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「シミュレーション仮説 ー世界は虚構でできている」

世界は、シミュレーションである可能性はほぼ100%である。

哲学者 ニックはこう考えた(WIKIより)

・何らかの文明により、人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築されている可能性がある。

・そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。

・シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。

上記の条件のもと、さらに検討を進め

知的種族は、現実と区別がつかないほど現実性のあるシミュレーションを開発できるほどの技術レベルには到達できない。


そのようなレベルに達した種族は、そのようなシミュレーションを実行しようとしない。

上記が否定できない場合、


我々は、ほぼ確実にそのようなシミュレーションの中で生きている。

といえるとした。

シミュレーションができる場合、それが実行される可能性は極めて高い。それが娯楽か利便性か、はわからないができることが試されるのは十分にあり得る。

そして、その場合、実在する宇宙よりもシミュレーションで作られる世界の方が非常に多くなる。

その世界に住む人々にとっては自分自身がシミュレーションかどうかはわからない。

とすると、単純な確率として存在する宇宙よりもシミュレーションとして存在する世界の方が爆発的に多くなり、そうなるとこの世界が実在するよりもシミュレーションとして存在する方が確率は高くなる。

デカルトも夢と現実の区別はなく、感覚が全て虚構だとしても我々がそれに気づくことはできないと述べている。

この世界が夢だ、という考えは科学以前の哲学的、宗教的、ゼルダの伝説の夢を見る島的に、考えられてきた。

そういった意味で、シミュレーション宇宙仮説は、唐突に感じつつも、科学以前の空想を技術的に換骨奪胎したもの、というふうに言えるかもしれない。

が、一つ。

世界を見渡した時、実在性に疑問を浮かばせるものがある。

量子論・量子力学である。

量子論の主役となる、量子(極小・ミクロレベル時の単位)では存在が確率として表される。

これは、量子の存在が粒子と波の両性を持っているからである。

どういうことか。

電子、というと、粒を思い浮かぶかもしれない。原子核の周りにまわる電子の図形をみたことはあるだろうか? あそこでは電子は、粒として描かれている。

あれはイメージであり、実は正確ではない。

電子は、観測しない場合、波として存在し、粒として存在しないのである。

有名な二重スリット実験では

・観測しない場合は波の性質が現れる

・観測する場合は粒の性質が現れる。

となる。

詳しい実験をすっ飛ばすと、見ていない時と見ている時で結果が変わる、ということである。

ごく普通の実験では、観測時と非観測時に、存在の動きが変わることはない。が、量子レベルでは、見る見ない、により結果が変わるのである。


観測時のみ表示される世界の象り(かたどり)

まるでゲームのようではないだろうか?

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