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避けられない不運を乗り越えるには

今日の夕方、友人から電話があった。興奮を抑えようとしている口調に異変を感じて、(どうしたの?)と聞くと、なかなか驚きの内容だった。

夕方頃、友人はバスに乗って駅に向かったそう。バスの中は半分より前の座席が埋まるくらいの混み方で、後ろの席は空いていた。友人は前方の一人席に座っていたそうなのだけど、あるバス停で乗ってきた老人(男性)が友人の席の横に立ったかと思った次の瞬間、大きな声で怒鳴った。

「若いものがなぜ席を譲らないのか!」

という博多弁。驚いた友人がその声の方向を見ると、その老人は見下ろすように、明らかに自分をにらみつけていた。怖くなってすぐに席を立って譲ったそうなのだけど、同時にいろんな感情が湧いてきてしまって、次のバス停で降りて、徒歩で駅に向かうことにした。

そのときに、私に電話してきたようだった。

友人の記憶では、譲る隙がないほど突然のことだったらしく、優先席に座っていたわけでもない。「いつもお年寄りがいたら席を譲っていたのに、悔しい」と話した。

しかたのないことだけど、他の乗客も運転手も見て見ぬふり。夕方から仕事関係の予定があったのに、遅れそうになって早足で歩いているようだった。

降りることはなかったのかもしれないけど、こんなときは本当にいたたまれない。一刻も早く全員の視線から逃れたいと思う。

こんなことは、不運でしかない。
「絶対、あなたは何も悪くないよ!」とできるだけ明るく伝えて、電話を切る。これから仕事に向かうのだから、どうにもならないことを深掘りしないほうがいいと思った。

ここまでのことは体験したことがないけれど、私もバスの中で不快な気持ちになったことはある。

まだ感染症が流行する前、風邪気味だった私は黒のマスクをしていた。帰省したときに弟にもらって、ちょっと気に入っていた。今はもう一般的な光景だけど、その当時の福岡では黒いマスクをしている人は少なかったのかもしれない。

私が黒のマスク姿でバスに乗り込むと、一人の老人(男性)が、私をにらみつけるように見てきた。じーっと嫌悪感をあわらにしたような表情で目をそらさない。幸い、何か言われることはなかったのだけど、とても嫌な気持ちになったし、恐怖を感じた。

今日のことに比べたら小さな不運だけど、そのときの明るかった気持ちを一気に悲しい気持ちに変えられた私にとっては大きな不運だった。

不運は避けられない。自分で対策をすることで減らせる部分はあるかもしれないけど、こうやって不運に出くわしてしまった場合、どうやって乗り越えたらいいのだろう。

モヤモヤを受け取ってしまった私はいろいろと考えてしまった。

仕事をしながらも頭を離れない状態で、
なんとかたどりついた結論、ネタにして昇華しよう。

もうどうにもできない事実の中で、変えられるのは未来だけ。どんどん記憶は薄れていくから、その流れに乗っていたら、笑ってネタにできる日がくる。

明確な答えは出ないけど、これからもバスに乗る機会はあるし、次に同じ事があったらこうしちゃおう!という対策を考えておくのもいいかもしれない。理不尽なことに負けていられないじゃないか。

そんなことを思った月末の夜。
今日やりたかった仕事は終わっていない。
どうしてくれよう。
もう少し頑張って寝るとしよう。

老人という表現は不適切だと感じましたが、今の気持ちを伝える手段として使用しました。不快に感じられたら申し訳ありません。

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