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『鉄鼠の檻』のはなし

京極夏彦著『鉄鼠の檻』で、「言葉にしたらわからなくなる」という記述があって読んでるときはそうやなぁ。とか思ってたんだけど、自分の中でそのロジックを明文化できていなかった。

最後に『鉄鼠の檻』を読んだのは昨年の7月なので、1年年程経った昨日、急に「言葉にしたらわからなくなる」のロジックを明文化できそうな気がしたので挑戦してみようと思う。

仕事柄質問されることが多いのですが、前回はこうしたので、今回もこうやってみてよいですか?と聞かれることが結構あります。パターン化して事象を簡単に扱えるようにするのは人間の美点ではありますが、結構前回と、今回では状況が違うことが多いです。

これは質問をしてきている人と私とではパターン化の方法が違うから起こっている現象なんだと思います。彼の捉え方では今回と前回は同じ現象に見えていて、私の捉え方では別の現象に見える。個人的には質問してくれた人はパターン化する際に情報をそぎ落とし過ぎてるから、別の対応が必要な2つの事象を同じもののようにとらえているのだと思っています。

言語化と言うのはもともとは不定形で不安定なものを型に嵌める行為と言い換えることが出来ます。不定形で不安定なものを型に嵌めると理解しやすく扱いやすくなります。それが言語のいいところですが、型に嵌める際にやはり情報をそぎ落とすことになります。

言語化するまでは分かっていたはずのことが言語化することでわからなくなる現象は、言語化することでそぎ落とされた情報こそが大事な場合に起こるのではないでしょうか。そう考えるとあんまり言葉は妄信するものでもないなぁと思ったりするわけです。


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