病まない巫女ちゃん

基本万年病み期‪( •̥ ˍ •̥ )‬普段はミュージシャンやりながら派遣社員やってま…

病まない巫女ちゃん

基本万年病み期‪( •̥ ˍ •̥ )‬普段はミュージシャンやりながら派遣社員やってます。毒親縁切り推奨派/メンヘラ応援隊隊長/病んでもいいからとりま生きようぜ大丈夫だよ。昔は箱入り育ちで音大ピアノ科通ってました。

最近の記事

月の光

心の岸辺のすぐそばに 諦めが 2本足で立ちすくんでいる こちらをじっと見つめて 少し笑っている 向うの空は ひどく穏やかで  黙って夜明けを待ついじらしさに唇をつむぎ 頭に星なんか乗せている 微量の風が さわさわと吹いている以外は 宇宙のように 家もなく 人もなく 静かでした 過去から未来へ 時間は流れ  心も 過去から未来へと 川のせせらぎと一緒に きらきら流れていきます それを眺めて座り込んでいる さて、どうしようか と考えても 向うの空の様子が 変わらない限り

    • アリプロの思い出

      アリプロ。 アリプロだ。 今日はアリプロを思い出す日にしよう。 お付き合いくだされ。 識名が中学生の頃。 厨二病的アニメを観漁っていた頃。 兄貴が「.hack GU」というアニメを発掘してきて、「一緒に観よう!」とのたまった。 アニメ自体は普通に面白く観たが、 なんだ、このEDは。 ありえないだろ。聴いたことないぞこんな音楽。なんだこれ。 なんだこの歌詞。なんだこの映像。誰だこの女の人。 濃すぎる世界観に、中学生の識名さんは虜になってしまった。 それは周りの

      • 売れたら幸せになるんじゃないの?の理論

        おひさしゅう、識名です。 この頃、もう本腰入れて音楽しないといよいよ自分を全く許せなくなりそうになってきたので、 分かりやすい努力を始めている。 しかし、周りを見れば、徐々に売れていく仲間。 自由に、少し無責任に生きてるように見えても関係なしに輝いている。 「あーーー」となる。 とにかく「あーーー」だ。 くそー売れてる。イベントにも呼ばれてる。 いいな、どうやったら自分もそんな風になれるだろうか。 考えても考えても分からなくて、でもどうせ集中して面白くしていくしかない

        • 仕事を辞めて4日ぐらい経った

          とてもせいせいしている、というのが正直な感想である。 自分と向き合う時間も取れているし、精神科でもらったワークもそこそこだけど出来ている。好きな音楽を聴く時間もあるし、家に帰ってきて愚痴を吐きまくることも無くなった。 「水が合わない」という言葉があるが、本当にその言葉通りの職場だったんだなあ、と酷く痛感した。 何より、ゆーじさんとの時間をのんびりと過ごせている。 これは私にとってとても大事なことで、今は音楽をやるよりも、自分の人生に必要な、軸となるようなことなのだ。

          音楽のバケモノ

          私は昔、都内の私立音大でピアノを専攻していた。 そこではとにかく優先すべきものは練習で、 優先すべきものは音楽だった。 もちろん、人によって熱意の程度は違ったが、 卒業するため、音楽の神様に恥じないために頑張っている子がとても多かった。 私はその中で、とにかく怠惰だった。 音楽自体はとてもとても好きだったし、勉強も楽しかったのだが、練習する体力が本当になかった。 とても集中して練習をするにしても、持って2〜3時間だった。 友達は、休日は10時間ぐらい練習してい

          最近の壁を普通に書く

          最近、また世間が怖くなっている。 この気持ちは大体と言っていいほど冬に起こるのだが、冬になると人々がカリカリしだすからかな、と思っている。 でもきっとそれだけじゃなくて、 今、自分は世間の理不尽な面を見る時期なのだと思っている。 家に帰ればゆーじさんが居てくれるのでなんとか持っているが、 世の中、冷たくて暴力的な人間多すぎないか? 自分だけ良ければそれでいいやつ、自分だけ安全ならそれでいいやつ、 周りの迷惑考えないやつ、人に優しくできないやつ。 そういう奴が多

          最近の壁を普通に書く

          『非定型虐待』について、体験談をお寄せ下さい。

          私は母親から虐待を受けて育ってきましたが、 いわゆる世間的に『虐待』と言われるような、 分かりやすいものではありませんでした。 私が小学生のときに、 母親と一緒にファミレスで順番待ちをしているとき、 急に耳元で、児童ポルノの話をし出したりしていました。 母親からすると、おそらく『こんな怖い人がいるから気を付けるように』 という警鐘の意味だったのでしょうが、 私にとって、あの瞬間に 何かが確実に歪みました。 母親は、幼少期に性的暴行を受けたことがあったので、 尚更恐

          『非定型虐待』について、体験談をお寄せ下さい。

          『変』と言われる自分を何としても誇りたい

          ツイートにも書いたけど、私は『精霊』と呼ばれることがとても多い。 思えば私が中学生のとき、 やんちゃだったけどめちゃくちゃ優しくしてくれてたバスケ部のクラスメイトに、 『妖精さんみたい』 と言われたことが始まりだったように思う。 親からも、『天使っぽい』『動物っぽい』と言われることもあったし、 未だに人と新しく出会ったときに『人外っぽい』『精霊っぽい』と言われる。 もちろん、皆褒める気持ちで言ってくれているというのはよく分かっているし、 言われて嬉しい気持ちもあるのだ。

          『変』と言われる自分を何としても誇りたい

          8/10、感じた疎外感の正体達

          (※この記事は、実際の私の日記に書いた内容を、軽く修正したものです。) 8/10(日) 今日は、15:00頃からゆーじさんと夕凪のMV撮影をしに出掛けた。 旧岩崎邸庭園に行ったけど、館内・外どちらも撮影禁止と言われて、せめて観光だけでもしていこうか…ということになって、中を観て回った。 ゆーじさんと話し合って、場所を変えることにした。 途中で休憩するために、 韓国風(?)の食事処兼カフェみたいなお店に入った。 日本のチェーン店とは違って、『ここは空けて』とか、『消毒!』

          8/10、感じた疎外感の正体達

          『生きていて欲しい』という想いについて

          皆さんこんにちは、識名巫女です。 最近暑いですね。 部屋を冷やす時は冷房じゃなくて、 ドライに設定するといいですよ。 さて今日は。 識名さん、大きな発見をしたので書いていきます。 よく、 『あなたに生きていて欲しい』という言い回しありますよね。 ドラマとか、映画とかで。 『死にたい!』と叫んでる人に『生きてて欲しい!』と言ったり、 病床に伏している人に『生きてて欲しい』と言ったり。 正直、 自分にとって、 『人が死ぬ』って よく分からない領域なんですよ。 輪廻転生

          『生きていて欲しい』という想いについて

          約束された定期的な地獄

          定期的に、地獄がやってくる。 周りの人達も、定期的な地獄に悩まされている人達が多い。 ちょっと良くなったと思ったらまた・・・と言う具合に。 かく言う私も、度々「またか!」という地獄に見舞われる。 詳しく言うと、昔母親にされていた虐待や、 兄に振るわれた暴力のことが蘇ってしまって、いわゆるPTSDが起こる。 それは大体、自分にとって近しい人がそばにいる時に起こる。 その人が何か悪いことをした訳ではない時でも、 ちょっとしたことが当時の記憶を想起させると、もうダメ

          約束された定期的な地獄

          こんな曲出しちゃいけないの気持ち

          こんにちは、識名巫女です。 最近、作曲しててつくづく『自分は変化が早いな』と思ってしまう。 なんというか、成長したね!とか、更新したね!とかではなく『終わっちゃったね』の気持ちが強い。 例えどんなに愚かであろうとも、『あのとき馬鹿だったな〜もう忘れたいな〜正直フラッシュバックするし無理』と思っていても、 そのとき頑張った景色とか、そのとき得た気持ちとか、温度とか、残酷さとか、気持ち悪さも含めて、体たらくも聖性も、嫌だった光も、無かったことでした!みたいな感じで終わってし

          こんな曲出しちゃいけないの気持ち

          感情≠行動

          感情。 感情の魑魅魍魎である。 特に、最近のインターネットはひどい。 感情の持っていきどころがないのであろうか。 もしかしたら、 『感情を制御出来ない』というより、『感情を誰かに受け止めてもらった経験があまりない』人が多いのかもしれないな、と、 私は予想している。 人の感情は、感じた瞬間に『もう存在するもの』だ。 『こんな感情あっちゃいけない!』『何考えてるんだ自分は!』こんな感じで、自分や他人を責める光景というのはありふれている。 逆に私は暴走しすぎて 『

          立派に嘘つく必要があるのは

          音楽家が嘘をついてどうする。 音楽家が表面で芸術をしていてどうする。 音楽家が社交で音楽をしてどうする。 音楽家がカラオケをしてどうする。 お前らがカラオケをしている最中、 どんどん人が死んでいくぞ。 音楽なんかよりも、 食物を、薬を、水を、精神薬を、 カウンセリングを必要としている人が 喉から血を吹き出しながら泣き叫んでいるぞ死にたいすら超えてしまって。 病院のベッドの上で泣いているぞ。 不治の病で苦しんでる人がいるぞ。 大切な人を亡くして心がキリキリ音を

          立派に嘘つく必要があるのは

          味がしなくなった思い出をいつまでも噛み締めてても悪くはないけど

          思い出って、どんなに綺麗でも 残念ながらいつの間にか更新されていて。 それよりも美しい体験をしてしまえば、魅力が無くなってしまう記憶もあって。 そこに執着する必要などなく、 貪欲に美しい体験を追い求めてもいいのだが。 僕は、いつか一緒に人生に取り組んだ人達のことをたまに思い出す。 その人の人生にも、少なからず関わった自分がいる。 あの人、周りに分かって貰えなくてしんどそうだったなとか、 あの人、身から出た錆とはいえ気の毒だったなとか、 勝手に『味がするかも』みたい

          味がしなくなった思い出をいつまでも噛み締めてても悪くはないけど

          世界に5人しか人間がいなかった場合の世間体

          『自分は自分で生きればいいよ!』 『人の目なんて関係ない!』 これら、最近よく聞くワードだ。 概ね同意なのだが、 要するに、 ”たまたま自分と同じ種族の、似たような存在が傍にたくさんいるので、 それらの存在が気になる”、 ということなのだろうと思う。 この世には、ヒト以外にも 植物、鉱物、海洋生物、微生物、もろもろたくさんいるのだが それらの種族とはコミュニティの構成スタイルも言語も全く違うので、 自らの生命の使い方を参照するのには 適さない、という理屈なのだ

          世界に5人しか人間がいなかった場合の世間体