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鋭利な簡単レシピ

 夜ご飯を作ったけれど、作れなかった。そして泣いた。

 母が足を怪我してから半月ほど。
父が仕事をしながら料理もこなしていたのだが、さすがに疲労しているのが分かる。
私は母の怪我と同時期に調子を崩して休職中だ。
仕事に行かず家事もせず、だらだらと過ごす私は、一体なにをしているのだろう。
今日は母の通院日で、父が仕事の合間に車を出して送ってくれた。
昼も夜も父に頼りきりでは申し訳ない。
私は苦手ながら夜ご飯を作る決意をした。

 冷凍庫を開けると、メインになりそうなものは合い挽き肉だけだった。
600gの合い挽き肉を冷凍庫から出し、自然解凍させる。
スマホでレシピを調べ、母の本棚から料理本を引っ張り出し、なにを作るか一時間ほど悩んでようやく3品決めた。
こんなことを毎日当たり前にやっている方々には頭が下がる。
そもそも私は食事そのものを好いていないので、献立を考え作り食べるというすべての工程が楽しくない。
食べたいものがある時に食べたい。
毎日胃に脅迫されて、空腹を満たさなければならない義務感が苦手だ。
適当に食べて解決するかといえばそうでもなく、栄養を無視した食事では肌が荒れる。
なんとわがままなことか。

 夕方の天気予報を見てからキッチンに立った。
明け方に雨が降った後は晴れるらしい。
解凍されてふにゃふにゃになった合挽き肉を見ていると、牛や豚の静かな叫びが聞こえてくるようだ。
この世は弱肉強食だからと言い訳をしながら、下ごしらえをした。
野菜を切り、調味料を混ぜ、肉を炒める。
どういうことだか、水気がかなり多い。
後で母に聞いたのだが、解凍しきれていないと水分が出てくるとのことだった。
もうこの時点で私の心は折れていた。
レシピ通りに作っていたのに、目の前には炒めているのか煮ているのか分からない肉が、いつまでもフライパンの上でジュージューと音を立てている。
挽き肉と野菜の味噌「炒め」を作っているはずだった。
なのにこれが本に載っているような料理になるとは到底思えない。
もう冷凍庫に戻せない姿になってしまった肉を木べらでもてあそびながら、なんとかレシピに沿って事を進めていった。

 終わりが見えない。
いつになったらこの水分が飛んで、炒め物になるんだろう。
野菜と調味料も混ぜ、書いてあることはやりきった。
なのにどうしても味噌「炒め」にはならない。
母にこれでいいのか尋ねながら、必死に涙をこらえた。
「簡単」レシピというものは、私の心を容赦なく抉る。
「簡単」なものすら作れないのだ。
母はいい匂いがすると言ってくれたが、号泣寸前だった。
作れなかった。できなかった。簡単なのに。
今すぐ部屋にこもって、ひとりで泣き喚きたい気分だ。
母がトイレに行った隙に鼻をかもうと洗面所へ行くと、目と鼻を赤くした自分の顔が映った。
これでは取り繕ってもばれてしまう。
たかがこんなことで泣く私が惨めで仕方なかった。

 「おいしいね」
母はそう言ってくれたが、賛同できなかった。
「人が作ってくれた料理は特別おいしい」という命題は多くの人が感じるだろう。
私はそれに加えて「自分で作った料理は不味い」という、裏が真として成り立ってしまう。
小さい頃は母の日に料理を振る舞っていたし、ひとり暮らしをしていた頃は週に何日か自炊をしていた。
得意ではないものの、そこそこのものを作れていたはずなのに。
気付けば私は料理が苦手になっていた。

 夜ご飯を食べ終えて見ていたドラマで「主人格は自分が歩けないと思っている。だから私が見張りの目を盗んで外を歩き、筋肉を動かしているのだ。」と言っていた。
なるほど、思い込みは恐ろしい。
大学卒業前に鬱になった私は、なにもできなかった。
眠るのも起きるのも一苦労だった。
そんな私が複雑な工程を要する料理などできるものか。
そう思い込んでしまった可能性はおおいにある。

 味にうるさい弟も、料理好きな父も、おいしいと言ってくれた。
今の私はその言葉を信じられない。
いつか、自分の料理を食べて「おいしい」と思いたい。

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