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英語は私にとっての母親になった 英語学習に悩む一部の人には響くかもしれないストーリー

【上記の天狼院メディアグランプリに投稿していたライティング記事です】

地元の音楽教室に行っていた高校生の私は、その教室の先生に恋をした。その先生は当時大学生で、私にとってはとても大人な、魅力的な男性に見えた。普通に話せるようになるまでに1年、メールアドレスを聞くまでにまた1年かかった。私は大学生になって、彼氏が他にできたこともあったし、その時は本当に彼氏のことが好きだったけど、その先生と話せるだけで舞い上がってしまう。そんな憧れの人。

私にとっての英語は、まさにその人のような存在だった。違う点があるとすれば、出会い方。英語との出会いは最悪で、中学1年生の初めての試験で「あ、この人(人ではなくて英語なんだけど、人がまさにしっくりくる)を理解することは一生できなさそう」と思った。「make」という単語を「メイク」と読むことができない。小学生の時に習ったローマ字なら「マケ」のはずなのになぁ……。忍耐力のない私は、その時点で英語との関係を一度放棄した。

しかし恋の嵐は突然やってくる。きっかけは同級生が聴いていた洋楽だった。
「何言ってるのか全然わかんないけど、超かっこいいじゃん!」
英語を理解したい、という気持ちが激しく高まった。その頃にはさずがにmakeをメイクと読めるようになっていたから、暇な時にはアヴリル・ラヴィーンの歌詞カードを開いて、家でCDを流して、発音の練習をしながら大声で歌った。勉強なんてどの教科も全くしていなかったけど、宿題はもちろん、予習復習を英語だけは欠かさずやるようになった。親に頼んで、英語だけ塾に通わせてもらった。

そうこうするうちに、英語の成績は自分でも驚くほどに上がっていった。でも、英語とは良好な関係が築けましたね、とは簡単にはいかなかった。

高校では、夏休みの1ヵ月を使って、オーストラリアにホームステイをした。受け入れをしてくれたホストファミリーは温かい人たちで、良い思い出ではあるのだけれど、英会話については撃沈だった。
「ホストシスターが何を言っているのか、わからない」
「言いたいことが、英語で全然出てこない」
「たまに英語が出てきても、発音が悪いのか、伝わっていない」
「当然、話も盛り上がらない」

近づいたと思ったら、離れていく。憧れの英語様は、この後の私の人生でもずっとそんな存在だった。何とか追いかけて、たまに甘い顔をしてくれて、だからさらに追いかけるのだけど、追いつけない。苦々しい思い。とはいえ追いかけ続けていると、本当に少しずつは近づけるもので、去年2017年の9月に私は初めての海外出張の機会を得ることができた。場所はカナダ。カンファレンスの出席で、15分と短いながらもプレゼンテーションをするチャンスも得た。もちろん、英語で。

出張の前、すごく勉強をした。直前に夏休みをとっていた私は、フィリピンのセブ島にこもって、英語のレッスンを受けながら、プレゼンテーションの準備を黙々とした。生涯で一番真剣に、でもプレゼンテーションの機会に心を躍らせて前向きに、英語を勉強した。

プレゼンテーションは何とかやりきった。でも、不完全燃焼だった。英語がもっとできれば、もっと伝えたいことがあった。もっと当意即妙の返しができたはずなのに……。それでも張り詰めた緊張からは解放された私は、一息つこうとお手洗いへ向かった。

お手洗いの鏡の前で、まだ自問自答をする私に、少し褐色の肌で黒髪の女性が声をかけた。南米からきている人かしら、とちらりと思った。女性は言った。
「あなた、さっきプレゼンテーションしていた日本人だよね? 私、あなたのプレゼンテーションにすごく勇気をもらったの。ほら、私たち、英語が第一言語じゃないでしょ。それでも、しっかり英語で伝えられたあなたは素晴らしいわ!」

「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいよ」
と返して、私はお手洗いを去った。

海外の人が褒めてくれるのは、通常運転。珍しいことではない。英語力にしかフォーカスできないほど、私のプレゼンテーションには見出すべきところがなかったのかもしれない。と自分に言い聞かせるように、会場を歩く。でももうこの時点で、これまでには感じたことがない、わくわくする気持ちを抑えきれなくなっていた。

私は相変わらず、満足するほど英語はしゃべれない。最近の夏休みにはシンガポールに行った。タクシーに乗って目的地を告げると、ドライバーが怪訝な顔で聞き返してくる。私の発音が悪く、どこのことだか分かりづらいらしい。
「今度から、目的地を紙に書いて渡した方がいい。君の発音、聞き取りづらい」
いやあなたこそ、癖が強いアクセントしていますけど、と心の中で思い、憮然とした表情を返す。表情だけで返すのは、問題を起こしたくないという気持ちもあるけれど、それ以上に咄嗟に英語で言い返すほどの英語力がないからだ。

昔だったら、私の発音悪いんだ、また英語が私から遠ざかってしまった……と傷ついていたかもしれない。
でも、最近はそんな自分が嫌いじゃない。
英語では、聞き取れないことが多い、伝えられないことが多い、できないことが多い。それでも、私はつたない英語を使って、生きている。どうせ正確にはコミュニケーションができないのだから、周りの人に頑張ってもらうしかない。英語を話している時の私は、まるで5歳児だ。少し恥ずかしいことだけど、同時に心地よいことでもある。
英語は憧れのあの人から、私を見守り、育ててくれる母親になったのだ。

お読みいただきありがとうございました😊🙌