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同姓同名の人がいない

わたしには同姓同名の人が、多分いない。

苗字の漢字が珍しくて、
同姓の人は全国で350人しかいないそうだ。

下の名前は珍しくないが、そこまで多くもない。
同じ下の名前の芸能人は二人くらいいるが、
実生活ではまだ出会ったことはない。

ふとした時に「ああ自分には同姓同名の人がいないんだ」と思うと、
結構誇らしい気分になる。
自分が個性的でオンリーワンな存在に思えてくる。
選ばれし者。エクスカリバーを抜ける勇者。
友達より大事な人。神様がくれた最高のタカラモノ。

ただ、同姓同名の人がいないデメリットもいくつかある。

例えばネットで名前を検索するとすぐ自分がヒットしてしまう。
Googleで検索すると、
学生時代の活動や仕事の経歴がちゃんとトップに出てきてしまうし、
Facebookで検索すると、
顔から火が出そうな過去の自分が見られてしまう。

名前が珍しいとうかつに変なことができないのだ。

また、苗字が珍しい場合は印鑑売ってない問題にも直面する。
一般的な苗字の印鑑は100円ショップにも売っていて、
たとえ大事な日にハンコを忘れたとしても、
すぐに手に入れることができる。

福岡ソフトバンクホークスの甲斐拓也選手は、
プロ入団の正式契約日に印鑑を忘れてしまったそうだ。
そのことを編成・育成部長に報告したところ
「そういう気構えの子は契約しません」と怒り心頭のご様子。
0日目から大ピンチに陥った。

なんとかして印鑑を手に入れなければならない甲斐選手は、
オフィスにいた球団スタッフのなかに、
同じ苗字の甲斐さんを探した。

なんと奇跡的に甲斐さんが見つかり、
さらになんとちょうど年末調整の時期だったため
甲斐さんは印鑑を持っていた。
甲斐さんから印鑑を借りることができた甲斐選手は、
無事球団と契約を結ぶことができた。

甲斐選手は”甲斐”選手だから印鑑を忘れても
プロ野球選手になれたわけだが、
わたしの場合は印鑑を忘れた時点で
プロ野球選手への道が閉ざされてしまう。
どんなに野球がうまくても。

そう考えるとぞっとする。

* * *

同姓同名の人が存在するってどんな気持ちだろう、
とたまに想像する。

作家の小川洋子さんが、同姓同名の小川洋子さんと
食事をされたときのことをエッセイで書いている。

もう一人の小川洋子さんはテオプラストスの
『植物誌1』を翻訳出版された方だ。

『植物誌』は、紀元前ギリシャで書かれた植物学の祖となる研究書であり、
同時に植物を生活に活かすための実用書である。
この『植物誌』を小川洋子さんは全3巻で邦訳する予定だそうで、
小川洋子さんと食事をされた当時は、
そのうちの第1巻を完成されていたらしい。

その第1巻『植物誌1』の出版に費やした年月は、
なんと足かけ30年!

たしかに古代ギリシャの言葉を読むだけで
相当な時間がかかるだろうと想像できる。

しかし小川洋子さんの仕事は、単に日本語に訳すだけではなく、
『植物誌』を研究者にも、一般読者にも読みやすい本とすることだ。
そのために現代の最新研究をいかした注釈を詳細につけた結果、
注釈は本文の分量を超えるほどになった。
さらには、小川さん自ら現地や植物園などに足を運んで
観察し挿絵を書いたと言う。

小川さんは、人生の多大な時間を捧げて、
この長大な書物に真摯に向き合ってきたのだ。

小川洋子さんのことを書いているだけで、私の方が自慢顔になってしまう

小川洋子『とにかく散歩いたしましょう』

そう小川洋子さんは述べる。

小川洋子さんが、古代ギリシャの研究とともに、
当時の人々も植物を慈しんで暮らしていたという事実を、
いまの日本に伝えている。

ああ、『植物誌』の載った舟が沈まなくてよかった、小川洋子さんがいて下さってよかった、とわたしは思う。

(同)

食事の最後、小川洋子さんは小川洋子さんにサインを書いたそうだ。

小川洋子様 小川洋子

書き終えた時、この偶然に感謝せずにはいられなかった。自分と同じ名前の人が、遠い古代ギリシャの植物たちと日々、会話を交わしている。そう考えるだけで平穏な心になれる。

(同)

小川洋子さんはこんなに素敵な小川洋子と出会われたわけだが、
わたしはどうしても真逆の想像をしてしまう。

同姓同名の人が、不倫報道された芸能人だったら。
迷惑系YouTuberだったら。
国民の声を無視する政治家だったら。

ニュースで名前が出るたびにビクッとするし、
ネット上ではその名前に「消えろ」「死ね」みたいな言葉がついて回る。

その人に向けられた言葉だとわかってはいても、
その名前自体に強い言葉が浴びせられているような錯覚をするのではないか。
落ち込んだり、恥ずかしくなったり、怒りが湧いてきたりするのだろうか。
もはやそれらを通り越して、
その名前の代表者として申し訳ない気持ちにすらなるかもしれない。

* * *

大学時代に一人だけ、
漢字は違うけど同じ読みの苗字の女の子と出会った。

かなり人見知りのわたしだが、
苗字だけで結構親近感を抱いてすぐに友だちになれた。

一方で、(向こうにも全くその気がなかっただろうけど)
彼女を異性として意識することは決してなかった。

とても素敵な女性だったけれど、
同じ読みの苗字だということが、
わたしの中で無意識にストップをかけたのかもしれない。
読みだけでも同じ苗字同士で付き合うのは、
なぜか滑稽に思えた。

そんなこと気にする必要は1ミリもないのだが。

その女の子とは大学卒業以来会ってないが、
数ヶ月前に結婚したようだ。
Instagramで知った。苗字も変わるらしい。

彼女との間だけにあった共通点を失って、
少しだけ寂しい気持ちになった。


つくづく名前って不思議だ。

YouTubeでダウ90000のコントを見ていたら、
「自分と同じ名前の墓探そ」というセリフがあった。

わたしには自分と同じ名前の墓も、多分ない。

であれば、この名前での人生を精一杯生ききって、
最期に立派なお墓を建てようか。



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