自分の出自について語られるべき生活史が得られないというハンディについて

祖父母や親がいない子供に対して、学校行事などで「いて当たり前である」という扱いをすることが問題になっているという記事をみた。

そういやうちも片方の祖父母はいなかった。父方は血縁すらほとんどおらず、その人たちも後年失踪してしまったという。子供の頃は、おらんなあと思っていたが、逆に訳を聞こうとも思わなかった。

今でもいきさつは気になるが、自分が成長・独立したのに、親からきちんと話してもらえる機会が全くなかったので、若干の怒りをこめて「なかったこと」にしようと割りきることにした。

少し前、父親が死んだときに、母親がそのことを話そうとするきっかけがあったが、思わず遮ってしまった。お涙頂戴の故人の思い出話としてではなく、自分たちの生活史を子供にきちんと教えてほしかったと思う。

もっとも回顧録というか思い出話をきちんと語るのは難しい。自分たちの記憶だけでなく、客観的な視点も必要になるからである。うちの両親のように、記憶はあってもトラウマだらけで、生活史というところまで形を作れない場合がほとんどなのかもしれない。

とはいえ、自分が中年期にかかって以降、そのように自分の出自について語られるべき生活史が得られないということは、実はけっこうなハンディになっているのではないかという気がしている。

代償行為として、生活を含む昭和史など、映画を観たり本を読んだりして、自分なりに「自分の祖父母や親が生きてきた時代」を辿り直そうとしているのだが、それは多数の人生を少しずつ生き直すような疑似体験であり、やはり確固たるルーツではないきらいがある。

へたをすると、映画「ダークナイト」のジョーカーのように、身の上話が毎回変わり、おまけにそれはあまり良いものではない、トラウマ的な体験が集合的に集まっているような、一種地縛霊のようなものにもなりかねない。

けっきょく自分のふるさとは書物の世界であり、血縁は人間ではなくそれ以外の動物たちだという気分。人間社会から軸足が外れている。合わせることはできるし、外れているからこそできる仕事もあるのだが・・・。

他方、「そうではない」生い立ちの人おそらくは多数派であるし、「そうではない」ことを羨ましく感じざるをえないところもある。いや「たぶん」羨ましいと思っているのだが、まずは「どうも違う」という感じがある。同じだと思っていても実は「そうではない」人がいて、そのときに彼我の差をいちばん感じてしまうものである。

かんがえてみると、終戦直後は家族が「欠けた」人など当たり前のようにいたわけで、今でも比率はともかくとして、似たような事例はそれなりにあるはずなのだが、そういう側には目が向けられない、「なかったこと」にされているという可能性は大いにありそうだ。