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自分の中に、閃くもの。

閃く、と書いて、その漢字がすでにゲシュタルト崩壊しているりさです。

去年企画したいろいろなものは、やっぱり私の焦りから生まれていたものだったので、悔しくも瓦解していきました。でも仕方ないです。

でもそう感じられるというのは私の中で健康的なことです。

そしてそれと同時に、最近は自分の中に閃くものを感じます。

塵が一瞬光に反射して、きらっとするあの感じ。

自然な状態でそんなものが微塵も感じられなかった10年を経ると、それがやはり奇跡のように思えます。大げさに言うと、それが「生きている喜び」というようなものなのかもしれません。

まあとりあえず生き物として健やかになってきているということのようなので、それに付随して気持ちも前向きになっているのが分かります。

普段、地元の文化活動に参加していて、一応そこの名ばかり責任者をやっています。この間まで自分がいっぱいいっぱいで、名ばかり責任者とは言えやらなければならないことがあり、それをものすごくテキトーにやってしまったのです。そのためその活動の他の会員さんに負担をかけることになりました。いや私もいっぱいいっぱいだったから、他の会員さんも責任者を助ける必要があるというのはそうなのですが、その会員さんたちも体力がなく、予想外の負担にめっぽう弱いので、会員さんの不満も出るのは自然なことです(本当はそんな全員が余裕のない状態は不健康だと思うのですが…)。そんな風に会の余裕がなくにっちもさっちもいかない状況になりかけたわけですが、やっと私が元気になってきたので、「私が全部やったるわ!」ぐらいの気持ちになっていることに気がつきました。それが無理をしているわけではなく、そのくらいのプレッシャーがあった方が楽しいと思えるくらいにまでなったのは、本当に心身共に健康になってきた証拠だと思ったのです。

私はプレッシャーにそんなに強い方ではありません。でも、体力があるときはアドレナリンが出て、ちょっとプレッシャーがあるくらいの状況の方が好きらしいです。でもこれもプレッシャーがかかりすぎるのはダメで、また体力がないときは少しのプレッシャーにも弱くなります。人間として自然なことだとは思いますが、自分も含め世のひとりひとりの「プレッシャー耐久性」はそれぞれ全く違っている上に、その人を取り巻く肉体的あるいは環境的要因でも度合いが変わってくるので、自分はどういう傾向があるか、どのくらいの度合いでどのくらいの反応があるか把握しておくことは大事だなと最近改めて思っています。

今日はとりとめもなく綴ってみましたが、こういう風に自分の自然な思考の流れをそのまま文字に落とし込んだのは久しぶりでした。そしてただただ心地の良いままに書くことが出来ました。

そんなことも、自分が今良い流れにいることを示しているような気がしています。

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