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隣に

 まずは生きること。
いま重要なのは、自らの不注意で感染し、家族を巻き添えにして寝込んでいる弟を脳内で責めることではない。

 今日の夕方、病院から陽性との連絡があった。
十中八九そうだろうとは思っていたが、いざ突きつけられると、これまで以上に怒りが湧いてきた。
こうなると分かっていて、遊びに出かけていたのだ。
予定された自分ひとりの副作用より、突然家族全員が2週間ものあいだ自宅待機させられる方を、彼は自ら選んだのだ。
そのことがどうしてもゆるせない。
なぜ?友だちがみな同じように遊んでいるから?
自分は罹らないとでも思った?
仲の良い人というのはつまり価値観が合う人であり、無責任の友だちは無責任だ。
社会に出た時、見えている落とし穴にはまるような奴に、誰が仕事を任せるだろうか。
この程度のリスク管理もできないような奴に。

 両親はすでにワクチンの2回接種を終えているので、感染したとしても重症化しづらいと思われる。
しかし私はまだ1回目も打てていない。
なるべく早く打ちたかったが、順番が回ってこなかった。
それが今日になって、私の世代も受付を開始したとのニュースが流れた。
もちろん医療や政府側は悪くない。
ただ、あと少しだった。
あと少しで、死と隣り合わせの日々を送らずに済んだのに。
どうしてもそう思ってしまう自分がいた。

 私は幸せなことに基礎疾患がなく、年齢的にも健康な部類に入る。
家族が風邪を引いてもほとんど移らず、最後に熱を出したのはいつか思い出せないほど昔のことだ。
しかし、去年の夏には過呼吸で早朝病院へ駆け込んだ。
手足の痙攣、感覚麻痺、思い出すだけでも苦しく怖い体験だった。
大学を中退してしまったのも、正社員としてフルタイムで働くことができないのも、精神面が問題だ。
ストレスを抱えやすく、ここ3年は満足に眠れた日など片手で数えられるほどしかない。
このコロナ禍で、ストレスは溜まる一方だ。
呼吸器系の症状が出やすいコロナウイルスは、私にとって特に恐ろしいものだった。

 それが今、家に持ち込まれている。無責任な行動によって。
こんなにも怖いことはない。
私は今、机の上で戦争をする偉い人によって、滅茶苦茶な作戦を決行させられている兵士の気分だ。
現場の者は皆、無謀だと分かり切っているのに。
間違いなく多くの犠牲が出て、得るものなどないのに。
止められなかった自分が無力で情けなく、高みの見物をしている人たちが憎くてたまらない。

 ところで、私は今ヴァイオレット・エヴァーガーデンのオーケストラコンサートを聴きながら文章を書いている。
もし私の隣にヴァイオレットがいたなら、なんと言うだろう。
他人の感情に聡く、最前線で兵士として戦ってきた彼女が、ともに現場にいたなら。
おそらく私の悲しみや怒りを受け止めたうえで、今すべきことを的確にこなすのではないだろうか。

とにかく生きること。
先を見据えて動くこと。
起きてしまったことを振り返る暇はない。

玲瓏な声で、隙のない身のこなしで、私を導いてくれる。
彼女が現れてくれたおかげで、少し心が柔らかくなった。

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