「ファーストペンギンから考える 例え話の正確性と意味 例え話だけど根拠がないなら例え話の意味なくなくないかもしれない」
ファーストペンギンばなし。
群れで行動するペンギン。その中で1番最初に餌を取るために海に飛び込むペンギンのこと。
海の中に天敵いるかもしれず、荒波に流されるかもしれない危険が孕む中、それでも勇気を出して1番最初に飛び込むことで、より多くの餌が得られるという、
リスクを負うチャレンジでこそ、成功の秘訣的な例え話。
一応調べたところ
「いや、あれは後ろのペンギンに押されて、落ちたペンギンなのさ。そして、その次に飛び込むセカンドペンギンが安全かつ成功も約束されたやつなのさ」
という話もみたんですが、どうやら
わらわら群れでいる中で、適当にしてて
たまたま落ちたペンギンがいると、その拍子で、他のペンギンも落ちていく、というのが本当らしい。
さらにその裏の逆転話があるのかもしれんけど。
ただ、多分、ペンギンが勇気とか、だまくらかし、とかその辺の機微まであるのか、っちゅーと微妙だから、たぶん、動物界の真実は、微妙な感じの適当さにあるのだろう。
となると、成功はたまたまというのが、ファーストペンギンの本当の訓示だともいえる。
となると
「いやいや! そうじゃない、このファーストペンギンは、1番最初にリスクを取ってチャレンジする大切さを説いているんだ!!」
という話になりそうだし、そういうことを多分言いたいのだろう。
「桃太郎で桃から生まれたことに文句をつけるとかないだろう?」
とか。
しかし、そういった昔話と、ファーストペンギンの話に決定的に違うことがある。
それが、創作として語られるか否か。だ。
ファーストペンギンの話をするときに、そういうリスクをとった者の成功譚を讃えたい、ということがあると思う。
そして、それをわかりやすく、端的に伝えるとともに、世の中の摂理としてそうなっている、かのように伝えるのだ。
だって、そうじゃなきゃ、わざわざペンギンを例えに出す意味がない。
事実ベースとして。
しかし、前述のようにそれが真実でないとすると、ファーストペンギンのたとえは例えの意味をなさなくなる。
いや、そうはいってもチャレンジは大切だろう?
というのもあるだろうが、チャレンジの大切さを説くために事実をねじまげていいということではない。
それは、いい感じの言葉を伝えると水の結晶が綺麗になる、というトンデモ話と同じになってしまう。
たとえ耳心地がよく、いい話だとしても、
偽りを真実として伝えるのは、ユガミ。
だったら最初から リスクとってチャレンジしろや!! といおう!
ちょっといい小噺で、いいこといったふうなかんじにならんとこ!!
ではでは。
最後まで読んでくれて thank you !です。感想つきでシェアをして頂けたら一番嬉しいです。Nazy