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自分への信頼を取り戻す

最近、彼との間に起きていたこと。どんなに肉体を気持ち良くまぐわうことができていても、精神的なつながりが感じられなくて、私は寂しいと感じていた。2人の間で対話がないままに自己完結してしまうということがよく起きていた。

じゃあ相手に、自分から言いたいことを伝えるなり、相手の気持ちを尋ねるなりすればいいじゃん!と自分でも思うのだけど、それが本当になかなかできなかったりする。相手に不快な思いをさせることや、怒らせてしまうこと、相手に受け入れてもらえないことを怖れているのかもしれない。

ずっとどこか寂しさを感じながらも時は流れて、ある日寂しさがいっぱいに溢れてしまった。ひとりで居たくなって、彼にもそう伝えた。私に”ひとりでいたい”と言われる彼の気持ちを想うと、私が少しがんばればいつも通り2人の時間を過ごすこともできたのだけど、決して彼に対して心を閉ざしているわけでもなくて、その日はただ、寂しさを感じている自分と2人でいてあげたいと思った。

しばらくの時間を久しぶりにひとりで、わたしだけで過ごして聞こえてきたハートからの声は、「わたしは彼ともっと対話をしたい」ということだった。彼に会って、「つながりが感じられなくて寂しい」と感じていることを伝えた。かなりがんばって、涙ながらに伝えた。

私は20代の頃から、男性と対峙したとき、ある場面で”緘黙”状態になることがあった。相手が怒りを表現している時なんかによくそれは起きる。そんな時は1時間でも2時間でも、どんなに意見を求められても黙り込んでいた。当時は、何か話さなければ、と思えば思うほど、頭の中は真っ白になって黙り込むということが起きていた。今は黙り込むことはなくなっても、その時に似た感覚で、相手に言いたいことが言えないということが起きる。これは、父親に対して言いたいことが言えずに飲み込んできた感覚にとても似ている。

「寂しい」たったそれだけのことなのに、それを相手に伝えることにすごく勇気がいった。

だけど、伝えてみたら、思っていた以上に彼のハートは私に開いてくれたように思う。いつもより私の目を見て、私にコンタクトを取ってくれた。それだけでも、私は彼のハートを感じられたし、”寂しい”私に寄り添っていようとしてくれるのを感じて、わたしのハートが温かな安心で満たされた。欲しかったものが手に入ったというかんじだった。お互い自己完結の世界にいると、彼の心は私ではない方へ、過去の痛みや悲しみに持っていかれているようにばかり感じていたけれど、本当はそうじゃなかった。

私が自分を開いて、相手にハートを伝えたら、想像以上に彼とつながれた。寂しい世界を創っていたのは他でもないわたしかもしれない。結局わたしが自分の内側にある寂しさをどう扱うか、に尽きるのではないかという気づき。相手と対話したいという願いは、同時にわたしがわたしと対話したいという願いでもある。相手に伝えようとすると湧き上がる怖れを超えて、いかにわたしが自分を信頼して、相手を信頼して”伝える”という行動を起こせるか。自分を大切にするってこういうことなんだろうな。

父親に伝えたかったけれど、伝えられなかったたくさんの言葉がある。例えば、本当は抱きしめて欲しかったけれど、そうして欲しいと言えなかった。何度も自分の本当はあったニーズを、わたしはあきらめて見捨ててしまった。何回も繰り返すことで、わたしは自分への信頼を失ってしまっている。ニーズなんて持ったところでどうにもならないと。わたしじゃどうにもできないんだと。

でも本当はそうじゃない。わたしはわたしのニーズを感じ取れるし、そのために行動を起こすこともできる。怖れや痛みを感じてできないと思っていたとしてもそれは過去の記憶なのだ。怖れや痛みを感じている自分をそのままに受け入れて、今のわたしのニーズに答えてあげることができる。

今は、それが何度でも”できる”ということを体験しては、自分への信頼を一つずつ取り戻していく道の途中。隣にいてくれる彼とともに。

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