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世界が一変してプロのヒーラーが適応障害になってしまった話

【坂口恭平さんへ感謝をこめて】

突然ですが、私、もりやまは、適応障害です。最近では深キョンが適応障害でお仕事をお休みしたということで有名ですが、それです。

どうしていきなりこんな話を書きたかったか?と言うと、無性に書きたかったからです。とにかく指先の赴くままに、書いてみたかった。

適応障害というのは、簡単にいうと、環境や外部刺激による急激なストレスの増加によって、朝突然起きれなくなったり、頭がモヤモヤして思考がハッキリしなかったり、体調を崩してしまう、そんな症状があります。

私の場合は、何をしたいのか分からなくなり、何をしているのか意味がわからなくなったり、無性にイライラしたり、ちょっとしたことでも我慢ができなくなってしまいました。

あなたも『朝起きて会社に行きたくないなー』とか『人と会いたくないなー』とか『頭がスッキリしないなー』とか思うことがあるかと思います。人間ですから。

疲れたときは、少し休んでもいいと思います。楽しみにしていた冷蔵庫の中にあるプリンを食べたり、外に散歩にいって、涼やかな風を感じたり。読みかけの本を読みすすめて、想像を膨らませたり、自分にとってちょっと贅沢をしてお風呂にアロマキャンドルを持っていき、その光だけを頼りにゆっくりと肩までお湯に浸かってみるとか。

そうすると、少しだけ世界が外側から自分の中心に戻ってくる感じがするんです。

一方、私と言えば『朝起きて会社に行きたくないなー』って思っても、家が会社なので、家にいながら『会社に行きたくないなー家に帰りたいなー』って思ってしまいます。ベッドが背中に張り付いて、仰向けから指一本動かせない時があります。

『人と会いたくないなー』って思っても、私の仕事はヒーラーですし、株式会社アークインディペンデンスの社長や情報空間風水スクールの代表もやってますから、人と会わない仕事はありません。

ヒーラーというのは、まずクライアントのお悩みを聞いて、その人が今どの現在位置にいるのか、一体全体悩みはなんなのか、どの未来へ向かっていきたいのか、を知るっていうのがお仕事の内容ですから『人と会いたくないなー』って思ってもまず不可能です。

株式会社アークインディペンデンスでは、そのヒーラーさんを育成することを主な目的としています。ヒーリングという技術を教えるだけではありません。ヒーラーというのは、人とのコミュニケーションや、人の機能や性質を知っていないととてもじゃないけれど、できない仕事です。

私はヒーラーの仕事を《ジャズセッションのようなもの》と捉えています。

たとえば私がピアノを弾き、あなたはサックスを吹く、みたいなものです。仕事の最初は、どちらも相手のことを知らないですから、相手の旋律やリズムに合わせて、少しづつ相手のことを知っていく、ということをします。お互いに色々な情報を交換します。つらいこと、くるしいこと、どんなときが楽しくて、どんな風に人に接してもらったら嬉しいか、それから、今抱えている問題について、率直になにを感じているのか?などです。

相手だけが抱えている秘密を暴露するのではありません。素晴らしいジャズプレイヤーというのは、自分の腹の中にあるものをひっくり返して、そこから飛び出たメロディーをその瞬間瞬間にまとめ上げて、演奏を盛り上げます。ということで、もりやまも、今まであったつらいことやくるしいこと、それから、頑張ってきても失敗してしまったことなどを赤裸々に話します。

私が仕事をしていて『そうそう、これだよ!このためにこの仕事をやってるんだよ!』と感じる瞬間は、何とも言語化するのが難しいのですが、感覚的に言えば、相手の目の色が変わります、それから相手の纏っている雰囲気のようなものが一瞬で変わります。まるで漫画の世界に迷い込んだかのように、その人の頭の中でちっぽけな豆電球が、この世のものとは思えないくらい、ピカーッ!と光っているのが見えます。それから、遅れて鳥肌がざぁーっと立ってくる。ふと思ったのですが、これは音を置き去りにし、空を切り裂いてやってくる、雷のようなものです。そうです。人はこの世になにかを自分で創造した瞬間、雷に撃たれるのです。

この瞬間、あなたの演奏しているサックスの音色はとても美しい。なぜなら、それが、あなたオリジナルそのものだからです。

この前、通っている心療内科の臨床心理士さんと話をしていて、仕事の話で盛りあがりました。カウンセリングをしていると、ときおり私と同じような感覚が発現することがあるみたいなのです。心理士さんには生徒さんもいて、育成にも携わっているんですって。生徒がカウンセリング練習をしていて、クライアント役が雷に撃たれているときに『それだよ!その言葉だ!』って叫んでしまって反省することがある、と言ってました。

ただ当の本人はポカーンとしているらしいのです。『えっ、なにがですか?』って聞いてくるらしい。話を聞いて、勝手に私も妄想してみたのです。

それって例えば、雷雲がものすごいビカビカしている天気の中、あまりにもずぶ濡れになって、大きな樹の下で雨宿りをしているところに、突然雷が降ってくる。次の瞬間その樹は真っ二つに裂けて、倒れてしまうんだけど、その生徒は雷に気づいていないの。強烈な閃光にも。もちろんそこから遅れてやってくる轟音にも。

そして、最もタチが悪いのは、その生徒さんが『えっ、なにがですか?』と臨床心理士の先生に尋ねたときには、雷の餌食になった樹は、一瞬で元のサイズよりも一回り大きくなっているということ。でも、生徒さんはその変化に気がついていない。なぜなら、その生徒さんは樹の下でずーっと雨宿りをしていたんだから。

プロのヒーラーや臨床心理士の仕事は、そんな暴風雨のなかでも、雨宿りをすることではないんです。じゃなくて、そこで土砂降りに遭い続けている相手と同じく、豪雨にうたれることなんです。雷が落ちそうだなと思ったら、雷を避けるようにどこかに避難することではない。自分にも雷が落ちるかもしれないリスクを引き受けた上で、相手を見守ることなんだとおもいます。

そんな話で盛り上がっていたら、自分の治療をするための30分を使い切ってしまいました。それでもいいです。また、自分のなかで何が楽しいのか?を再認識できたからです。自分が知れたからです。

だれもあなたを治すことはできません。これは、私がずーっと口酸っぱくして色んな悩みを抱えるクライアントに伝えていることです。あなたを治すのはあなたです。医者ですら人を治すことはできません。これは断言します。大怪我をしたときに、お医者さんは患者さんを手術します。『それは治療とは言わないんですか?』とあなたは疑問に思うかもしれません。それでも私は『No』と言います。『それは、治療ではありません。応急処置というんです。』

手術をしたって、自分で治る気力がなければ、患者に笑顔が再び戻ることはありません。もしも身体が治ったって、今まで超一流だったアスリートが前ほどのパフォーマンスを出すことができなくなるかもしれません。そうなることで、生きる気力を無くして自殺してしまったとしたら、それは治療なのでしょうか?

風邪を引いて熱を出したとき、風邪薬をみんな飲みますが、薬も言ってみれば対処療法です。熱冷ましや、喉の炎症を取る、鼻水が出てくるのを抑えておいて、その間に自己治癒力を高める。最終的に風邪の菌と戦うのは、自分です。そういう意味では、生きるとか死ぬとかいう場面になればなるほど、人というのは孤独になります。いや《最初から孤独だった》ということを再認識するということに近い。

結局、もりやまができることは、あなたが人生の土砂降りにうたれているのなら、傘もささず隣で見守っていることです。それを見てあなたが『傘を差していなかった』と気づけば、人生は変わります。それどころか、私のこともそっとその傘の中に迎え入れられるのなら、あなたは大丈夫です。

ただ、傘を差していたせいで、ふたりとも雷に撃たれることもあります。

それが人生、それが生きるってことなのです。私たちは、生きているっていうだけで、人生のポーカーテーブルからは決して逃がれられません。ディーラーから配られた手札がどんなにクソでも、降りることは許されません。生きていることは、常に命のチップをテーブルに賭け続けることです。

でも逆に言うならば、生きているということ以外は、人生で賭けるチップになりません。私もそうだし、あなたが悩んでいるほとんどのことは、賭ける価値もないものであふれていると言えます。それは、命というチップに交換することができないからです。

たとえば《私はヒーラーなのに心療内科に通っている》という事実が命というチップに交換できると勘違いしていました。コロナになって、2年目の2021年、4月ころ。私は情報空間風水クリエイトスクールの代表にもなりました。講師になりたい、という方が数人応募してきて、今では5人の講師と一緒に、情報空間風水という、自分を客観的に知り人生を変える方法を広めていきたいと思い活動も始めました。

でもその頃から『あっこれはチョットマズイぞ』と思うことが増えました。まず下痢が止まらない。お腹が痛くなって、トイレに行くたびに液体だけが出ます。なにか悪いものを食べたとか、そういうことは一切ありません。歳も歳ですし、思い切って大腸検査もしてみることにしました。大腸検査は一度したことがあるので、まだ不安も小さかったですが、早朝に下剤を数リットル飲むのだけは、もうコリゴリです。

でも本当にマズイぞと思った瞬間は、後日病院に行って、お医者さんの口から『まったく大腸に問題はありません』と言われてしまったときです。正直、ゾッとしました。問題があったら楽なのに、とさえ思いました。

それから朝起きれない。頭はずっとモヤモヤのまま。私にとって、頭がモヤモヤしている状態というのはとても不快なものです。なんせ、私の仕事というのは、あなたに生き方のコツを教える仕事であり、あなたと面と向かって話をして癒やしを創造する仕事であり、会社の制度のことや、契約書、はたまた税務関係や、事務関係もほとんどすべてひとりでやらなければならないからです。とにかく銀行の通帳をコピーして、税理士さんに送るまでに2日か3日、休み休みやらないとできないのです。末期です。

人を癒す仕事なのに、自分が体調を崩してしまっている。

人に生きるヒントを与える仕事なのに、自分の生き方が分からなくなってしまっている。

人の話を聞く仕事なのに、人の話を聞いているとボーッとしてしまい、話がまったく耳に入ってこない。

ヒーラーとかいうなんだかヘンテコな肩書きを背負っているので、誰にも相談する人がいない。いま、こういう状態なんだ、と笑って話せる人がいない。なんかよく分からないけど『もりやまさんはすごい』とか、挙句の果て受講生さんの中には私のことを『神様みたいで近寄りにくい』なんて言ってくる人もいます。

私は『神様っていうのは、もしかしたら地獄にいるのかも知れないな』と思います。

泥だらけの洗濯物が、洗濯機のなかでグルグルしているような感じがして、それがいつまでたっても茶色のままなのです。自分の中でもうどうしようもなくなったので、心療内科に通っています。薬はおかげさまで最初から飲んでいません。カウンセリングだけを受けています。

カウンセリングを受けて、自分のことを話したり周りの環境について話をしていくことを何度かしています。で、色々なことを臨床心理士の人に話すうちに、面白いことに気づきました。

『話が面白くない人は、自分を生きていない』

臨床心理士の人と話をして、これで一番盛り上がったのですが、彼女は『クライアントが自分の話をしているときと、そうじゃないときで感覚が違う』と言っていました。その指標は『相手の話が面白く感じるかどうか?』だそうです。なんだかそれを聞いて、ふっと肩の荷が降りました。

同時に『そうそうそう!』と首がもげそうなほど頷きました。

ということは、私も本当の自分を生きていれば、何をしていても面白いはずだし、もしも自分が面白いことや面白い話をしていれば、自分を生きていることになる。凄くシンプルです。

だから、私が悩んでいることは、人生のカジノに賭けるチップにもならないようなものだと気が付きました。生きるか、死ぬかってことだけが重要であって、それ以外は賭ける価値もないってことです。

んで、そこで重要なのが、面白さ、です。生きるか、死ぬか、って賭けることだけが人生の醍醐味なのです。失敗したらどうしよう、ではなく、失敗するかな?成功するかな?と考えているとき、それを実際に実行してみるときだけが人生であり、生きるってことなのです。

人を癒す仕事なのに、自分が体調を崩してしまっている、という心配は、自分を生かすだろうか?いや、生かさないと思います。なにより、面白くない。逆に言えば、自分がこうやって体調を崩していることを公表することで、これを読んでいるどこかの国の誰かは癒やされるかも知れない、そうなったら面白そうだな、と思うようになりました。

人に生きるヒントを与える仕事なのに、自分の生き方が分からなくなってしまっているけど、どうしよう、という心配は、人生のポーカーテーブルにチップとして積むことができるだろうか?いや、それもチップとしては偽物だと思います。だって、自分の生き方が分からなくなってしまったからこそ、人生に疲れてしまった人たちの話が聞けるし、そこから立ち直って笑顔になっていった人たちの人生を見ていて楽しくなったり、微笑ましくなったり出来るのです。自分の生き方が最初から分かっていて、それが揺るぎのないものだとしたら、悩んでる人の話なんて耳から耳へと通り抜けてしまうだけです。

自分が安全な場所から、困っている人や悩んでいる人の話を聞いたって、それは英雄でも何でもありません。人の命で遊んでいる殺戮者です。話を聞くことは、その人の人生を酒の肴にすることではありません。古代の剣闘士が、コロシアムで命と命のやり取りをしている、大声を上げながら相手に斬りかかる瞬間、切られた相手が叫び声を上げる瞬間に同調して、興奮するような趣味の悪い貴族は、ヒーラーやカウンセラー、コーチにはなれません。

私がサラリーマンを卒業して、独立し、ヒーラーという職業になってからずっと憂いているのは、上辺だけの自称ヒーラーや、カウンセラー、コーチが増えたことです。悩みを聞いているようで、人の人生に関わっているようでいて、競馬場でどの馬が勝つかを予想し、当たった外れたに興奮するだけの人種がものすごく増えてしまったことです。

人の人生は、競走馬ではありません。

『自分の生き方がときおり分からなくなったっていいじゃないか』と思いました。これが、これこそが、私の人生の面白さなんだと。

これが私の命ってチップを賭けるに値するテーブルなんだと。

中学生のとき、2年間腎臓の難病で入院していた時。身体を動かせなくなった悔しさ。医者になろうと努力したけれど、どうしても苦手な勉強が続けられずに、自分はなんてダメな人間なんだ、と思った時の絶望感。とオーストラリアに留学して、勉強が辛くて辛くてうつ病になった時の情けなさ。カウンセラーに話を聞いてもらっていても、何も変わらなかった悲しみ。大好きな彼女と国際遠距離恋愛をしていたときに感じた、何もしてあげられないことの無力感。ダイヤモンド鑑定士をやってたときに、周りの人間に裏切られたときの、痛み。

世の中には、これを読んでくれているあなたのように、走りたくなくても、他人の人生の思惑の中で走らされている競走馬がたくさんいます。私もそうだったし、もしかしたら、今でもそういうどこかの大きな流れに巻き込まれているだけなのかも知れません。ただ、願うべくは、あなたとはせめてジョッキーとして相棒であり続けたいということです。あなたの人生のトラックを走るのは、あなただし、あなたの代わりに私が走るわけにもいきません。

だけど、せめて走り疲れた時、悩んだり苦しんだりした時、悲しい時、それから、嬉しい時における走り方の違いとか、息遣いの粗さとか、筋肉の柔らかさとかを、背中を挟んだ両足で感じられる人間でありたい。

出走するときのファンファーレが鳴る前に、一緒にスッと他人が運営する競馬場を後にしたっていい。背中に私が乗っているのが、重荷であれば、私はそのとなりを堂々と歩いたっていい。私が賭けたいのはいつも目の前のあなたがあなたらしくいられる可能性に対してであって、勝つ可能性がある馬に賭けたいわけじゃないんです。

話を戻します。

人の話を聞く仕事なのに、人の話を聞いているとボーッとしてしまい、話がまったく耳に入ってこないことを悩んでた私は、現状の外側である心療内科に行ってみることで、そこにいたちょっと不思議な臨床心理士さんと話をすることで、なんか面白くなってきました。私はここ数年で、疫病が蔓延した世界になってからというもの、更にものすごく感覚が開いてしまったので、前よりも目の前のあなたが本当のことを言っているのか、そうじゃないのかの区別がつきすぎてクラクラすることが多かったです。

一番ヤバいのが、ファミレスと、大衆居酒屋です(笑)ほとんどの人たちが、自分の話をしていません。これは、驚き以外のなにものでもありません。自分じゃない、社会という枠組みのビッグデータで算出された会話プログラムを勝手に話しているAIがいたら、こんな感じなのかも知れません。

本当のことを言っているのか、が分かる、というのは嘘をついている、ということではありません。本当のあなたかどうかが分かる、という言葉のほうがより適切かもしれません。

あなたが取って付けたような世界の切り取り方や、誰かから聞いたような言葉をつらつらと並べる時、あなたはあなたではなくなっています。その時は、言い方はとても悪いのですが、とにかくつまらない。一流の地獄のつまらなさがストラディバリウスで交響曲を奏でるような時間が永遠に続くように感じます。

反対に、あなたが自分そのもので話をしているとき、話が頭のフィルターをぶち破って身体に染み入ってきます。そのとき、私はとてもおもしろく感じます。おもしろさ、とは内容、コンテンツではないのです。コンテクストです。あなたがあなたの世界をあなたの切り取り方で切り取ったときに、私たちは、世界の新しい一面を目の当たりにします。なので、とっても温かい光であふれています。なので、面白い、のです。

つまり、また自分が知れたのです。自分の取扱説明書は、生まれたときには親とか学校とか、社会とか言語とかが墨塗りにしてしまっているので、その黒くなった部分を失敗したり、経験したり、嬉しくなったりして調子に乗ってみたりして、また痛い思いをしたりして、少しづつ知っていくのです。たぶん、私たちが生きているのはそれ以上でも、それ以下でもないのでしょう。自分を知るってこと以上に、知的好奇心を揺さぶられる娯楽はないからです。

さて、自分が人の話を聞いているときに、ボーッとしてしまうのは、100%そうだとは言い切れないのですが、相手が相手ではなくなっているときなのだと気づきました。今度は、自分も話をするときに、相手をボーッとさせていないかに気をつければいいのだと思いました。それであれば、なるべく自分でいればいいのですから、自分でいられる環境や状況を整えてあげるだけでいいのです。

それから、ヒーラーとかいうなんだかヘンテコな肩書きを背負っているので、誰にも相談する人がいない、という苦しみに関して考えた答えとしては『なにを持っているかではない、なにを失うかだ、人間の一番の悩みの根源はそこなのだ』という言葉が救ってくれました。

というわけで実際もりやまは、何を失うんでしょうか?それを考えてみることにします。

実際、いろいろ考えてみたんです。

もしかしたら、私はこれを読んでくださったあなたから愛想をつかされるかも知れないし、信頼を失うかも知れないですね。嘘つきだ、とか、今まですごい人だと思っていたのに、残念ですとかね。もちろん、そんなことを言われたら私は人並みに悲しいですけれど。いちおう、人間なので。

でも、最近の出来事で学んだこととか、自分の今までの生き方を振り返ってみたりとか、こんな疫病が蔓延して、人と人のコミュニケーションや触れ合いができなくなっても、周りの人たちの一生懸命生きている姿を目にして思ったことは『もっとみんな失うことを面白がればいいんじゃないか?』ということです。

今まであったものがなくなったとき。ルールや制約が厳しくなったり、世界の切り取り方が変わってしまった時、そこに喪失感もあるでしょう。だけど同時に創造力も産まれています。

昨日、近所の中華屋さんに行ったら、アルコール度数0.5%の麦炭酸飲料が売ってました。日本政府が飲食店でのアルコールの提供を控えるような政策を打ち出しているので、某飲料メーカーが満を持して販売したみたいです。ノンアルコール飲料でもないし、アルコール飲料でもない。これは、私たちの創造力の奥深さだと思いませんか?

そういうわけで、私もヒーラーというもの、そういった肩書きから、面白くもなんともない重荷を下ろそうって思ったのかも知れません。ヒーラーってものや、イメージを世間一般のものからどう書き換えようかなーって思っているところだし。

つまんないじゃないですか。ヒーラーがいつまでも、世間一般に思われるエセヒーラーのままだったら。

『なにを得られるか』を考えるよりも『なにを失うことを面白がれるか』を考えてみると、ワクワクしませんか。

あなたが本当に人生で賭けられるものは、命、っていうチップって決まっているし、それ以外に本物はないんですもの。命を賭けて得られた体験とか経験とかを、他人と交換する、そこに私たちの本来の姿があるのではないですか。

他の、財産とか、肩書きとか、高級腕時計とか、結婚しているとか、子供がいるとか、会社でこんな成績をあげたとか、給料をいくらもらっているとか、そういうのは、実は考えてみるとゲームセンターのコインや仮想通貨となんら変わりのないように思えます。言い換えるなら、おもちゃのコインを賭けつづけても人生をしあわせには感じないのと一緒です。

人もそうだし、世界全体の自然の流れをざっと見渡してみると、私たちが生きる上で一番おもしろい、しあわせと思っているのものは、テーブルの上で命、言い換えれば魂を賭けたとき以外にありません。

失うということは、創造するということです。

私がこのヒーラーという職業を通して、今回こんな文章を指先の赴くままに書いてみて失ったことはたくさんあるかもしれません。その代わり、私は『自分の抱えた悩みや苦しみを誰にも相談することができない』という洗脳を解くことができました。

失ったことで、創造することができたんです。

だって、これを読んでくれた人全員に、私は自分の悩んでいることや、苦しんでることを相談できたから。

ただただ、ずーっと話したかったことを話すことができたから。

つまり、これを読んでくれる人がひとり増えるたびに、私は自分の抱えた悩みや苦しみを相談する機会を得られているわけです。


誰にも相談する人がいない、なんて思い違いだったんです。

誰も分かってくれない、なんて思い違いだったんです。

なにかを失うんじゃないか、なんて勘違いをしていたんです。


だってその証拠に、あなたはここまで読んでくれたでしょ。

あなたはこの文章を読んでいる時間、つまり、自分の命を賭けて、私を救ってくれたんです。そんなお人好しが何十人もいるんです。すごいです。ヒーラーがこの瞬間新しく何十人も誕生したんです。

それから、読んでくれた勢いでなんとなく、スキを押したくなったかも知れないし、もしかしたら、もりやまに個人的なメッセージを出したくなっているかも知れないし、自分について、もういちどゆっくり考える時間ができたかも知れない。

考えてみると、命以外、何も失われていないんです。あなたが好きで好きで仕方のないお金だって、これっぽっちも失っていない。

だから、人生における失うことのやるせなさとか、つらさとか、どうしようもなさから、この文章を読んでいる間だけでもいいから、楽になるといいなって思います。願わくば、それが一日、また一日つづくといいなって私、もりやまは思うのです。

私はいま全国でヒーリングの旅をしようと、画策しています。もしも、サポートいただけたら、それは旅の資金にしようとしていますので、私の作品に少しでも感銘を受けてくださいましたら、ぜひ、サポートよろしくお願いします。旅のレポートが書けるのを楽しみにしています。今からワクワクです☆☆☆