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音楽と人とわたし #音楽の履歴書


生まれて初めて心に響いた音楽を覚えていますか。
生まれて初めて買ったCDを覚えていますか。


これは私が今までに出会った音楽と、音楽をきっかけに出会った人々の記録。私の「音楽の履歴書」です。



※所々、アーティスト名など敬称略にて失礼いたします。

✳︎

私が住んでいた街のCD屋さんといえば、ホームセンターの隣のTSUTAYA(ツタヤ)だった。

近くにさくらんぼの形のこぢんまりとしたお店(カルチャー焼き屋さん)があったな。懐かしい。今もあるのかな。

このツタヤには小学生の頃、月に一度父に連れて行ってもらっていた。
父のお給料日に好きなものを一つずつ買ってもらえることになっていたから、私も弟も毎月その日を楽しみにしていた。

私が選ぶそれは時に文房具だったり、漫画や本だったり、はたまたぬいぐるみだったり。
「小学◯年生」という雑誌も好きでよく買ってもらったな。


本や文具コーナーの反対側にあるCDコーナーは、小学生の私には未知の世界だった。
当時の私にとって「音楽」と言えば学校の音楽の授業で習うような曲のことで、流行りの音楽や芸能人には疎かったのだ。


そんな私もついに出会ってしまった。運命の音楽に。中学2年生、14歳の秋のこと。 

下校中、クラスメイトのSちゃんに教えてもらった『K』という曲、『BUMP OF CHICKEN』というミュージシャン。


猫が好きな私は、猫が登場するストーリー性のある歌詞にまず惹かれた。
家で何度か聴いていると、ある日母に「天体観測の人たちよな?かっこいい声しちょるよな」と言われて一瞬固まる。


え?声…?
それまで私は歌声というものにほとんど注目していなかったと気付く。
歌声に集中して改めて聴いてみると、なるほど確かにいい声。どうして今まで気付かなかったんだろう…という程に。

声も歌詞もメロディーも、聴く曲どれもが好みだなんて、そんな経験は初めてだった。

当然のように、CDというものが欲しくなった。
中学生になった私は、もう一人でTSUTAYAにだって行ける。
月に一度じゃなくても、おこずかいの範囲で自由に買い物ができるのだ。

初めて足を踏み入れるCDコーナー。
ドキドキしながら、大好きなアーティストの名前を探した。

「邦楽」と書かれた棚の前に立つ。
「あ」行から順番にアーティスト名が並んでいるようだ。私が目指すのは、「は」行。

「は」行の棚まできたところで、目で追うスピードを落とす。
まるで受験の合格発表で自分の名前を探すときのように(と言っても当時の私はまだ受験の経験はないのだけど)

あるか、ないか、ドキドキ…

あった!

いつくか種類があったのか、それしか無かったのか覚えていないけれど、本命の『FLAME VEIN』というBUMPのファーストアルバムは無かったのだろう。
私は『アルエ』という中古のシングルを手に取ってレジへ向かった。

この『アルエ』が、私が生まれてはじめて自分で買ったCDとなる。


その後、2004年5月。15歳の誕生日。
私がBUMPを好きになってはじめて迎える誕生日だった。
私のBUMP好きっぷりは家族にもすっかり知れ渡っていた。

「お誕生日おめでとう」
そう言って母が手渡してくれたプレゼントは、ラッピングの袋越しにCDであることが分かる。

もしかして、BUMP?
なんだろう?『FLAME VEIN』だったらどうしよう…!
私は思わず期待してしまった。

「ありがとう。開けてもいい?」
ドキドキしながら袋を解くと… 中に入っていたのは見慣れないジャケット写真。

BUMP…じゃない。
それは、尾崎豊さんのトリビュートアルバムだった。

???
なぜ、尾崎豊さん?

いや、心当たりはある。
中学の国語の先生が尾崎豊さんのファンで、授業中にライブのビデオ(当時はDVDではなくビデオだった)をよく流していた影響で、私もたまに家で聴いていたのだ。それを母は知っていた。

うん、確かに尾崎豊さんも好き。
けど、BUMPじゃなくてちょっと残念… というのが正直な気持ちだった。
でも、添えられた手紙を読んだら母らしさに思わずクスッとなったよ。

大好きなバンプのCDを探したけど見つけられなかったので、今回はこのCDで納得って下さい。又、いつか…


私のためにBUMPのCDを探してくれたこと、見つからなくて尾崎豊さんをチョイスしたところ。なんとも母らしい。
盗んだバイクで走り出すどころか、母の優しさにしみじみと感謝した15の夜。

それにこのトリビュートアルバム、Coccoに宇多田ヒカル、ミスチル、斉藤和義、マッキーこと槇原敬之さんなどなど参加アーティストがとっても豪華なのですよ。懐かしの175R(イナゴライダー)も。
おすすめです。

ちなみに私が喉から手が出るほど欲した『FLAME VEIN』というアルバムには、廃盤になったものとその後2004年4月に再リリースされた『FLAME VEIN+1』の2種類があり、後者は私も持所持しています。
『バトルクライ』っていうとてもいい曲が追加で収録されているよ)

廃盤となった方の『FLAME VEIN』は当時から既にレアな品で、帯には『情熱は約束を守る』というフレーズが刻まれている。
私はこのフレーズに当時感銘を受け、お守りのようにしていた。

私がBUMPを好きになってから地元を離れるまでの間、BUMPは地元(大分県)にも2度ライブで訪れていて。

1度目は、チケットが手に入らず断念。
(ここにもちょっとしたドラマ?があるのですが、長くなるので今は割愛)

そして2度目のチャンスが訪れたとき、高校受験の時期にあった私は願掛けをした。
『情熱は約束を守る』と書いた紙を机の前に貼り付け、テスト勉強に励んだのだ。
期末テストで全教科90点以上(80点以上だったかもしれない)とれたら、きっとライブに行ける…!と。

もちろん、そんな約束になんの効力もない。そもそも私が一方的に願掛けするのであって約束ですらない。
全教科90点以上とれたとして、チケットが手に入るかどうかは全く関係ない。わかっている。
結果的に私はテストで目標を達成したものの、チケットは当たらなかった。
でも、それで誰を恨むわけでもない。

多分私は、「頑張る理由」がほしかったのだと思う。
BUMPのおかげで頑張れた。それは紛れもない事実として私の中に残っている。


その後も私はお小遣いやお年玉で中古品を中心にBUMPのCDを買い集めていった。廃盤となっているもの以外は、揃ったんじゃないかと思う。

そして、2004年8月25日。アルバム『ユグドラシル』リリース。
私がBUMPを好きになってから初めてリアルタイムで購入したCDだった。

親に借りたCDラジカセで、毎日のように聴いた。
悲しいことがあったときは、ラジカセと一緒に布団にくるまって、嫌なことを遮るようにイヤホンで耳を塞いで音楽を浴びた。
誰にも邪魔されない、音楽と私との一対一の世界が好きだった。

そういえば、そのラジカセでポンツカ(BUMPのレギュラーラジオ番組)も初めて聴いたんだった。
ダイヤルを回して、4人の声が聴こえてきたときの何ともいえぬ感動を覚えている。


あれから10年以上が経った。
毛布の内側に逃げ込むことはほぼなくなったし、音楽にすがり救いを求めるような聴き方もあまりしなくなった。

それでもBUMPの音楽は今でもずっと私の心の側にある。


ちなみに、BUMPでいちばん好きな曲なに?と聴かれたら「全部…!」と言いたいのをグッとこらえて『メロディーフラッグ』と答えるようにしています。

このMVが収録されているビデオ(先述のように、当時はDVDでもBlu-rayでもなく、ビデオ)を持ってて、何度も何度も見たなぁ。
今は公式YouTubeで見られるなんて、ありがたい。

〈そこで涙をこぼしても
誰も気付かない 何も変わらない〉

当時めちゃくちゃ泣き虫だった私は、この歌詞にハッとさせられて。お守りのようにしてきました。
今はもう、昔ほど泣き虫じゃないけれど。
それでもなんとなく、「BUMPでいちばん好きな曲なに?」って聴かれたら「全… メロディーフラッグです」って答える。


いつかライブでメロディーフラッグを聴くのが夢。

私はTwitterのプロフィール欄(?)で好きなアーティストとしてBUMP OF CHICKEN、Perfume、シナリオアート、amazarashiの4アーティストを並べているけれど、それ以外にも好きなアーティストはたくさんいる。
それぞれに、好きになったきっかけや忘れ難いエピソードがある。

そんな、私が好きな音楽との出会いを時系列を追って書いてみようかなと思う。
自分のための文章。私だけの、音楽の履歴書。


【小学生時代】

BUMPに出会うまでの私にとっての「音楽」といえば童謡や音楽の授業で習うようなもののことだった…というのは先述の通り。

でも、それ以外で記憶に残っている音楽も僅かながらある。
例えば、小学1年生のとき友だちのお母さんの車でかかっていてとても印象に残ったサザンオールスターズの『愛の言霊』
(なぜか郷ひろみさんだと記憶していて、最初は検索してもヒットしなかった)

当時は歌詞の意味も分からず、ただ旋律が好みだったのだろうけど…
今、改めて歌詞を知ってみても意味がわからなかった。いや、わるい意味ではなくて。
サザンってすごいんだなぁ…

運動会で踊ったBLACK BISCUITS(ブラックビスケッツ)の『タイミング』は大人になって聴いた時に「こんな素敵な歌詞だったんだ」と気付いた。
同じ頃に流行っていたポケットビスケッツの『yellow yellow happy』の〈もしも 生まれ変わっても また私に生まれたい〉というフレーズもよく覚えている。
モーニング娘。も流行っていたから結構覚えてるな。

あとは、「月の歌」っていう朝の会で歌う月替わりの歌で知った岡本孝子さんの『夢をあきらめないで』は今でもカラオケで歌う。


両親からの影響についても記しておきたい。

父は浜田省吾(ハマショー)さんの大ファンだ。
母については父ほどはっきりしていないけれど、ZARDをよく聴いていたイメージがある。

子どもの頃の私は、父は浜田省吾さんに似ているし、母はZARDの坂井泉さんに似ているなぁと思っていた。
浜田省吾さんはそもそも常にサングラスをかけていて素顔は公表していないのだけど、サングラスをかけた父は浜田省吾さんによく似ていたと記憶している。壁に貼られているポスターが父に見えることが何度もあった。

憧れの人に近づきたいという気持ちの表れなのか、好きな人にはなんとなく雰囲気が似るものなのかもしれないなぁ。

父の車では常に浜田省吾さんの曲がかかっていて、今でも「誰もがぁぁ WowWowWo〜 泣いてる〜」というフレーズは記憶に残っている。
『悲しみは雪のように』という曲らしい。


今から6年ほど前のBUMPのライブ会場にて、BUMPのリスナーでありハマショーファンでもある女性にお会いしたことがある。
私の父も浜田省吾さん好きなんですよ〜という話で盛り上がったのだけど、その際に「よく洗脳されなかったね」と言われた。

確かに。
あれだけ幼い頃から家でも車でもハマショーの曲が流れていたのに、なんなら母のお腹の中にいるときから聴いていたかもしれないのに。
私はハマショーには目もくれず、どっぷりBUMPへはまっていった。

でもね。
『紫陽花のうた』っていう曲はけっこういいなって思ってて。

こうして歳を重ねてから改めて聴いてみると、前にそう思ったときよりもずっと「いいな」って感じられる自分がいて。沁みるなぁ。
私も浜田省吾さんの良さがわかる年齢になってきたってことなのかな。

…年齢は関係ないか。今の私の歳の頃にはすでに(とっくに)浜田省吾さんが好きだったよね父は。

BUMPのライブ会場でお会いした女性も、元気でいらっしゃるかな。
貴女にいただいたBUMPのパーカーは今でも愛用しています。



【中学生時代】

春、中学1年生。
新入生歓迎会にて、ブラスバンド部が演奏した『島唄』のメロディーに心を奪われる。しかしブラスバンド部には入らなかった。美術部に入部。

BUMPとの出会いは前述の通り。
私にBUMPを教えてくれたSちゃんは、ハルカリもいいよーと教えてくれて、ハルカリも一時的に聴いていました。
「ギリギリ・サーフライダー」とか「エレクトリック先生」とか、懐かしい。

公式動画、このカバーアレンジバージョンしか見つけられなかった。
でもこのいい具合に力が抜けて無機質な感じ好きだな。


もうひとつ、Sちゃんの影響で一時的にはまっていたのが、ネットゲームのサイト。
「アバター」と呼ばれる自分の分身を作ってオンライン上で対戦ゲームをしたり、メッセージなどでコミュニケーションもとれるようなサイトだった。

その時によくメッセージでやり取りしていたロック好きの大学生(当時)とは音楽の話で盛り上がった。
そしてその人の影響で一時的に聴いていたのがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTBLANKEY JET CITY
BUMPから、突然の骨太ロックに親もびっくり。

特にミッシェルの「世界の終わり」という曲が好きで、曲をモチーフにした絵を描こうとしたこともある(結局描けなかったけど)


私はそのネットゲームにどんどん夢中になっていった。
ゲームよりも、人との交流やアバター作りの方に。
アバター用の服やアイテムに課金するようになったところで、ふと…「このままでいいのかな?」と思うようになる。

ゲームに夢中になりすぎて、他のことが疎かになっている気がする… 私が本当に大事にしたいことはなんだっけ…
そう自分に問うたとき、「今はここじゃない」そう感じてネットゲームをきっぱりと卒業した。

でも、あのとき触れた音楽はしっかりと私の中に残っています。


BUMPを好きになって1年程が経った中3の秋頃。
初めて音楽雑誌を買った。
2004年8月20日に発行された、rockin'on JAPANの8月号
アルバム『ユグドラシル』完成に寄せてのインタビューが掲載されていた。

私はそのインタビューでボーカル藤原基央さんが語ったある言葉に、雷に撃たれたような衝撃を受ける。

人前で歌うことが苦手だった。苦手というより、恐怖だった。人前では鼻歌すら歌えなかった。

そんな私に、「私も人前で歌えるようになりたい」と思わせた言葉。
そこから私は秘かに音楽の道を目指し始める…。

地元を離れて一人暮らしをするときも、結婚後に何度か引っ越しをしたときも、手離すことなくずっと手元に残してきた私にとってのバイブルとも言える、大切な一冊。


そのBUMPが2004年9月、the pillows(ザ・ピロウズ)のトリビュートアルバムに参加。
BUMPがトリビュートした『ハイブリッド レインボウ』がそれはもう絶品だった。
BUMPが好きだから贔屓目入ってる部分もあるかもしれないけれど、いや、そうじゃなくても絶賛したんじゃないかと思うほど見事なトリビュートだった。

当然のごとくピロウズの原曲も聴いてみたくなってアルバムを購入。
そしたらBUMPバージョンと全然印象が違ったものだから余計に驚いた。どっちも、とてもいい。

原曲と全く違うアレンジをしながら原曲の魅力をさらに引き出し、なおかつ「これ、BUMPの曲だっけ…?」と錯覚させられるほどBUMPの色も出したアレンジ。もう天晴れとしか言いようがない。

結果としてそのトリビュートアルバムをきっかけにピロウズにも一時期はまり、CD(アルバム)も何枚か所持しているのだから少なくとも私にとっては大成功なトリビュートだったと思う。おすすめです。


私は中学3年生になっていた。
合唱コンクールでクラスの入退場曲として用いられたQUEEN『We Will Rock You』と『We are the champion』も思い出深い曲だ。

中3のときのクラスは他のクラスからも「仲良しクラス」と呼ばれるくらいに仲がよかった。先生も含めて。
担任のK先生は最初は無表情でクールな印象だったけれど、クラスのみんなの声かけに絆されて少しずつ笑うようになり、冗談も言うようになり、慕われるようになっていった。
入退場曲のQUEENはK先生の提案だったと記憶している。
K先生、元気でいらっしゃいますか?


合唱コンクールが終わると、高校受験へまっしぐら。
無事に志望校に合格できた私は、合格祝いとしてアコースティックギターを買ってもらう。
趣味だと思われたのか、意外にもあっさりとギターを始めることを認めてくれたので驚いた。

私が進む高校は、「調理科」という料理について学べる科がある私立高校。
小学生の頃から料理が好きだった私のその選択に両親も賛同してくれた(公立行ってほしいとは少し言われたけれど)

まだ両親には内緒だったけれど、その頃すでに私の心は料理の道と音楽の道とで揺れていた。



【高校生時代】

晴れて、高校入学。
授業で料理を学びつつ、部活でバンド活動をするつもりでいた私は軽音楽部に入る気満々だった。

けど、入学してみたらあると思っていた軽音部がなかった。それどころかブラスバンド部もなかった。
己の下調べ不足(爪の甘さ)により、いきなり出端をくじかれる。
結果、いちばん音楽っぽい(リズム感鍛えられそう)という理由で和太鼓部に入部した。

高校には、中学のときの同級生がほとんどいなかった。
調理科においては、顔見知りは誰ひとりとして居ない。

そんな中、BUMP OF CHICKENが好きだという人に2人も出会えたのはうれしかったな。
(しかも、それぞれの誕生日が4月11日と4月13日で。BUMPのボーカル藤原さんのお誕生日4月12日をサンドイッチするという奇跡)

そのうちの1人とはのちにバンドを組むことになるのだけど、その前に。

私に「バンドやろうぜ」と誘ってくれた人がいる。S君とする。
私とS君とで男女ツインボーカル(ツインギター)でやろう!という話になって、すぐにドラムとベースのメンバーを探したら同じ科から2人集まった。
そのベースのメンバーが、先述のBUMPが好きなうちのひとり、T君。
中学生の頃から秘かに憧れていたバンドを、こんなトントン拍子に結成できるだなんて…!

自分の運の良さに舞い上がったのも束の間、そのバンドは数回スタジオに入ったのみでほとんど活動らしい活動もしないまま消滅してしまうのだけど…

最初にこの曲を練習しよう、とS君が提案したのが
THE BACK HORN『夢の花』で、S君にアルバムを貸してもらって早速家で聴いてみた。
『夢の花』は、バックホーンの中ではバラード寄りの曲だと思う。これなら私でも歌いやすいかもしれないと思った。

バックホーンのボーカル山田将司さんは最初はとてもクセの強い歌声だなぁと思ったけれど、人間くさくてどこか文学的な歌詞とロックなサウンドに魅了されて聴くうちに、いつしか声にもはまっていった。

その頃私は乙一さんの小説にもはまっていて、乙一さんとバックホーンのどちらが先だったか時系列が曖昧ではあるものの、乙一さんの『ZOO』という短編集が映画化された際の主題歌がバックホーンの『奇跡』という曲で、これまた好みにドンピシャな曲だったため『奇跡』が含まれているアルバムも購入した。

※怖いのが苦手な方は要注意なMV

映画『ZOO』のDVD、うちにあるんですけど怖くて見返せない…
唯一アニメーションの「ひだまりの詩」だけはなんとか大丈夫。

小説の方も持ってるんですけど、読み返す勇気がない…
私はとにかくホラーとか怖いのが苦手なのですが、なぜ乙一さんにはまってしまったのか謎。

いや、本当は謎じゃない。
乙一さんには「白乙一」「黒乙一」と呼ばれる作風があって、白乙一は切なくて優しいハートウォーミング系のお話。
黒乙一は全身の身の毛がよだつホラーでミステリーなお話。
私が最初に手に取ったのが、いわゆる「白乙一」作品だったんですよね。

で、感動して他の作品読んでみたら作風が違いすぎて驚いたっていう。
短編集『ZOO』には5つの物語が収録されているのですがほぼ全話「黒乙一」と言えると思います。
(「ひだまりの詩」は白っぽいんだけど、これだけ黒揃いの中にいると怖いと錯覚してしまう)

それでも当時、白のみならず黒乙一作品にも手を出していたのは… どこかにある希望や人間ドラマに惹かれていたから。乙一さんはその辺りの心理描写が絶妙だったのだと思う。


バックホーンもまた、黒寄りの曲と白寄りの曲があるように私は感じていて。
そう考えると、バックホーンが主題歌に抜擢されたのは必然的な巡り合わせだったのかも。

バックホーンもいつかライブに行ってみたいアーティストのひとりです。


高校2年生になって、クラス替え。
仲がよかった人たちみんな、隣のクラスにまとまってしまった。
バンドを組んでいたS君も、T君も、ドラムのR君も。仲がよかった女の子も、みんな。

それから卒業までの2年間、私はあまり新しいクラスの空気に馴染めなかった。ずっと、隣のクラスが羨ましかった。

クラスの中心人物的な男の子がいて、その人を中心に教室に渦巻く雰囲気が私にはとても苦しかった。
まるで狭い水槽に閉じ込められているような、息苦しさ。
優しい人、親身になってくれる人も確かにいたはずなんだけどね。


その頃の私は、家にも学校(クラス)にも自分の居場所がないような気がしていて、放課後に駅前地下道へ寄って路上ミュージシャンの歌を聴くことを心の拠り所にしていた。
自転車通学だった私は、本来なら駅方面へ用事はないはずなのだけど。

何人かいる路上ミュージシャンのうちの1人は、同じ学校の生徒だった。しかも隣のクラス。M君とする。
M君は唄人羽(うたいびと はね)というアーティストのファンで、よく唄人羽の曲をカバーして歌っていた。
中でも特に私が好きだった曲が、『リライ』

イントロのアルペジオからして好みだし、曲の構成も面白い。
まず、イントロからAメロ→Bメロまでほぼ2つのコードの繰り返し(実際にギターで弾くとけっこう指がつらい。痛い)
そして、間奏を挟んでのBメロがかなり盛り上がるのでそこがサビかと思いきや、そのあと本当のサビが訪れるので、まるでサビが2回あるかのような錯覚に陥る。二度おいしい(?)

これまたM君がお腹の底からものすごい声量と熱量で歌い上げるので、それが地下道に反響すると圧倒された。何度もひっそり泣きました。
特に冬に聴く「リライ」はとても沁みる。冬の地下道めちゃくちゃ寒いけど…(寒いの苦手)

リライを聴くと、一瞬であの頃にタイムスリップできちゃうんだよな…

唄人羽が地元のショッピングモールでライブを行うことになって観に行ったことがあるのですが、当然ながらご本人様の迫力もものすごかった。その場でCDを買って帰りました。

M君は私にギターのコツや声の出し方を教えてくれたりもしました。
M君のおかげもあって、私は「人前で歌えない自分」を少しずつ克服していくのだけどその話はまたいつか。

M君は本当にすごい歌を歌う人で、地下道に居座っているあいだ彼の歌に足を止めて聴き入る人を何人も見てきた。
同じ調理科の男の子(その人も、とても声が綺麗でカホンもギターも上手い)とユニットを組んでいて、学祭や地元のイベントで歌ったりもして。

ある時、イベントで賞をとったんだっけな。ローカル新聞でも2人が取り上げられて。
その頃から、駅前地下道の一角に小さなライトが取り付けられた。壁には歌を歌っている人のイラストのようなものが貼られて。
それはまるで、M君はじめ路上ミュージシャンのために用意されたステージのようだった。

路上ライブって、いろいろ規制にひっかかるグレーなところがあるので、歌っていると警察から注意があったりするんです。
そうなったら、すぐさま楽器類を片付けて立ち退くしかない。
でも、地下道の一角に備え付けられた小さなスポットライトはまるで「ここで歌っていいよ」と言ってもらえているようで、とても嬉しかった。
彼らが、路上ミュージシャンたちが街から認めてもらえたようで。

残念ながら、3年前に私が地元へ帰ったときにはその形跡はなくなっていたのですが…。
M君、路上のみんな、今もどこかで歌っているでしょうか。


相変わらず乙一さんの小説にはまっていた私はある日、本屋で運命の(?)一冊に出会う。

「暗いところで待ち合わせ」

表紙とタイトルが怖い雰囲気醸し出してるけど、白乙一作品です。

映画化もされていて、1人で観に行きました。
そのときの主題歌が、メレンゲ『underworld』という曲で。
映画のエンディングでこの曲が流れたとき、ぽろぽろと涙が流れた。

ボーカル、クボケンジさんの声がやさしくて。落ち着く。
サウンドもかなり好みのバンドで、アルバムも2つほど購入してはまりました。
「nuderworld」は今でもカラオケに行くと歌います。

その後の情報とかはあまり追っていなかったのですが、少し前にメレンゲの音楽に再び触れる機会があって。

その時に出会った『クレーター』という曲がとても良くて、あぁ やっぱり好きだなぁと。

アニメ『宇宙兄弟』のオープニング曲らしいので、聴いたことある人もいるかもしれない。


先述の、一時的に結成したバンドでベースを担当していたT君。
実は過去にも何度か私のnoteに登場しているのですが(これとか、こことか)
私の人生において結構な重要人物で。その話は今ここですると長くなるので割愛。

T君とはBUMPやお菓子作りという共通の趣味嗜好で親しかったのですが、BUMPの他にもT君から影響を受けて好きになったアーティストがいて、それがSalyu(サリュ)さん。

Salyuの歌声は衝撃的でした。
それまであまり女性ボーカルに惹かれなかった私が初めて好きになった女性アーティストがSalyuだと思う(母の影響でZARDは好きだったけど)

Salyuさんについては以前にも詳しく語っているのでリンクにて割愛。


Salyuさんはもともとポテンシャルが高くはあるのですが、ある時期からスパーン!と突き抜けたような印象を抱くようになって。
私の中でそれは『EXTENSION』の辺り。

なんというか、生まれ変わったというか一皮剥けたというか、「新しいSalyu」という衝撃を受けたのを覚えてる。もちろんいい意味での。

こちらは初期の頃のSalyu。

この頃の歌声はまた、唯一無二な感じがあって大好きで。

聴き比べてみると、なかなか面白いかも。
どっちのSalyuも好き。いつか生で歌声を聴いてみたい…

ちなみに映画『リリィシュシュのすべて』における架空のシンガーソングライター『Lily Chou-Chou』の歌声も、Salyuによるもの。


あと、これはT君の影響というわけじゃないけれど、RADWIMPSを知ってちょっといいなー好きかもなぁって思い始めていた同じくらいのタイミングでT君もRADにはまりつつあったと知り、「いいよね!」と盛り上がったりもしたな。


T君からは物理的にも譲り受けたものがあって。
なんとiPod nanoなんですけど。

ことの経緯はこう。
ある日私は路上ミュージシャンのM君から唄人羽の曲が入ったMDをもらうのですが、MDプレイヤーを持っていなかったため聴くことができずに困っていました。
するとT君が、使わなくなったMDプレイヤーがあるからあげるよと言うではありませんか。
MDプレイヤーなんてそんな高価なもの、いいの…!?

しかしT君、家でMDプレイヤーを探したけど捨てちゃったみたいで無かったから、代わりにこれでゴメン…!と。そうして差し出されたのがiPod nanoだったのです。

いやいやいや、いいの…!?
値段知らないけど、多分高そう。しかもまだ新そう。
そんなもの簡単に人にあげちゃって本当にいいの???

結果として、受け取ったわけですが…。

結局MDを聴くことはできませんでしたが、T君にもらったiPad nanoはこの後の専門学校時代に大活躍するのです。

久しぶりに取り出してみたら、液晶にヒビが入っちゃってた。

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愛用しすぎてもともとほぼ寿命だったけれど、数年前に電源を入れたときはまだ再生できてたんだけどな。今度こそ動かなくなってしまった。

中に入ってる曲名を見るだけでいろんなこと思い出せたから、もう見られないのは残念だな。
でもありがとう。

T君、いまもどこかで元気でいるかなぁ。


【専門学生時代】

高校を卒業後は、音楽の専門学校へ進学。
(親にはめちゃくちゃ反対されたけど、最終的にいろいろ条件付きで認めてもらった)

地元を離れ、大阪でのひとり暮らし。
父が車で片道9時間かけて私を大阪へ送る道すがら、車内のラジオで流れていた曲のことをなぜか覚えている。

特徴的な女性の声で、同じフレーズを繰り返し歌っていたため耳に残ったのだろうか。
その時はまだ彼女の、彼女たちの名前も知らなかった。
後にPerfumeに出会うまでは。


専門学校では、授業での課題曲などの影響もあってそれまでの私に比べればたくさんのアーティストや音楽に触れた。
代わりに、BUMPをあまり聴かなくなっていったのもこの頃。必然的といえば、そうなんだけど。

BUMP自体も、この頃はあまり活動的ではなかったように思う。ライブもなかったし(時間的にも金銭的にもいちばん余裕のあった頃だから、この時期にライブがあったら迷わず行ってただろうな。もちろん、チケットが当たればの話)

「今までに比べれば」あまり聴かなくなったというだけで、私がBUMP大好きであることは同級生にも先生たちにも知れ渡っていたのだけど。

K先生とBUMPの『花の名』の話もしたいところだけど、それはまた今度にしよう。


課題曲の練習には、T君からもらったiPad nanoが大活躍した。
フレーズを秒単位で繰り返し聴けるから、何度も聴いてはノートに写した歌詞に書き込みをして、実際に歌って録音して、聴いて、歌い方を研究した。

ある時、学内でのイベントで歌うためにHARCO(現、青木慶則)『世界でいちばん頑張ってる君に』を練習するべくCDを購入した。

〈僕は知ってるよ ちゃんと見てるよ 頑張ってる君のこと
ずっと守ってあげたいから 君のためのアルト♪〉

スズキのアルトのCMを覚えている人もいるかもしれない。私もCMをきっかけにこの曲に出会ったから。

この曲もとても好きなんだけど、カップリングのね、『ソングバード』っていう曲がものすごく好きで。
CDを買わなければ出会えなかっただろう曲。出会えてよかった。

なんでなのか分からない。分からないけど、この曲を聴くとなんとも言えない気持ちになる。
心の奥の方の、自分でも忘れてしまってるような何か大切なことを呼び起こされるような感覚。空を飛びたくなるような。

この曲もたくさん聴いてたくさん練習した。今でもカラオケで歌う。
ただ、聴いてもらうと分かるんだけどこの曲決してカラオケ向きの曲ではない。
少なくとも1人で歌うような曲ではない(コーラスがあって成り立つというか)。無理矢理1人で歌っちゃうんだけどね。好きだから。 


専門学校2年生の頃だったと思う。
ようやく私はPerfumeに辿り着く。
Perfumeが『チョコレイト・ディスコ』でブレイクしてその名が知れ渡るようになった頃もまだ、私の中で「父の車で流れていたあの曲」を歌っていたアーティストとPerfumeはイコールで繋がっていなかった。
でも、きっかけは思い出せないのだけどある時Perfumeのライブ映像を目にして、衝撃を受けた。

「Perfumeってこんなにカッコいいんだ!ライブ行ってみたいなぁ!」

Perfumeの動画に次々はまる流れの中で、「父の車で流れていたあの曲」である『SEVENTH HEAVEN』にも辿り着いた。
我ながらよく覚えていたなとは思う。
しかしPerfumeとの出会いは発展することなく、一度ここで途切れる。


専門学校には、図書館のCDバージョンみたいな部屋があって。学生はCD借り放題という、夢のような場所だった(けど、その割に利用する人が少ないとよく先生が嘆いていた)

私もあんまり冒険するタイプではなかったのでごめんなさいなんだけど(今となってはすごく勿体なかったよなぁ…)
でも、ひとつだけ忘れられない出会いがある。

ある日その部屋でなんとなく手に取って、ジャケ借りしたCD。
『レイモンズ』という名前のバンド?だった。

当時その名をネットで調べたときも詳細が不明で、謎多きバンドで。もしかしたら既に活動していないバンドだったりしたのかもしれない。

でも、レイモンズの音楽はとても私の好みだった。
なんとなく借りたCDが、好みだとなんかとても嬉しい。

レイモンズの曲は例のiPod nanoにも入れてたんだけど、再生できなくなってしまった今となってはもう聴く手段がない。どんな曲だったのかも、ほとんど思い出せない。
でも、レイモンズという名前と、その音楽を聴いてとても心動かされた事実だけはずっと覚えている。


※正体不明のバンドという記憶のまま止まっていたのですが、この文章を書く際に試しに「レイモンズ」と検索してみました。そしたら…


あれ… もしかして?
この人たちな気がする。

「以前レイモンズというバンドやってました」と書いてあるTwitterアカウントも見つかったのですが… 果たして?



【専門学校卒業後〜現在】

専門学校卒業後、私は秘かな計画を立てていた。
貯金をためて、ギターと一緒に日本一周の旅をしよう。旅をしながら曲を作ろう、と。

でも、間もなく自分が子どもを身篭っていることを知る。
情け無く、無責任な話なのですが、自分の人生において予想していなかったことでした。
でも、初めてエコーで動く心臓を見たときは「この子を産むんだ」としか思えなかった。

結局、日本一周の計画は断念。と言うよりは、その時完全に私の脳内が「音楽」モードから「子育て」モードに切り替わった感覚で。

でも、産後の自分には予想外のことが次々起こった。
朝に強かったけど、起きられなくなった。仕事に行かなきゃだから起きるけれど、身体がしんどい。でも行かなきゃ。泣きたくなる。
休みの日も、休んだ気がまるでしなかった。

そして、あんなに大好きだったBUMPの曲に心を動かされなくなっている自分に気付いてしまった。ショックだった。

これってもしかして… ほら、好きだったことにも興味が持てなくなるってよく言う、あれ。

「産後うつ」、その言葉が頭によぎる。
どうしよう、ずっとこのままだったらどうしよう…

そんな私の心の隙間に、スッと入り込んできたのがPerfumeだった。
Perfumeの音楽を聴いて、3人のダンスを観て感動できる自分がいる。よかった、まだ大丈夫だ。そう思えた。

Perfumeにどんどんのめり込んでいって、同じくらいの時期にブログも始めた。
昔から好きだった、文章を書くこと。自分へのリハビリのつもりで始めたブログもまた、数年かけて私を少しずつ元気な方向へと導いてくれた。

Perfumeは年齢もちょうど私のひとつ上で、憧れのお姉さん的存在でもある。
昔から「女の子らしい」と言われることに少し抵抗があったけれど、Perfumeのキラキラしたオーラに憧れて、ずっと封印していたスカートをまた履くようになったのもこの頃。最近はまたズボンばっかり履いてるけど。

この時期は、Perfumeと『おかあさんといっしょ』が心の支えだった。
そう、Eテレの。子ども向け番組のあの「おかあさんといっしょ」

いかにして仕事を早く終わらせて、「おかあさんといっしょ」に間に合う時間に帰るか… ということに命をかけていた(命をかけるはさすがに言いすぎたかも)

特に、たくみお姉さんが大好きで。
当たり前と言えばそうなんだけど、滲み出るプロ意識がとてもカッコよくて憧れた。
憧れるあまり、一時的に「歌のおねえさん」に本気でなろうとしてた。
と言ってもEテレのではなくて、ショッピングモールのイベントなどで歌うお姉さん。

「お姉さん」っていうか、その時すでに「お母さん」だったんだけど、私。
でも、とある事務所の歌のお姉さんは小さなお子さんのいるお母さんで。
25歳以下という条件も当時は満たしていたので、応募してみた。
そしたら、いいお返事をいただけたのだけど…
レッスンに通うための交通費もろもろの費用がどうしても捻出できなくて、結局辞退してしまった。残念だったなぁ。

とはいえ私は元来「歌のおねえさん」というキャラではないので、子どもたちに向かって「みんな〜!元気〜?」なんて言おうものなら、「おねえさんこそ、元気〜?」って心配されちゃうと思うんだけども。

でも、応募もせずに諦めて後悔するよりはよかったのかなと思う。

子ども向けの歌、よく聴くと大人にも響く歌詞だったりして、しみじみといい曲がたくさんです。よかったら大人のみなさんも聴いてみてくださいね。

お正月にこんな番組があるよ(再放送)

いろんなアーティストさんが子ども向けの歌をカバーしている、ストーリー仕立ての楽しい番組です。
うちの子たちは何度も録画したのを見るくらいお気に入り。


Perfumeを好きになった繋がりで、BABYMETALにも出会う。
振付師が、同じMIKIKO先生なんです。
今年は紅白にも初出場するので、たのしみ!

夫はヘヴィメタルが好きで。私はあんまりヘヴィメタルって聴かなくて。
BUMPはわりと好きみたいだけど、私が好む音楽はだいたい夫にはあんまり刺さらなくて。
音楽をきっかけに出会ってるのに、音楽の趣味があんまり合わないっていう。

でも、ヘヴィメタ好きで過去にはアイドルにもはまったこともある夫、BABYMETALは好きになるんじゃない?と思って、この曲いいよーと勧めてみる。

そしたら最初はイマイチな反応だったのだけど、しばらくしたらいつの間にかアルバムを買ってて
「ねぇ、こういうの歌ってみてよ」
と、言ってきました。
私が先にBABYMETALを夫に勧めたことは完全に忘れているようでした。なんでなん。

メインボーカルのSU-METALことすぅちゃん(中元すず香)の声が本当にパワフルで聴いてて気持ちよくて。
目的の音にスパーン!と一直線に伸びるような歌唱が本当に魅力的なので、未視聴の方はぜひ紅白で。


Perfumeにはまった頃辺りに始めたブログでは、好きな音楽のことや子どものこと、作ったお菓子のことなど、好きなことについて雑多に綴っている。

BUMPについて書いたことも多々あって、それをきっかけに何人かのBUMPリスナーさんとの繋がりも生まれた。
そのうちの1人の方をきっかけに、ある日また新しい音楽に出会った。それがシナリオアート


初めて『ナイトフライング』を聴いた(見た)ときの衝撃ったら。
(できれば、何の前情報もなしにまずはMVを見て聴いてほしい)

最初、ボーカルの男の人優しくていい声だなぁって聴いてた。
そしたら、次のフレーズで女性も歌い始めて、わぁ!この方も優しくてきれいな声…!と聴き入る。

次の瞬間、その女性がドラムの前に座っていて「おや?」となる。
そしたら、がっつり歌いながらパワフルにドラムを叩き始めたのでびっくらした。

そう、シナリオアートは男女ツインボーカルのスリーピースバンド。
1人はギターボーカルで、1人はベースコーラス、そしてもう1人はドラムボーカルという構成だった。

とにかく私はドラムボーカルのクミコさんに驚いて、こんなに派手にドラムを叩きながらメインで歌える人がいるのかと。
(MV、2分51秒辺りからの「ドレミファソラシド〜」の部分はPerfumeのあ〜ちゃんも絶賛していました)

ライブでも、ブレずにこの迫力のまま(それ以上に)歌って叩くので圧巻です。

『ナイトフライング』で衝撃を受けて、つづけて聴いた『アオイコドク』もまた好みで心が躍る。

そして、『フユウ』で完全におちた。
あぁ、これは好きなやつだ… って。


シナリオアートというバンド名がまず、いい。
シナリオでアートなんだもん。
名は体を表すかのごとく、シナリオアートの曲は物語性のある歌詞が魅力だと思う。

ライブにも何度か行ったことがあるのだけど、ステージ構成も特徴的で。

ボーカルやギター、ベースの人が前にいて、ドラムの人は後方真ん中にいるのがよく見る構成なんじゃないかと思う。
シナリオアートの場合は真ん中にギターボーカルのコウスケさん、下手側にベースコーラスのヤマシタさん、そして上手側にドラムボーカルのクミコさんという構成。
つまり、ドラムのクミコさんも前方で演奏している。

初めてシナリオアートのライブに行ったとき、私は上手側の最前列だったためクミコさんのドラムボーカルを間近で観ることができた。ものすごい迫力だった…。
普段後ろに配置されることが多くなかなか見ることができないドラムのセッティングや足元の動きなんかもよく見えて… なんて贅沢なんだろうと。

そのライブは『GLICO LIVE NEXT』という対バン形式のイベントだったのだけど、チケット2000円という安さでありながら、豪華なアーティスト陣にグリコの商品のお土産付きという、太っ腹なイベントでした。
(リンクを貼るためにHP覗いたら、出てきたメッセージにグッときた。応援しています、グリコライブさん!)

ちなみにこの日の出演者ラインナップはハルカトミユキAwesome City ClubLANP IN TERREN、そしてシナリオアート。
目的はシナリオアートだったとはいえ、他のアーティストも皆素晴らしくて「対バンっていいなぁ」と感じられた忘れられないライブ。

Awesome City Clubの『4月のマーチ』、とても好き。



他にも印象に残っているのが、これまた対バン形式というか野外フェスみたいなイベントだったのだけど清水温泉さん主催の『ヤングライオン祭り´16』

チケット1126(いい風呂)円という破格のイベント。
シナリオアート以外のアーティストはほぼ知らない状態での参戦でしたが、終わる頃には「もう一度今日のライブを最初から最後まで観たい…」と思うくらい魅力的なアーティスト揃いでした。

まだ5月にもかかわらず真夏のように日差しの強い日でしたが、野外のライブも楽しいなぁと記憶に残ってる。


↓出演アーティスト・曲よりピックアップ

打首獄門同好会『日本の米は世界一』

最初はバンド名とファンの人たちの勢いに「こわいバンドなのかな…」と不安に思っていたけれど、始まってみれば生活密着型のお米やお魚を愛するほっこり系ロックバンドでした。
気付けば私も「うまい棒」を掲げてた。


LILI LIMIT 『Festa』

リリリミットは残念ながら2018年に解散してしまったのですが。
HARCOのソングバードといい、Awesome City Clubの4月のマーチといい、コーラスアンサンブルっぽいイントロが好きなのかもしれないな、私。


岡崎体育『MUSIC VIDEO』

『MUSIC VIDEO』だけは知っている状態での参戦で、そういうテイストの曲ばかり作ってらっしゃる方なのか、それともいろんな作風があるのかと興味津々でしたが、リハーサルから笑わされました。
気付いたら見様見真似でヘドバン(?)もしてました。


こうしてみると、シナリオアートから広がった音楽ってたくさんあるなぁ。

ちなみにシナリオアートはTHE BACK HORNと対バンしたこともある。私にとって夢の共演。
でも、場所が東京だったので行けなかった…。無念。

対バンといえば、いつかシナリオアートとクラムボンの対バンが見てみたいなぁと思っています。

クラムボンの『シカゴ』は専門学生時代に学内のコンテストで歌っている人がいて知ったのですが、イントロから心掴まれて。イントロだけでも延々と聴いていられる。

ぴょんぴょんと跳ねるように鍵盤を弾く原田郁子さんが可愛らしい。
ミトさんのベースも好き。ミトさんと実はお誕生日がいっしょ(シナリオアートのコウスケさんも、いっしょ)
3人のバランスがとても心地よくて。
シナリオアートと接点があるのか分からないけど、ほんといつか一緒にライブしてるとこを見てみたいな。


シナリオアートは2018年に所属事務所「Ki/oon Music(キューンミュージック)」から本人たちの意思で独立。
(前向きな選択だと公式ブログでも語っていて、事務所Ki/oon Musicやお世話になったスタッフさんへの感謝も綴られている)
今はフリーで音楽活動をしています。

独立後初となるアルバム『EVER SICK』が今年の4月15日にリリースされたものの、翌日16日には緊急事態宣言が全国へと拡大。
自粛生活の中、思うように活動できず苦悩する様子もメンバーのTwitterから伝わってきて、私も自分の無力さにやるせなくなるなど…。

しかし奇しくも『EVER SICK』(持病、という意味の造語)という名前のアルバムに収録された曲の数々は今年の状況とも重なる部分が多くあり、救われたリスナーも多いのでは。
結果として、最悪で最高のタイミングでのリリースだったんじゃないかと私は感じた。

そして、シナリオアートはこの状況下でも初のバーチャルライブ始め、観客を入れてのライブや配信ライブ、毎年恒例のアコースティックライブなど、精力的に活動をつづけてきた。

いつだったか、コウスケ(Gt.Vo)さんかヤマシタ(Ba.Cho)さんがTwitterで呟いていた
「自分たちは活動していかないと、来年はいないかもしれない存在だから」という言葉がずっと私の中に残っている。
元のツイートを探しきれなくてうろ覚えで申し訳ないのですが…
ものすごくリアルな呟きにゾッとした。
でも、だからこそシナリオアートは活動をつづける。音楽を途切れさせないために。

こんなにいい音楽を生み出している人たちが消えてしまう未来になってほしくない。
娘(現在3さい)がまだお腹にいたときに観に行った関西医療大学の学祭ライブを最後にライブに行けていない私は、こうしてシナリオアートのことを文字にして届けるくらいでしか応援することができないけれど。


シナリオアートのライブは、一言で表すなら「多幸感」
また必ずライブに行きたい。あの多幸感に包まれたい。
これからもシナリオアートの音楽がつづく世界でありますように。


シナリオアートはシナリオアートだけでまる1記事分語れてしまう勢いなので、今はこの辺にしておこうと思う。
いつかrockin'onの音楽文にシナリオアートのことも書いて投稿したいなぁとずっと思っているんだけども、なかなか実現できずにいます。


私がシナリオアートにはまっていた頃、息子が広汎性発達障害と診断されて親子で療育園という場所に通っていました。
そこで毎月配布されていた(購入していた)冊子で、音楽特集が組まれたことがあって。「自閉症児と音楽」っていう。
その中で紹介されていたGOMESSというアーティストにこの時出会う。

GOMESSさんについては過去にもこちらのnoteとか、こちらのnoteとか、音楽文にも投稿したことがあるのでここでの紹介は短めにしておこうと思うのですが。

自分がラップにはまるとは、全くの想定外でした。
それまで、どちらかというと少し苦手意識があったんですよねラップって。
なんとなく、言葉で殴り合うようなイメージを勝手に抱いていたというか。
でも、GOMESSさんの影響で「高校生ラップ選手権」の動画も一時期はまったりして。
GOMESSさんのラップバトルは無闇にスラングを使ったりしないのと、相手を「攻撃」しないところがいいなぁと思う。

GOMESSさんの魅力は、なんといっても「言葉」
特にフリースタイル、いわゆる即興で繰り出される言葉の数々は圧巻です。


※LOW HIGH WHO?はGOMESSさんが所属していたレーベル。現在はフリーランスとして活動中。

いつかライブでGOMESSさんの言葉を浴びてみたいな。


シナリオアートからの繋がりで出会えた、かけがえのないアーティストがまだいる。
シナリオアートが参加するからと購入した、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのトリビュートアルバム。そこで、amazarashiに出会った。

特設ページで試聴したとき、最初は特に何も思わずスルーしてしまっていた。
でも、誰かがレビューに書いていた「歌声が好き」というのを目にして改めて聴いたとき、「声(歌い方)がめちゃくちゃ好み」だということに気付いた。

なんだろう、懐かしい感じがする。路上ミュージシャンのM君の歌い方に似てる…のかな。
声が似てるとかじゃないんだけど、発声の仕方とかかな。

オリジナル曲はどんな感じなんだろうと、なんとなく最初に再生した『ジュブナイル』に心を掴まれた。


〈君が君を嫌いな理由を
背負った君のまま 成し遂げなくちゃ駄目だ〉
〈僕らに変な名前を
付けたがるのはいつも部外者
「綺麗事だ 理想論だ」
って理想も語れなきゃ終わりだ〉


歌声だけじゃなくて、歌詞もめちゃくちゃいいのね…。

〈そこから一歩も動かないのなら
君は「侮辱された人間」だ
そこから一歩歩き出せたら
君は「負けなかった人間」だ
怖いとは言うべきじゃないな
辛いとは言うべきじゃないな
どうせ誰も助けてくれない
それを分かって始めたんだろう〉


決して耳障りのいい言葉ばかりは並べない。でも、だからこそ信頼できた。
つづけて他にも数曲聴くうち、あぁ、これは好きになるパターンだなと覚悟をした。

つい先日には、初のオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』が開催されたamazarashi。

私はというと、オンラインライブをとるか、新譜(と、まだ買えていなかった3月にリリースされたアルバム)をとるかで迷いに迷って、苦渋の決断で後者を選択。

オンラインライブは観られなかったけれど、その日の様子が少しだけ垣間見られるMV『令和二年』がその後公開されて少し救われました。

〈優しくすることもできる 傷つけることもできる
武器にも薬にもなるなら 僕はどちらを選ぶだろう〉


北海道の真駒内滝野霊園にある「頭大仏」というリアルな大仏にプロジェクションマッピングしてるのですが、大仏が雨曝しになったりガスマスク姿になったり、花が咲いたり燃やされたり崩れたり…と、すごい演出。

秋田さんの足元に灯る献灯に書かれたメッセージはTwitterで寄せられた「#令和二年にやるせなかったこと」

その場に置いてあったかは分からないけれど、私もメッセージを寄せました。
私の「令和二年にやるせなかったこと」は
「恩師のライブハウスが閉店してしまったこと」

MVで取り上げられているメッセージのひとつひとつ、胸に迫るなぁ…


アジカンのトリビュートアルバムは、他にもCreepy Nutsの『リライト』never young beachの『君の街まで』リーガルリリーの『ムスタング』などのアレンジが好みだったな。もちろん、シナリオアートもよかった。

原曲を聴いてみて原曲の良さに気付いたり、参加アーティストのオリジナル曲を聴いて新しい音楽を開拓したり。そういうのが、トリビュートアルバムのいいところだなって思う。

こちらは今年の12月10日のライブバージョン。

こうして見ると、リーガルリリーもシナリオアートのように3人横並びなんですね。


話を、amazarashiに戻しまして。

「amazarashiのライブに行ってみたい」
そう思うまで時間はかからなかった。
そして、そんなタイミングで発表されたのがamazarashiにとって初の日本武道館公演「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」

行きたいなぁと思うも武道館、東京…
あぁ、無理だなぁ…と諦めていたら、なんと全国各地の映画館でライブビューイングが行われるらしい。これは行くしかない。

そして迎えた2018年11月16日。
私は大阪の映画館でamazarashiの武道館公演に立ち会った。

凄まじい衝撃だった。
この感動を忘れたくない、そう思い気付けば筆を取っていた。

思えば文章らしい文章を書けなくなって随分経つ。
言葉にするのは、難しかった。
何度も筆を折りそうになりながらも、なんとか書き上げた文章を、rockin'onの「音楽文」というサイトへ投稿した。

※音楽文には「名無ひと」という名前で投稿しています。

そして、その音楽文はなんと12月の月間賞「入賞」に選ばれたのです。

久しぶりに「文章」を完成させられただけでも嬉しかったというのに、賞までいただけるなんて。
心底嬉しかった。


そして、amazarashiの音楽文を通じてある人に出会います。
音楽文への投稿から1年程経ったある日、私のTwitterに数件の通知が届いていました。

特に心当たりもないまま開いてみて、まさかの出来事に私はその場(キッチン)にしゃがみこんで震えた。


発端は、私のこのツイート。

何が起こったのかは、ツイートのリプ欄に記されています。

自分の人生にこんなことが起こるなんて。
自分の書いた文章が、誰かの人生に影響を与えることがあるなんて。

あれから、1年が経ったんだなぁ…
なんだか、2年くらい前のことのような気さえする。
それだけこの1年が私にとって充実していたってことなのかもしれない。
いろんな意味で「いろいろあった」よね。


キタガワさんは、現在進行形で私の音楽人生に影響を与えてくれている。

キタガワさんについては以前にも「文章 と わたし」にて書いたことがあるのですが、改めて。

キタガワさんは音楽文への寄稿やrockin'on.comでのコラム執筆の他、音楽の記事をメインにブログを書いておられます。


音楽への愛と知識を惜しみなく詰め込んだ文章が私はとても好きで、1月頃だったっけな?過去記事まで遡って読むくらい、私はキタガワさんのブログにはまっていました。

キタガワさんのブログは、私にとって宝箱のようで。
まだ見ぬ素敵なアーティストや音楽の話がたくさん詰まっている。

私にとって本来、「新しいものに触れる」というのはかなりエネルギーを必要とすること。
例えば、ほぼBUMPしか聴かなかった私がPerfumeを好きになったとき、正直戸惑った。
さらにはシナリオアートに出会ったとき、またこんなに「好き」だと思える音楽に出会えてうれしい反面、やっぱり戸惑っていた。

さすがにもうこれ以上「好き」を増やせない。そう思っていたのに、amazarashiに出会ってしまった。
そして、その間にもたくさんの「好き」に出会ってきた。


時間も、お金も有限だから…
特にうちは金銭的にあんまり余裕がないから。
「好き」が増えれば増えるほど、「うれしい悲鳴」が多くなった。

誰かと誰かが同時期にツアーやライブを行えば、大抵どちらか諦めなければならない(どちらも断念することもよくある)
CDのリリースも、タイミングが重なると優先順位をつけて取捨選択しなければならない。
「欲しいものすべて」なんていうのは、今の私にはむずかしいから。

noteやTwitterのフォローにしたってそうだ。最近はあまり積極的にフォローを増やせずにいる。

好きだな、フォローしたいなって人はたくさんいるけれど。
これ以上増やしてしまうと、noteもツイートも追えなくなってしまいそうで。
好きが多いと人生楽しいけど、好きが多いのは少し大変だ。

それでも私はキタガワさんのブログを読む。
正直、ここ最近はまだ読めていない記事も増えてきてるけど。でも、なるべく時間を見つけて読みたい。MVとか貼られていたら、なるべくちゃんと聴きたい。

なぜなら、読んだあとは必ず「読んでよかった」と思えるから。
世界にはまだまだこんなに素晴らしい音楽があるんだと知って、胸が震えるから。

そして、それを書いているのが他ならぬキタガワさんだということが私にとっては重要で。
それはやっぱり、あの日の出来事が忘れられないからで。

これからもキタガワさんが書く文章を、夢を叶えていく姿を見ていたいという気持ちが大きいからです。



そして今年、令和二年。
新たにはまってしまったアーティストがいる。

今じゃ街でもテレビでも毎日のようにその名前や曲を耳にする機会があるのでご存知の方も多いかと思うけれど、私が新たにはまっているのはNiziU(ニジュー)

きっかけは、私がシナリオアートに出会うきっかけをくれた女性のブログ。
その方が虹プロジェクト(NiziUのメンバーを選出するためのオーディション、およびそのオーディション番組)にはまり、ブログで熱く語っていらっしゃるのを読んで興味を持ち、私もすっかりはまってしまった。

そのはまり様は、人の顔を覚えるのか苦手(髪型や髪色などが変わるだけで同一人物だと認識できなくなるレベル)な私が約2週間で9人(13人)全員の顔と名前を一致させられるようになったほど。

ちなみに、オーディションでは事務所の先輩TWICEの楽曲がよく使われていて、しっかりTWICEにもはまる。というコースを辿る。

自分がK-POPというジャンルにまではまるとは、思わなかったな。
(NiziUは全員日本人ではあるけど)
いくつになっても、新しい音楽の扉はひらくみたい。次は何でしょ。

↑歌詞がとても好きな、TWICEの『Feel Spesial』


単純にJ.Y.Parkさんが作る曲が好みっていうのもあるかもしれない。

でも正直に申し上げると、最初はあまりいい印象を抱いてなかったんです。
女の子たちを競わせて、順位をつけて。オーディションってそういうものかもしれないけど、それをエンターテインメント化して一般公開するっていうところに、抵抗があったんです。

でも、直向きにがんばっている子たちの姿を見ちゃったらね…

好きになるきっかけは、どこに転がっているか分からないものですね。

あと、私は疲れたときに「かわいくてカッコいい女性がクオリティの高いパフォーマンスをしている姿」にはまる傾向でもあるのかもしれない。
(ここで言うかわいさは、見た目だけの話じゃなくて。何かに真剣に向き合っている人はみんな、かわいくてカッコいいと思う)

Perfumeしかり、たくみお姉さんしかり。
NiziUにはまったときも、いろいろお疲れモードだったので。
今年は特に、私だけでなく世間一般的にも疲れやすい状態が長くつづいているので、そんな中ひたむきに頑張る彼女たちの姿が心の清涼剤になっていた人は多いのかもしれない。

今月2日にデビューシングル『Step and a step』がリリースされたばかりで、年末の紅白歌合戦への出場も決まっているNiziU。

紅白歌合戦については、キタガワさんがブログにて初出場全9組の見どころを徹底解説しています。

正直全然知らないアーティストさんもいたりするのだけど、キタガワさんのブログを読むとどのアーティストさんも観るのが楽しみになってくる!
ので、紅白視聴前の地図としてぜひ読んでみてほしいなぁと思います。

…って言っても紅白、今日なんですけどね。
この文章、年が明けてから読む人の方が多いと思うけれど…。
(でも録画で観ますって人もきっといるよね?私も録画組かも)


ちなみに『Step and a step』ですが、勝手に自分の中で応援歌にしています。

先日、野心表明のnoteを投稿して。その直後に公開されたのが『Step and a step』のMVだったんです。


noteに書いた内容と重なる部分があり、なんだか励まされて。
内に秘めていた野心を公開するのはちょっと怖くもあったので。
野心を叶えようとする道すがら、挫けそうになったときはこの曲を聴いて何度も自分を奮い立たせることでしょう。

Perfumeが「憧れのお姉さん」的存在なのに対して、NiziUのことは完全に「親目線」で応援してるようなとこがある。
どうか彼女たちが誰の悪意にもさらされず健康に生きて(活動して)いけますようにと願うばかり。


✳︎


〈好きなこと好きって言うの こんなに難しかったっけ〉


これは、私が好きなamazarashiの『月曜日』という曲のワンフレーズ。


今年は、この言葉が何度も頭の中を駆けめぐった。

世間で流行っているものを好きになって、なんとなく好きって言いづらかった。
(逆に、みんなが好きって言ってるものを好きになれない自分はおかしいんじゃないか、という不安を抱く人もいたと思う。大丈夫、おかしくなんかないよ)

流行ってるから、みんなが好きって言ってるから好きなんでしょ?って思われる気がした。

確かに、流行っているからこそ知るきっかけは得たかもしれない。でも、最終的に好きを認めたのは自分だったはず。
自分が選んで好きになったものに、自信を持ちたかった。

でも、否定的な意見を目にしてしまったとき、それを好きな自分ごと否定されたような気がしてしまった。好きだと言うのを、躊躇ってしまった。

「その程度の好きってことじゃない?」

ちがう。そうじゃない。
そうじゃない… と思いたい。

好きな人やもののこと、どこがどんなふうに好きかっていつもうまく言葉にできなくて。
「好きなものは、好き!(完)」で伝わったら、どんなに楽か。

世界レベルでいろんなことが起こった1年。
私の小さな世界でもいろんなことがありました。

好きなアーティストや、フォローはしていないけど秘かに好きだなぁ、すごいなぁと思っていた書き手さんたち、居心地よく利用しているプラットフォーム。
そんな「好き」な人たちや場所の相次ぐ炎上、炎上、炎上…

何が正しいのか、分からなくなった。
何を信じたらいいのか、分からなくなった。

「好きかもしれない」
そう思っても、どこかで疑うようになってしまった。

「いつか好きじゃなくなる日が、来るかもしれないよ」
なら、言わないでおこうか。
「好き」に逃げ道を作ろうとしてしまった。


〈嫌なこと嫌って言うの そんなに自分勝手かな〉


『月曜日』の2番の歌詞。

人にはそれぞれ好みがあるので、好き嫌いあるのは仕方ないこと。

好きも、嫌いも大事な感情。
どちらかの声の大きさに気後れして、もう一方が言葉を失う必要なんてない。そう、思ってはいるけれど…
言葉にすればそれは武器にも薬にもなる。
うまく手を取り合えたらいいんだけど。


結局、答えらしいものは得られていない。
まだ気持ちに折り合いがつけられていないことばかりで、もはやこの気持ちを抱えたまま生きていくしかないんだろうなという気もする。

だからせめて今年のnote書き納めは、好きなことをひたすら好きって言うことにした。
そしたら2万6千字を超えてしまったけど。
これでもまだ、惜しみつつも履歴書に書ききれなかった諸々もあるという。

今更だけどこれ、前編・中編・後編とかに分けて投稿したらよかったのでは…?
結果、長いし敬体も常体もごちゃ混ぜで読み手にめちゃくちゃ不親切な文章になってしまいました。


最近、夫がCDプレイヤーをプレゼントしてくれまして。
今時CDプレイヤー?なんて声が聴こえてきそうですが。
内心ちょっぴり私もそう思いましたし、なんなら息子(10歳)にまで「なんだか昔っぽい機械だね」と言われてしまいましたが。

CDプレイヤーとお正月休みのおかげで、ここ数日とても文章が捗りました。
この文章、書き始めたの8月頃だったのになかなか書き進められなくて。

今まで私はあまりCDを聴きやすい環境になくて、サブスクも今のところ始めていないので、「聴きたい」と思ったときにすぐ音楽を聴ける状態ではなかったんです。

深夜、家族が寝静まった時間にCDを引っ張り出してきてはプレイヤーにセットして、音楽と思い出に浸りつつ文章を書いた時間は、なんとも幸せでした。
好きなものを好きでい続けるのに、環境ってけっこう大事なのかもしれないな。

夢中になりすぎて、気付けば朝になっていました。
でも、これだけ夢中になれるものがまだあるというのは幸せなことなんだと思う。


音楽の履歴書を書いてみて、私にとって音楽との出会いは人との出会いでもあるんだなぁと気付いた。
音楽を聴くと思い浮かべる人やエピソードがあって、誰かを思うとき頭の中には音楽が流れている。

出会った一人ひとりと一生繋がっていられるわけじゃなくても、私の中でその人は生き続ける。これからも、音楽とともに。

音楽のある人生でよかった。





ささいな笹さん(はじめまして)の、「#音楽の履歴書」という素敵なタグをお借りして書きました。

万が一記憶喪失になってもこれを読めば大丈夫ってくらい、私の好きと大切を詰め込んだ文章になりました。
どんなに長くなっても、自己満足でも、一度ちゃんと形として残しておきたかった音楽との足跡。

書く機会をいただき、ありがとうございました。


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