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涙もろさの正体

年を重ねるにつれ、どんどん涙腺がバカになっています。電車で本を読んでいるとき。 病院の待合室で流れるテレビを見て。がんばる誰かの姿を見て。あの頃しんどかったなぁという話を聞いて。夢を語る友だちの姿に。こころがグラグラグラっと揺れたと思ったときにはもう手遅れで、タプタプの涙が瞳いっぱいに溜まってしまうんです。まつげで支えきれなくなった涙が目の真ん中からポロポロおっこちる様子は、結構派手です。泣くと鼻が赤くなるタイプなので、どこからどう見ても泣いている人。ちょっとグズグズするくらいでは済まないので、周囲を慌てさせます。感動屋さんのわたしめ、もうちょっとなんとかならないものか。正直ちょっと困っています。

今までは、加齢とともに涙腺がバカになるから涙もろくなるという前提のもと、いろいろな経験をして共感力が高まることにより、まるでその人の苦労を自分がしたことのように感じて泣いてしまうんだ。という仮説を立てていました。いわば後天的要因です。しかし最近そうでもないのかも、と感じ始めています。

先日いとこが結婚して、久しぶりに遠い親戚も集まったのですが、ボロボロ泣いているのはわたしと両親の3人くらい。肝心のいとこ夫婦の家族や、友だちたちはニコニコと幸せをかみしめているのです。わたしらの感動の比ではないはずなのに、涙なんて見せない。むしろわたしたちを「エ?!」みたいな顔で見てくるのです。そこで浮かんだ考えが、涙もろさは加齢でもなんでもなく、遺伝子レベルの話で、先天的要因なのでは?!というもの。両親はもともと赤の他人ですが、感情のスイッチというか怒るツボや笑うツボは酷似しています。さらに言うと、彼もかなり涙もろいほうです。ふたりで共通の友人の結婚式に参列したときも、まったく同じタイミングで号泣しました。人生を生きる上で、同じ方向を同じ気持ちでみつめられるということは大切です。感じ方が似ているもの同士が、自然と集まるものなのかも。友だち同士でも、わかるー!というツボが近ければ近いほど、付き合いが長くなったりしますもんね。本能で同じように感じる人を求めるのかもしれません。

両親と彼とわたしの共通点と言えば、あとは汗っかきということくらい?汗腺と涙腺が悪さしているのでしょうか?うーん。考えてみたけれどわからなかった。

心が動くっていうのは、基本的にいいことだと思っています。スポーツと一緒で、動かないといつか動けなくなりますから。ですが、曲を聴いただけで条件反射的に感涙してしまうものもあるので、ある程度コントロールしたい。頭で考えていても、なかなか難しいものですね。

また明日。

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