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カンボジアの水上住居に住むベトナム人

カンボジアのトンレサップ湖の水上住居に住むベトナム人の話を初めて聞いたのは、8年くらい前、ホーチミン在住時だったと思います。たまたま訪れたホーチミン市美術博物館内の小さなギャラリーで、ドキュメンタリー的な展示を行なっていました。

ベトナムで聞いた話


そこではトンレサップ湖のボートに住む、ベトナム国籍もカンボジア国籍も持たない子供たちの写真が多く展示されていました。
当時すでにホーチミンではメトロの工事が始まり、高島屋ができて、ベトナム都市部の人々は高度経済成長を楽しんでいたところでした。その喧騒の中、小さなギャラリーで見た、真っ黒に日焼けしてボロボロのTシャツを着たベトナム人の子たちが、水上に浮いた学校でベトナム語を習っている姿の写真は衝撃的でした。

ギャラリーのスタッフに聞いた話では、そこで生まれた子達はカンボジア生まれなのでベトナム国籍は持てず、カンボジアもIDカードを与えてくれないとの話でした。

カンボジアのギャラリーでの展示

その後、プノンペンのBophana Centerでトンレサップ湖のベトナム人住人の写真展を見たり、

シェムリアップのTreelineギャラリーでもトンレサップ湖の水上住居をテーマにした作品の展示を目にし、このトンレサップ湖のベトナム人への関心が高まっていました。

現地のガイドさんから聞いた話

8年を経てやっと現地へ

日本から家族が来た際、遺跡は既に相当数行った父の「トンレサップ湖に行きたい」というリクエストで、ガイドさんをお願いしてトンレサップ湖に行きました。

ボートに乗れるような場所はトンレサップ湖に2カ所あり(それも直前に知った)特に指定はしなかったのですが、自動的にシェムリアップから近い「チョンクニア」というベトナム系住人の水上住居のエリアに行くことになりました。

10人乗りの小さなボートに乗り、プノンクロムを背にしてボートは南に向かいます。

出発してすぐ感じたのですが、ベトナム・メコンデルタのカントーのカイラン水上市場、ミトー、ヴィンロンに非常に似ています。

その話をガイドさんにすると、それもそのはず、このエリアの住人はメコンデルタ出身の人なのだそうです。

シェムリアップ市街地からシェムリアップ川を南下すると
チョンクニアに着きます

メコンデルタのベトナム人が北上

トンレサップ湖の現地のガイドさんの話と、プノンペンで聞いた話、ベトナムで聞いた話を統合すると、カントーあたりのボートで暮らしている人たちがそのまま川を北上して一部はプノンペンの水上住居で暮らし、一部の人はさらに北上してトンレサップ湖に住み着いたようです。

ベトナム側でもおそらく水上住居の人たちの戸籍は全ては把握することができず(首都の北部からは政治的にも民族的にも離れすぎているのもあり?)カンボジアに入る際も水路は陸路に比べてボーダーが甘く(?)またカンボジア側では不法侵入とみなされて簡単に国籍を与えられないということなのかな、と個人的に考えましたが…
なんせ両国間関係がよくないため(カンボジアでは反感、ベトナムでは無関心と差別)地元の人に聞くと感情的になってしまってしまいます。

ベトナム系水上教会

水上の教会
仏教国のカンボジアではほとんど見ない教会(ベトナムでは1/3程度がクリスチャンです)
ベトナム語の看板も。

ベトナム系水上小学校

ガイドさんによると、水上住居に住む子供は、小学校5年生まではこのベトナムの水上小学校に通いベトナム語とカンボジア語を習い、その後は地元の公立学校等に進むそうです。
「小学校5年生まで」でピンと来ましたが、ベトナムの学校制度は5・4・3制で小学校が5年までです。(カンボジアは6・3・3制なので、小学校は6年生まであります)なので、小学生まではベトナムの文化を習うということなのでしょう。

Trung tâm giáo dục và từ thiện(教育・チャリティセンター)とベトナム語で書いてあります。日曜日でしたが、子供がいました。

ノンラー(三角帽子)はカンボジア人はかぶらないので、ベトナム人とわかるそうです。

ベトナム系の水上寺院

教会だけでなく、寺院もありました。
ベトナムに住んでいた時は寺院と教会が共存することに何の疑問もありませんでしたが、それを丸ごと外国に持ち込んでいることに驚きました。

カオダイ教?
仏像が祀られていました。

海のようなトンレサップ湖

実際はトンレサップ湖というより、トンレサップ湖に近いシェムリアップ川に水上住居はあるようでした。

トンレサップ湖は対岸が見えず、海と言われてもわからないような風景です。ここで取れる魚がカンボジア人の胃を満たしているのだなあと実感しました。

書籍で確認

前述したように、(想定では)メコンデルタ地帯はベトナムの政治の中心からは離れすぎてハノイの関心があまりなく、カンボジアでは(表向きには特に何も言いませんが)反ベトナム感情によりトンレサップのベトナム系住人の話には触れたくないというのが本音のようです。

泊まっていたホテルのライブラリーに、トンレサップ湖の書籍がありました。

もしかすると今の時点ではこのテーマは、ベトナム人・カンボジア人に聞くよりも、第三者の目で見た方がいいのかもしれません。

水上集落は、カンボジアで最も民族的に多様な集落のひとつでもある。クメール人に加えて、チャム系イスラム教徒、ベトナム人、中国人のコミュニティもかなり含まれている。伝統的に、多くの水上村落にはベトナム人が居住しており、湖上には約12,000人が暮らしていると考えられている。本当の数を把握するのは難しい。このようなコミュニティ間の多様性は、彼らの経済にとって重要である。

外国人旅行者は何世紀にもわたってトンレ・サップを訪れてきた。現在チョン・クニアの水上村がある湖岸は、かつてアンコールと海を結ぶ海上貿易が行われていた。
商品は遠く中国まで取引され、港は世界中からの旅行者でにぎわったことだろう。この古代の世界とのつながりは、アンコール王国の滅亡とともに途絶えた。

Tonle Sap, The heart of Cambodia's natural heritage

何とアンコールの時代からトンレサップ湖のチョンクニアと海は繋がっていたのだそうです。アンコールの最盛期は、カンボジア(アンコール王国)はインドシナ半島の大半を支配しており、国境が動いただけで人の往来はいつの時代も常にあったのだろうなと思いました。

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