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Gレコは行動する元気をくれる作品

神戸で劇場版Gレコ一挙上映を見に行った

 4月2日にキノシネマ神戸国際という映画館にて「劇場版Gのレコンギスタ」全5部一挙上映が行われた。2019年11月から2022年8月にかけて公開されたGレコ劇場版5部作を1日ぶっ通しで上映しようという企画だ。
 東京などに比べれば、近場で行われるということもあり、新幹線に乗って見に行った(見出し画像はキノシネマ神戸国際におけるGレコのミニ展示)。
 朝の10:00から上映が始まって、終わるのは19:00過ぎ。実に9時間の強行軍。1部ごとに20分の休憩があり、その間は劇場から出られるとはいえ、流石に身体に堪えた(特にお尻!)。しかし、5部全てを見終わったときには、充実感に満ちた心地よさを感じていた。
 身体がふわふわとした感覚と胸に広がる熱。「これがいわゆる映画を見て感動という奴で、それがセンス・オブ・ワンダーという奴なのだな」と理解した。GレコVを見終わった時ですらそういった感覚はなかったので、とても良い体験をしたと思う。

 2014年に放映されたTV版の「ガンダム Gのレコンギスタ」から、もはや9年。私は高校3年生の時にリアルタイムで見た。Gレコは私にとって青春の思い出となる作品である。
 キノシネマ国際神戸からホテルまでの帰り道で「Gレコについて自分の中で感想や意見について総括していなかったな」と思ったので、この度、自分にとって「Gレコ」はどんな作品なのか、を書き残しておきたいと思い、このnoteを書いた。

Gレコの作品としてのメッセージ

 初めに結論から言ってしまえば、Gレコの作品メッセージとしては『私達の価値観の背景にあるものを実感を伴って理解し、その先を「想像」して行動することが大事』というものだと思う。

ベルリ「地球では『科学技術であるアグテック(宇宙世紀時代の技術体系)は改良してはならない』というタブーを押し付けておいて、勝手ですね」
アイーダ「そのうえでエネルギーの配給をキャピタル・タワーに独占させて、ほかの大陸では……」
ノレド「アメリア人の感覚だけで喋るな!」
ハロビー「喋るな!」
アイーダ「人の自由を侵害されています!」
ベルリ「違いますよ、姉さん! 人は自然界のリズムに従うものです」
エル・カインド「そのように教わって、お育ちになったのですな」
アイーダ「え? 教えられた? 教えられたって……」
ノレド「自分で感じたことではないってことだよ」
ハロビー「教わる、入力、教わる」
アイーダ「刷り込まれてたということ……?」

    富野由悠季(監督), 2022, 「劇場版GのレコンギスタIV[激闘に叫ぶ愛]」
(創通・サンライズ, Blu-rayディスク)10:30~11:15
富野由悠季(監督), 2022, 「劇場版GのレコンギスタIV[激闘に叫ぶ愛]」
(創通・サンライズ, Blu-rayディスク)10:43

 この引用はGレコIV(TV版18話相当)にある、アイーダがアメリアのイデオロギー的意見を言って、みんなにボコボコに反論されて反省するシーン。そして、このシーンのあと、クレッセント・シップの副艦長から宇宙での訓練(授業?)を受け、アイーダは実感を伴った理解の大切さを感じるシーンである。

クレッセント・シップ副長「クレッセント・シップの大きさを数字で知っていても、実際に見ている感覚とは違うものだ。その違いを実感するのだ! 話が分かったら両手を挙げろ!」
一同「おおっー!」
アイーダ「遠い所から左右を分からせる色分け……。確かに、ここからあそこまで1キロぐらいあるなんて、見えない……。数字だけの理解は数字だけだもの」

富野由悠季(監督), 2022, 「劇場版GのレコンギスタIV[激闘に叫ぶ愛]」
(創通・サンライズ, Blu-rayディスク)11:48~12:18
富野由悠季(監督), 2022, 「劇場版GのレコンギスタIV[激闘に叫ぶ愛]」
(創通・サンライズ, Blu-rayディスク)12:10

 アイーダは「キャピタルはエネルギー資源の配給権を独占して、キャピタル以外の国・地域の活動を制限する酷い奴!」という政治経済的な思想を持っている。しかし、その思想はアイーダが数多ある思想やイデオロギーの中から熟慮して選び抜いた思想ではない。スルガン家のあるアメリアで育った中で自然に身につけた価値観・思想である。その偏ったイデオロギーを意識せずにアイーダは「人の自由を侵害されています!」など正義ぶった物言いをするものだから、ノレドやクレッセント・シップ艦長のエル・カインドから「それは貴方が感じて言っていることなの?」と窘められる。そして、アイーダは宇宙訓練を通じて、「実感なしの理解の問題性」あるいは「実感を伴った理解の大切さ」を感じるのである。
 Gレコのストーリー自体がアメリアやキャピタルといった所属や組織の垣根や束縛を超えて、地球からザンクトポルト、ザンクトポルトから月、月から金星圏のビーナス・グロゥブまで旅し、その場所と人々の実態を見て、感じ、新しい視座を拓いていくというロードムービー的物語だ。最初は自分の所属する集団や組織の主義やイデオロギーに同化していたアイーダやベルリが自分で見て、考えられるようになっていくストーリーである。
 イデオロギーとは国家・階級・党派・性別といった社会集団や社会的立場において思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系のことを言うが、イデオロギーを超えて、自分の足下(現実の諸形態?)を理解する、考えられるようになる、というのは極めて難しいことだ。

 少しマックス・ウェーバーの「職業としての学問」から文章を引用してみる。

 さて、たとえば今この講堂におられる諸君は、そのだれもがインディアンやホッテントットのような未開人よりもよく自分の生活条件について知っているといえるであろうか。おそらくは、いなである。たとえばわれわれが電車に乗ったばあい、専門の物理学者なら知らず、一般には、だれもがその動くわけを知らないし、また知らなくてもすむのである。われわれはただそれがどう動くかを「予測」しうればいい。これによってわれわれは、電車の動きにもとづいて行為することができる。しかし、それがどのような構造によって動くかは、少しも知っている必要はないのである。
(中略)
こんにち、われわれはもはやこうした神秘的な力を信じた未開人のように呪術に訴えて精霊を鎮めたり、祈ったりする必要はない。技術と予測がそのかわりをつとめるのである。

マックス・ウェーバー(訳:尾高邦雄), 1936, 「職業としての学問」(岩波文庫)p.32-33

 この文章は、マックス・ウェーバーが学問を裏付けとする技術を用いた主知主義的合理化(自分が認識している世界の秩序に対する論理的な解釈)がどのようなことを意味するのか、を説明したものである。具体的には、現代社会において、人々は生活するだけなら、背景にある原理や構造について知っている必要はなく、単に「コンセントに家電のプラグを差せば、家電が使える」とか「蛇口を回せば、水が出る」というような「予測」ができれば、生活するのに問題ないということを述べている。
 その「予測」を成り立たせている社会……電気供給や水道が整備・維持されていることを当たり前として享受している人が大半だと思う。そのようなこと自体は「当たり前に感謝しましょう」と頻繁に言われていることだ。しかし、自分が問題としたいのは「どのようにして電気供給や水道が整備・維持されているのか」という原理や構造を理解・想像できる人は全くいないのではないか、という点だ。
 現代社会は政府・企業という組織を中心とした高度な分業体制によって豊かさを成り立たせている。我々が消費・生産する道具もサービスも多数の人間が協業して生産しているものだ。
 スマートフォンを例に挙げるとソフトウェア、バッテリー、筐体、有機LEDディスプレイ、タッチパネル、カメラ、SIM/MicroSDカードスロット、アンテナモジュール、バッテリー、スピーカーなどといくつかの要素に分解できる。これらの要素の製造に関わっている人は何人だろうか? さらにその要素を製造するための製造機器、原料生産、それらの輸送手段と遡っていけば想像できないほどの莫大な数の人間が関わって生産されているはずだ。その過程で、どれほどの二酸化炭素や廃棄物が出されているのか? また、どれほどの雇用を生んでいるのか。
 スマートフォン1つの生産ですら、その全ての実態を想像できる人はいないはずだ。
 そうした社会の壮大さや偉大さ、歴史的背景、それによって生まれる歪みや汚染を想像できないまま、「予測」という反射、イデオロギーで行動しているのが現代人なのだと私は思う。

 現代社会はあまりにも多様かつ複雑だ。1つを変えれば、全体が大きく変動してしまうかもしれない。Gレコにおいて「想像」または「想像力」という言葉は頻発するが、何か1つの主義やイデオロギーで一方的に断じて、行動すると大変なことになる。だから、「想像」しなければならないし、「想像力」が必要なんだ、『「予測」の背景にあるものを実感を伴って理解し、その先を「想像」して、行動することが大事』というのが、Gレコという作品のメッセージなのだと思う。
(山田玲司の「絶望に効くクスリ」の富野回における富野由悠季の『「他者を見ろ!!」 「外界を見ろ!!」 コンビニのおにぎりも、作った人がいるんだと想像することです」』という発言そのままではないか?)

Gレコは行動する元気をくれる作品

 TV版Gレコを見ていた当時の自分は17歳だった。思春期まっただ中にGレコを視聴したためか、自分の興味関心の方向性はGレコの影響が強いと思う。Gレコがなければ、大学生の時、自分の専攻分野外である社会学を学ぶことはなかっただろうし、「社会」というものへの興味も薄かったはずだ。少なくともnoteで、このようなものを書くこともなかったし、マックス・ウェーバーを引用して色々考えてみることもできなかったはずだ。
 今の自分にとっての「Gレコ」とは「自分にとって新しい価値観を拓く行動の原動力をくれる作品」である。簡単に言い換えてしまえば、「行動する元気をくれる作品」である。
 Gレコを見た後は、やはり新しい行動や体験したくなるのだ。特に「どうしようか? しない方が良いかな?」と悩むような事柄について、Gレコは背中を押してくれる。
 例えば、キノシネマ国際神戸からホテルへの帰り道で三ノ宮駅周辺のガールズバーに行ったのがまさにそれだ。三ノ宮駅周辺を歩いていたら、ガールズバーのキャッチに捕まったので「初めてのことで怖いし、自分はお酒もそれほど飲めない。お金もけっこうかかる」と断ろうかと思ったが「世界を広げる経験にもなるかもしれないし、行ってみよう」と思い返して、キャッチに付いていったように。(しかし、ガールズバーで相手をしてくれた女性いわく、三ノ宮駅周辺はぼったくりバーだとか危険なお店も少なからずあるようで、危ない目にあう可能性も高かったようだ。価値観を広げるのも大切だが、「君子危うきに近寄らず」というのも理に適った言葉なのだろう)
 Gレコは世界を広げる行動の後押しをしてくれる。
 富野監督いわく、TV版Gレコの作品メッセージの対象年齢は10~15歳くらいを想定していたらしいので、TV版放映当時17歳の自分は対象年齢から2~3歳くらい外れていたのだが、Gレコは今の自分の価値観を支え、導いてくれる作品になってくれたと思う。そして、自分は、少なくとも自分本位な、現代本位な考え方に気をつけようとする人間にはなれたのじゃないか、とは思う。
 とは言っても正直、自分が富野監督が期待するような人間になれるのかというと難しいとも思う。

現在の科学技術の進歩と金融資本主義に汚染されてしまっている現代の問題を提示できるのではないか、っていうのがGのレコンギスタの本当のテーマです。

「富野由悠季から君へ2」“Update of G”」ドキュメントV
2016年4月17日 NHK講座「富野流仕事術~自分の個性を信じる~」での富野由悠季の発言

リアリズムだけで社会の問題に挑んでも、それだけじゃ突破できません。とりわけ政治家と経済人がいるところでは突破できません。突破するためには、政治家や経済人になる「子」たちに10歳から15歳ぐらいまでの間に「お前ら根本的に考え違いするなよ!」ってことを刷り込んでおくんです。そしたら50年後に首相やってるヤツに「お前のやってることはバカだろーっ!」って言えるでしょ?

2014,「富野由悠季監督が語る「アニメの専門化とリアリティの喪失」、そして『ガンダム Gのレコンギスタ』」,
マイナビニュース, 2014/03/24(2023/4/29取得, https://news.mynavi.jp/article/20140324-greco/5)

 「DXすれば、他企業との競争に打ち勝てる!」や「政府も制度的に支援しますので、みなさん頑張って資産を殖やしてください」、「資産運用しなければ、老後にどうなるかわからなくて不安!」という世間で跋扈する価値観に対抗できる人間。毅然とした主義を持って、政治家に対して「お前のやってることはバカだろーっ!」と叫んで、行動する人間。そんな人間になるのは、テロを行う以上に元気がいるだろう。
 そもそも毅然とした主義を持って行動するということ自体が難しいかもしれない。人が主義を持って行動することを、自分で考えて行動するということを当たり前にできるのならば、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人の組織的な大量虐殺)は起きなかったはずだ。
 個人の価値観やイデオロギーというものは、所属する集団やその歴史的背景から形作られるもので、自分はどういう足下の上に立っているか(歴史や人々の現実の流れの中に自己の存在がある)、と考えることができなければ、他人のイデオロギーの代弁者・実行者になってしまう。

 自由を求めるならば、自分で見て、自分で考えることを止めてはいけない。少なくとも自分の人生という大地に自分で立つ覚悟を決めなければならない。80歳を超えるお爺ちゃんが絶望せずに若者に期待してくれているのだ。自分はGレコの願いに応えたいとは思う。 
 最後にTV版GレコのPVのセリフで締めくくろう。

 「私たちは生きながらえたの。だから、未来を豊かにする!」

TOHO animation ,2014, 「GUNDAM Reconguista in G PV2」, 
youtube(4/29取得, https://youtu.be/2zJu_Sx6lGg)
ナレーションより引用

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