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日常の気になる言葉

「〜でいい」といわれると、”で”の部分が気になってしまう。


近所の美味しいお蕎麦屋さんでときどきアルバイトをしているのだが、ランチの注文を受けるときに気になることがある。お客さんの中に「Bランチ”で”いいわ」と注文する人がいるのだ。毎回、何人かはいる。

「かしこまりました〜!」と元気に注文を受けるのだが、しかし頭の中には疑問が浮かぶ。「本当はAランチ”が”いいけれど100円安いBランチ"で"いいわという意味なのか? それともAもBも食べたくないけれど、どちらかを選ばないといけないから、じゃあもうB”で”いいわという意味の"で"なのか?」とグルグルする。

本当はそこまで深い意味はないのだろう。そうだと思う。
でも「〜でいいわ」と言われると「〜"で"いいならどっちも食べなくていいよ」と意地悪したくなる。もちろんお客様には言わないけれど。

「〜で」というと妥協して選んでいる、しょうがない空気を帯びた表現に聞こえるから耳に残るのだ。積極的にその選択肢を選びたいという喜びが感じられないから選択肢に対して失礼な気持ちもする。

元々は誰かに譲るために「こちらでいいですよ」という謙遜の気持ちを込めた表現だったのかも知れない。みんながこぞって一方を選ぶから、私はこっちでいいよ、という譲り合いの優しい気持ち。不人気な方を進んで取りますよ、という表明。
だけどみんなで何かを選ぶとき「私はこれでいいよ」と言いながら率先して一番良い選択肢を選ぼうとしてくる人もいて、それも面白い。

また正しく謙遜するというのは難しいもので、たとえば手土産を渡すとき「つまらないものですが」と言うことがあるけれど、自分が作ったものではないのに、どこかで誰かが作ったものを「つまらないもの」と表現することに気が引ける。


「これがいい!」と何かを選ぶことは自己主張を良しとしない日本では主張が強すぎるように受け取られるのかも知れない。しかし「これがいい!」と積極的に好みを示してくれた方が選択肢を提供する側は嬉しいものだ。



このモヤっとする感覚をパートナーにも話して聞かせたのだが、フランス語で「〜でいい」と「〜がいい」をどう訳して説明するのがいいか、わからなかった。

その代わりに思いついだのが"Si tu veux"という表現だ。フランス人はこれをよく使う。直訳すれば「あなたが望むなら」だろうか。そのときの文脈やどういうふうに言うか、語り口によって大きくニュアンスの変わる表現だと思う。

何かを提案するときにSi tu veuxをつけて尋ねると、「もしあなたがよかったら、〜しない?」というこちらの気持ちを気遣ったお誘いの文句になる。

こちらが何か提案したときに、"Ah! Si tu veux!"と新鮮な返事をされると「あ、その手があったか!いいね!」と聞こえる。
でも気怠そうに"Bah si tu veux"と返事をされると「私は別に興味はないけれど、あなたがどうしてもやりたいならやりましょうか」というニュアンスに聞こえる。本人が本当はやりたいのか、やりたくないのかが見えない。こちらに選択の責任を負わせる受動的なニュアンスにも聞こえる。ここにモヤっとするのだ。


「〜でいい」も"si tu veux"も、言っている本人の本当に望むものが見えない。だから気になってしまう。言葉の裏に隠れた気持ちの方を知りたくなる。


「〜でいい」はあまり言わないように気をつけている。だけど、この「〜で」「〜が」論争とSi tu veuxの比較の話をしたときに、パートナーに「si tu veuxってよく言ってるじゃん」と言われてハタと気がついた。確かに私も"Si tu veux"を日常的に使っている。「嫌だ」と言うほどでもないけれど、積極的にやりたい訳でもないときに、ついつい言っている。


他人の言葉にはトゲトゲと口出ししたくなるのに、自分の発する言葉には無頓着になってしまっていた。よくないな、と思う。
次にレストランで食事をするときは自分がなんと言って注文しているのか、気をつけて聞いてみたい。「〜でいい」と選ぶ人生よりも「〜がいい!」と選ぶ人生でありたい。


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