誤ったウェルビーイングの理解とは? - WHOはウェルビーイングを定義していない (ウェルビーイングを問い直す②)

これからの続き

そもそもウェルビーイングとは何か?

ウェルビーイングの語源は、イタリア語のbenessereにある。Oxford English Dictionaryによれば、イタリア語の“benessere”の翻訳として16世紀に導入されたとされる。


Benessereは、Bene(Well)+Essere(Being)である。その意味は、善き生、いわゆるgood lifeと等しいだろう。

そして、少なくとも「ウェルビーイングの哲学」では、この意味でウェルビーイングとは何かが考察されている。重要なのは、ウェルビーイングは、な何かの目的のための価値、「手段的価値」ではなく「美的価値」や「道徳的価値」のようにそれ自体が究極的な価値を持つものだいうことにある。あのスタンフォードのエンサイクロペディアでも、

【Stanford Encyclopedia of Philosophy】
  Well-being is most commonly used in philosophy to describe what is non-instrumentally or ultimately good for a person. ・・・Also important in ethics is the question of how a person’s moral character and actions relate to their well-being.

ウェルビーイングとは、哲学において、人間にとって非手段的あるいは究極的に良いこととは何かを表すために最も一般的に使われる言葉。倫理学においても、人の道徳的な性格や行動が、その人のウェルビーイングとどのように関係しているかが重要である。


となっている。「non-instrumentally or ultimately good for a person.」である。つまり、なにかの目的のための手段として善い、それをするとウェルビーイングになるという対象がウェルビーイングなのではなく、それそのものの価値がウェルビーイングなのだというもので、ultimately、究極的に「善い(good)」というものだ。

なので、「ウェルビーイングを高めて、仕事も生活もいい感じにするぞい」とおもっているなら、それはウェルビーイングではない。ウェルビーイングは手段ではない。この例だと「いい感じ」ということで言いたい何かがウェルビーイングの対象だ。しかし、「ウェルビーイングを高める」という表現が流布しているように、世間ではウェルビーイングは「手段的意味」で使われている。なので、「間違っている」のだ。

happinessは、幸福感なので、そういう感じがするということで、それ自体が何か目的になるのではなく、感情のようなものだ。だからこれもそれ自体が人生の善さという価値を意味するわけではない。

ちなみに、happyはhappenと語源が同じで、happenの意味からわかるように、人生の善さというような意味はなく、幸運に近い意味合い。 しかし今では、well-beingとhappinessの2つは同じような意味で使われることが多い。しかし、それは問題だ、というわけだ。

数年前にある学会で使用するためにまとめたもの

 

現代日本におけるウェルビーイング

また、現代の日本では一般的に、ウェルビーイングは日本ではおよそ次のように説明される。

1.       身体的に精神的に社会的に満たされた状態

2.       主観的幸福

新聞やネット記事をみているとおよそこの二パターンで説明されている。そして、この2つは、それぞれWHOの健康の定義、心理学研究、に起源がある。しかし、この両方の定義自体が、そもそも正しいウェルビーイング解釈だとは私には思えない。その理由は、上記の手段的意味に使われているということもあるが、それに加えてそもそも解釈に誤りがあるのではないか、というものだ。

数年前にある学会で使用するためにまとめたもの



まず、1の定義について。1の定義は、WHOの健康の定義から来ていることは明確だ。WHOでは、以下のように健康が定義されている。

“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」https://japan-who.or.jp/about/who-what/identification-health/

注意深く見ていただきたいのだが、この健康の定義にはwell-beingという言葉は使われているものの、well-beingの概念が定義されているわけではない。また、これとは別にWHOがwell-beingを定義しているわけでもない。それなのになぜ?ここからウェルビーイングの定義が導き出されるのだろうか。それは不可能なはずだ。

この健康の定義を解釈して、このウェルビーイングの定義を導出するには無理がある。なぜなら、WHOの健康の定義の中で、well-beingという単語は使われているが、それは「健康に必要なもの」として定義されているだけで、「well-beingの内容」については全く何も意味を与えていない定義だからだ。

それなのになぜ、WHOが健康の定義としている、「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(a state of complete physical, mental and social well-being)」がウェルビーイングの定義となったのか。英語の原文と照らせば明確に「おかしい」とわかるだろう。

日本語訳でwell-beingを「満たされた状態」と訳したことから、well-beingは満たされた状態なんだ、という解釈が生まれ、その後に、その定義の前に「身体的、精神的、社会的に」という言葉を補う形で誰かが追加したというようなお粗末な結果なのだろうか。

ともかく、これではWHOの健康の定義とウェルビーイングが同じ意味になっており、本来の人生の善さという意味のwell-beingがより広い概念であることを踏まえると、非常に狭く偏った定義であり、これがウェルビーイングの意味だなるのは間違っている。

いずれにせよ、WHOが決して、ウェルビーイングについて定義しているわけではないにもかかわらず、この健康の定義から、なぜか、「ウェルビーイングは身体的にも精神的にも社会的にも満たされた状態」という定義が生まれ、広まっている。当然、英語では成立しない定義になるはずだ。英語圏でどうなっているのかは調べてみたところ、そのような定義は辞書にはなかった。一方で、英語圏では、健康、幸福に限定されている表現が多く、これまたウェルビーイングの哲学的意味を踏まえているものではななかったが、good(善)という表現もあり、解釈の余地があるだろう。

数年前にある学会で使用するためにまとめたもの


いずれにせよ、WHO定義だと、英語的には、「well-being is a state of complete physical、 mental and social well-being(ウェルビーイングとは、身体的にも精神的にも社会的にもウェルビーイングであること)」という意味になり、定義として成立しないだろうから、これを使うのはよしたほうが良さそうだ。

実際、少なくとも日本では、ウェルビーイングという言葉は、その意味や概念が曖昧なまま、言葉だけが広まっている、としばしば言われる。それは、このことと関係していると考えたくなる。ウェルビーイングの概念を、健康、ないし、身体、精神、社会というテーマに限定してしまっている点でも問題がある。

さらに、ウェルビーイングという言葉が、このWHOの定義によって初めて登場したかのように書かれることも度々あり、ウェルビーイング専門家すらそうした発言をしていることを踏まえると、日本における状況はかなり深刻だと言わざるを得ないのだろうか。


次回は、2.主観的幸福の方、つまり心理学研究を見てみよう。心理学の分野では、主に、文化心理学や社会心理学と呼ばれる分野とポジティブ心理学の分野でウェルビーイングが研究されている。両方ともに主観的な幸福(subjective well-being)を研究するものであって、やはり、ウェルビーイングの本来の意味である人生の善さを対象としたものでは必ずしもない。



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