いものだ。

好奇心の波は、母国語対外国語という二項対立から離れ、言語そのものから思考と生活について、そして人間へと、果てしなく広がっていく。



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