【供養】 映画館で会った知人(ひと)だね

高校時代の同級生と映画館で出会う ルイズ・ブルックス観に来たとのこと 昔は漫画家アシスタント、その後インディ映画をちょっと撮っていた いまはDTP会社の派遣をやっているが 派遣切りにあって失業し 給付受けつつ緩やかにやってるらしい

独身であり妻も子どももおらず 実家はそれなりに裕福であり 援助こそ受けていないようだが何かあってもおそらく大丈夫で 好きなことずっとやっている 羨ましい立場のはずが あまりそう感じない その理由を考えてみた

彼の作品は映画もマンガも残念な感じだった しかし実務能力は人一倍あるので発表するところまではできた 高校のころから同人誌を印刷所経由で出したり 直近では下北沢トリウッドの枠を借りて作った短編映画を上映したりしていた 三十代半ばくらいまではやっていたと思うから、十五年くらいはやっていたか

しかし直近の十年ちょっとくらいはコンテンツを消費するだけで何も作ってないようだ 実務能力があるから割りきって見切りをつけたのかもしれないが かりにこだわりがあったとしてもこちらにそれを見せることはなかった 完全に消費する側に回ってしまった

作る/作らない で人を差別したいわけではないが オーディエンス(受け手)として優れているという感じでもなく まさにコンテンツを「消費」しているという言い方がしっくりくる

自分はもうちょっと作ること、受け取ることに対して「マジ」になってしまう部分があるように思うが 彼はそういう部分は仮にあったとしても見せない 見せていない そういったストレートな情熱を見せないスタイルが根底にあることが クリエイターとして実は致命的だったのかもしれない

いま気がついたが いっしょに何かを作ろう、と彼を誘う気分にはあまりなれない コンテンツがあふれる中 消費することだけでも人生は埋められるのだが なにかそれ以上のものを求めるか 諦観して消費で空白を埋めるのか 彼我の違いはそういった部分のような気もする