4/9 人生は苦痛がデフォルト

なぜ、人は生きるのだろうか
意味なんてそこにはない
好きなアニメの続きが見たいから、好きな漫画の最終話を見るまでは、子供を大人に育てるまでは、家族を悲しませたくないから
色々あるだろう
じゃあなぜ人は死ぬのか
人生に絶望したから、好きな人に裏切られたから、鬱だから、借金をしたから、つらいから
前者は他者に依存し、後者は己の中にあると考えている
人の生きる理由は自分以外にあり、死ぬ時は自分の中にある
つまり、死なないにはどうしたらいいのか
簡単に言えば「繋がり」を持つことだろう
それは人間関係だけにとどまらず、自分の趣味、好きな物、好きな話など色々だ
好きな物はあればあるだけいい、死ににくくなる
でもそれでも人間は不意に命を絶つ
その時、外界と己を切ってしまうのだ、無意識に
全てが見えなくなるのだ
己に支配される時、人はこの世から離れるという選択肢を取ってしまうのかもしれない
我々、ADHDなどの発達障害を持つ人間は鬱は身近にある
その理由は様々だが、自分の言葉で言えば健常者よりフットワークが軽すぎるのだ
どういう事かというと、普通の人がストップを掛けるような所で平然とアクセルを踏むことが出来るということだと思っている
思考と行動共に中々コントロールが上手くいかないというのが大きいからだ
筆者は軽度のADHDと軽度のASDの併発を持っており(おそらく)、人より明らかに劣っている部分が多く、社会不適合者であると感じる部分がかなりある
その中で、ADHDはスポーツカーに乗った赤ちゃんのようであり、ASDは共感力のない人だと(語弊を恐れなければ)表現する
ADHDは衝動性から、ASDは共感力のなさから平然と他者との境界を踏み切り、地雷を踏み、その度に傷つく、お互いに
これらの性質により、度々人と衝突し、ストレスを溜め込むことで精神病を併発しやすいと考えている
こうした発達障害は生きづらさを抱えやすく、命を絶つという行為に走りがちである
一方で健常者には健常者なりの苦痛があるとも思っている
それはバランスの良さからくるものではないかと予想している
つまり、どちらに生まれついたとしても苦しみは常に抱えるものであり、どちらも良い部分もあれば悪い部分もあるということである
人間は常に苦痛を抱えて生きる生き物である、幸せはイレギュラーなのだ
だからこそ、いかに苦痛を幸せに変えられるかが問われているのではないかと思う
特に、現代社会ではどのように生きたとしても必ず苦痛は待っている
会社員で生きようが、自営業で生きようが関係ない
等しく苦しみはある
安易に他人の苦しみはわかるものではない、分かってはいけない、その人にはその人の苦しみがあるのだから


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