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見えてきたもの

今年に入ってから、イヤリングをつけはじめました。今更感、ですが。
テレビに出ている方が、みなさま耳元のオシャレを楽しんでいるのを見てなんとなく。

作るのはすぐ出来るので、あっという間に数セット出来ました。
オリジナルが多いので、撮影しておこうとブツ撮りと着用画を撮影。

着用画は自撮りなので、耳元だけを写そうとすると、無理な姿勢でしわが出来たり。
あとは、肌の色やハリとかも気になりますね。。

あまり自分を撮影する必要のない仕事ばかりしていた。
小学生の頃は、よくマイクの前に立たされて司会したりしてたけど、それ以降はあまり自らのビジュアルで仕事をしていなかった。
あえて避けてたというか。。

作ったり表現したりが基本ずっと好きで、というのもありますが、ネットの社会になって、著名人でなくても顔出しで信用されるとか、意味合いが変わってきたように思います。

で、改めて撮影してみると、我ながら老けたのう。。
とか、普段の姿勢や身だしなみ、なんかをチェックするのにも、自撮りはいいかもしれない、と感じました。

一応、他人にはこの姿しか見えてないわけだし。

笑ってるつもりでも笑顔に見えてないとか、そういうのは周り回って自分が与えるものになる。

怒りを提供するのと、笑顔を提供するのとでは、あとの世界がそうとう変わりそうです。

無財の七施、という表現が仏教ではあるそうですね。生きていればお金を出さずとも、誰でも与えられるもの。

表情を与えるもの、という考えは全然持ち合わせていませんでした。
でも今ならわかります。

耳ものアクセサリーをつけると、自然に表情に意識がいく。
その時、良い表情でないとつけていても残念に写るだろう。
その施しが、自分の身に返ってくるのだから、普段から意識してないといけないのですね。

意外な勉強になりました。もっと前からつけてれば良かったかな。

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