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惑星スペースシップの乗り方?

わたしがノウハウお化けに飲み込まれている、と言われてしまいました。

なんだか、ネットっていう乗り物の乗り方があるとか、こうしないとダメとか、自分は成功したからノウハウ売ります、的な。

わたしがどういう乗り方をしようとも、間違いではなかったと思う。

SNSって、こう書いちゃダメっていう人は確かにいた。

ビジネスの型を知らないからうまくいかないんだ、と言う人もたしかにいっぱいいる。

でも、乗り物の乗り方って、基本自己流でも、他人を怪我させなければ問題ないのでは。

わたしの方が怪我してるような、気がするけど。

Twitterによくある、こんなことありました、はありました。
本当にいるんだね。。

罪ではないけど、作家潰しっていうのかな。
何で買う側にはペナルティがないんだろう、売り手側には信頼されるためのたくさんの証拠の提示が必要なのに、買う側は自分を証明する必要がないんです。
だから、行方不明案件が発生して、苦しむのは売り手だけなんです。

なんか不動産にもあるみたいだけど、貸しマンションのオーナーが外国人で、税金払わず逃げて、借りてる人に来たという話、、

うちはわたしの意見を見張る人がいる。理論攻めで、間違いだらけだと、わたしの言葉に必ずノーと言う。

でも、何故うまくいってないのか、と聞いても知らんと。

じや、そのノーより言葉で言う人の方が褒められるのでは、とますます乗り方を調べる。

そして、マイナンバーカードを持っていない日本語が、わたしの頭に届くのか?

的な?

ノーは間違いではない。
わたしが正しいという保証もない。
単なる、相手の見解だ。 

ノウハウも同じだという。のだ。

今動きがないからと、動こうとすると、ほらやっぱり動いた、とメッセージ。
結局、わたしの味方をしてくれるのは、ノウハウの方なんだ。。

結局、わたしは味方を探しているだけなのか?
うまく出来ない保証しかない場所で、乗り方を間違えたんだろ、じゃン万円出せば答えを教える。

流石に毎日、数千円単位の経費削減に邁進している日々、そんな経費など出したら家を出ていけと言われるだけだ。

先月はとうとうゼロ。なにも、生まれなかった。

全方位敵、金金くれクレだ。
誰がこんな未来にしたんだ。わたしはこんな未来など描いていなかったのに。
もっと輝いていた未来を見ていたのに。

わたしじゃないか?と言われる。
それは、誰に聞いてもそう言うだろう。
でもその突破口に手を出したシナリオだったら、今よりは少しマシだったんじゃないか、とわたしは考えていて、それにイエスを言ってくれる人を探し続けていたのだ。

突破して結果が出なかったら、自分の責任だとわかるが、突破もしてなかったら、結果は何もない、だ。

まさに、今ここ。

わたしの財産はわたしのものじゃないのだ、わたしのスペースシップなのに、数十人がわらわらと操作してるような気がして、とてもつらい。

でも揚げ足取りがたくさんいるのは知ってるし、カモリストに入ってんじゃね?と思われても何も言えない。

ただ、今わたしの所に届くメッセージが、がんばれ、と数字で言っている。

いわゆるエンジェルナンバーだ。

なぜこんなに、ゾロ目ばかり見るのだろうね。不思議だね。

そしてnoteさんも、さっき1111文字になりました!!

そして気づく。これは八方美人シャドウだ。

ああすれば良かった、というのは自分の選択肢をミスって、嫌われたから出てくる自分責めから来るんだそうだ。

誰からも嫌われたくないのに、嫌われたことに怒ったシャドウが、わたしを責めているのだ。

それが、何故か理由を他人のせいにして、怒りをぶつける、いわゆる愚痴になり、ますます嫌われ、人が遠ざかるという負のスパイラルになるそうなのだ。

自分の理想が叶わなかったことよりも、今、自分にはまだ選択肢がちゃんと残っていて、嫌われない方法を選択するチャンスは、誰でも絶対にある。

わたしは最近、「あまのじゃく」「八方美人」「飽き性」という誰でも持ってるだろうシャドウが、わたしにもいることに気づきました。

この間認めたシャドウは、あまのじゃくです。

最近ノウハウお化けにとらわれている、よくある事例に引っかかる、は八方美人のシャドウ。

これには、「嫌われない方法」で指南している方がかなりいまして、愚痴で検索するだけでむちゃくちゃ沢山出てきます。

さすがに誰でも持ってるシャドウっぽく、今まで見てきたノウハウとは真逆のノウハウ。

心理学からだと、アドラー心理学で有名な「嫌われる勇気」のような、嫌われてもくじけるな、的なノウハウになりがちです。

でもこちらのアプローチでは、今の時代に合いそうな言葉が並びます。
未来は妄想でしかないので、当たらないとしても慌てず、しかもあなたという人には価値があるので、誰かに価値を提供できる。

自分の今ここにいる範囲で、できる選択で、価値を誰でもいいので提供する、ならたとえ小さな事でも、愛なのだ。

愛や自分の選択肢、価値は無尽蔵にある。誰でも持っていて、誰かと比べる必要はない。

なるほどなあ。これからみんながこういう価値観で動くとすれば、一番やっちゃいけないのは、価値提供することが恥ずかしくて公言できない方法だ。

こっそりノウハウを買うことはまさにそれに当たる。
あと愚痴を言う行為もそれにあたる。

そしてわたしという人間が作る作品を買って、わたしから買ってよかったとわかる証拠が欲しいだろう。

証拠を書くのにノウハウなどいらない。何故なら、もう作品はあるのだし、愛や価値観は「在る」のだから。

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