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ショートノベル「錆びた背中」をどうやって書いたか

ショートノベル「錆びた背中」をどうやって書いたか

偉そうに書けるような立場でもないのですが、ちょっとまとめてみたいと思います。

先にアップしたこのショートノベル:

知人の まつやちかこさんの2500文字ほどのショートノベル「雨の匂い」がベースになっています。

この作品をもし60〜90分くらいのプログラムピクチャーにしたら・・・ と考えてみたのが、「錆びた背中」を書いた理由です。なので、これは習作です。

原作の構造

まず原作を読んでみましょう。ざっと話をまとめると、こんな感じでしょうか。

病室で男が異臭を感じる。
女が見舞いに来るが、男はそっけない。
回想。男は交通事故で、偶然、女の夫である親友を死なせてしまい、入院することになったのである。
女は、夫の幽霊が見えるという。それが見舞いに来る理由である。
男には幽霊は見えない。異臭だけがする。
女は帰る。
男はこれは親友の復讐だと感じる。実は女と過去に関係があったのだ。
女が見舞いに来るたびに親友の幽霊がもたらす異臭が止まない。それでも女はやってくる。それが復讐であり、そこから逃れられないことを男は悟る。

実際の人物の動きはどうでしょう。

病室で男が異臭を感じる。
女が病室に入ってくる。
事故の回想シーン(カットバック)。
女が出て行く。
男が運命を知って慨嘆する。

以上のように、回想シーンのカットバックを除けば、かなりモノトーンで直線的なストーリーになっています。

原作の短所と長所

わたしは読んでやや不満がありました。説明されただけで終わってしまっているような気がしたのです。最悪、「ふうん、そうですか」でおしまいになりかねない。さらにいくつかの疑問もあります。

親友の幽霊の現れ方がそそらない。においだけ、とはいえ、最初から当たり前のように現れています。主人公もそれを知っていて、待ち構えている。当たり前のように現れる幽霊は怖いでしょうか?

女の心理がわからない。女は夫=男の親友との結婚前に男と関係があったことに「罪悪感を持っていたかもしれない」とあるが、この感情がむずかしい。「夫のことは愛しているが、結婚前であってもたまたま愚痴を聞くついでに寝取られてしまった主人公の男との関係は、夫に対する裏切りであると思っている。しかし男とは疎遠になることもなく、夫の幽霊を見るためとはいえ、夫を死なせてしまったその男の病室に見舞いに来て、夫の幽霊をみて錯乱する」という心理。むずかしい。夫がどんな人物だったか、女との関係ももうひとつはっきりしない。ヒロインの人物像がはっきりしないことで、重要なはずの人物が、背景に埋まってしまいます。

なぜ親友の車と事故を起こしたのか? 偶然の一致にしては、できすぎています。単車を飛ばしていて親友の車に事故るなんて、ふつうに考えて、確率が低すぎる。何かあるに違いない。しかし、どうもほんとうに偶然の一致らしい・・・。

結局どうなるの? 主人公の男の心理は最初から最後までほとんど変化しないように見える。「そういう状態」のまま物語は終わる。ドラマの根本には心理的変容があるのですが、原作では状態を叙述しただけで終わってしまっているのです。

もちろん小説にはそういうスタイルもあります。しかしエンタテインメントとしてはかなり難しいと思います。

しかしこの作品にはまたいくつかの魅力もあります。

怪異によって良心をさいなまれる主人公のパトス(ゴシック的モチーフ)
事故で親友を死なせ、その妻とはかつて関係があったという、一種のエディプス的三角関係
たまたま起こした事故の相手が知人の車だったというありえない偶然(ミステリー的要素)
異臭によって病室に顕現する死霊
幻臭という病理学的現象

これらの魅力を使って、原作を編み直してみることができそうです。

編み直し

あまり計算せずに書いたのですが、ざっとふた組の起承転結にわかれています。

1起 看護師により病室の主人公が紹介される。
1承 事故の回想。なぜ主人公はここにいるのか。
1転 幽霊が出る。
1結〜2起 目覚めたあと、医療コーディネーターが状況を説明する。
2承 幽霊がふたたび現れる。
2転 幽霊に問いかけるかたちで、事故の真相が語られる。
2結 もう一つの真相。幽霊は去って行き、主人公は眠りに落ちる。

病室で主人公と幽霊、そして女が出会う、という部分を分解してみます。大きな変更。主人公は、女とは会わないようにします。後で述べるように女のキャラクターを変更しているせいもあるし、女を直接描写しないことでキャラクターを想像させています。その他、想像すれば良いだけの部分はなるべく描写をカットしているつもりです。

男性看護師を狂言回しに登場させて、主人公が点滴を受けてベッドに寝ている状態を説明しながら物語を始めます。男性看護師の比率はディテールを補強するためにググりました。「性別もありますけど、結局は、人間どうし。おたがいの相性も大きいですからね」というセリフは、後段の伏線になっています。

ユーモラスなキャラクターの男性看護師が去って、病室で孤立したところ、外の雨がきっかけになり、回想シーンに移行します。事故については、相手が親友の車であることは書きません。淡々と事故状況を描写してゆきます。

事故の後の離人感、現実離れした感覚は、経験のある人ならば分かるでしょう。点滴には鎮痛剤も入っているはずなので、そのせいもあるかもしれません。そこで、幽霊の登場です。

悪夢のように幽霊は登場します。相手が誰かは薄々分かっているけど、認めたくない相手「大沢」です。大沢が事故の相手であることはまだ書きません。しかしそのことは、幽霊が現れるときに、「金属とタイヤがアスファルトにこすれ、断裂したマフラーからの排気が混じった、あの時のにおい」がすることから暗示されています。

「遊園地のアトラクションで等身大の人形がスライドするような、あきらかに人間ではない動き」というのは幻覚的な要素で、たしかLSDか何かの幻覚体験で似たような描写があったと思いますが、想像で盛っています。遊園地、という賑わしくも場合によっては不気味な比喩を使って気味悪さを演出しようと試みました。

そのあと、ふたたびコメディリリーフとして、保険コーディネーターのおばさんが登場します。おばさんの事務的な説明で現実に引き戻されますが、その中で、大沢が事故の相手であること、そして学生時代の親友であること、その妻・怜子が会いたがっていることを知らされます。すべて逐次説明するのではなく、事故後の経過として、だんだん状況が分かってくる仕掛けにします。

保険コーディネーターという職業は、でたらめです。きちんとやるならもう少し取材しないといけません。自賠責の保険会社などを想像して作ってみました。交通事故の事例についてはいろんな実用書があるので、調べるには事欠かないでしょう。

次はふたたび幽霊の登場です。もうここでは幽霊が親友の大沢であることは分かっています。主人公はいまは亡き大沢に伝えたいことがあり、それは前段で語られてきた説明をある意味ひっくり返す、どんでん返し的内容になっています。ここでミステリー的な要素を織り込みます。

大沢の妻の怜子と主人公が過去に関係があったことは、「たった一度だったが、夜が明けたとき、ベッドの中でわたしが聞いたあの声」として比較的上品に表現しています。怜子は、ここでは打算的・現実的な女性になっており、大沢が落ち目になると主人公に目配せするようになります。主人公がそれを嫌っていることは「腐りかけた果実のにおい」として表現しました。

このあたりの感覚は、中間小説にはよくあるクリシェだと思います。マンガでは手塚治虫の「人間昆虫記」とか「空気の底」あたりの雰囲気が参考になるかも。

そこで、主人公はあえて交通事故を起こすため、その可能性の高い道路を走るようになるのです。つまりこの事故は、限りなく必然に近い偶然だった。これが一つ目のどんでん返しです。もっとも、保険コーディネーターの話すところでは、事故の原因は道路工事の不備が原因だということで隠滅されそうです。この部分は話を単純にするためのシカケ=ご都合主義です。これは交通事故の調査についてディテールを作るのが面倒だということもありますが、その部分を追いかけても、むしろ本筋をややこしくするだけだからでもあります。

さて怜子の「腐りかけた果実のにおい」(これは共感覚的表現ですが、幽霊と同じく、においつながりですね。幻臭がライトモチーフになっています)、つまり怜子のエゴイズムに嫌気が差した主人公は、怜子をみちづれに交通事故を起こそうとします。とすると、主人公は、自分を裏切って大沢に嫁いだ怜子が憎かったのでしょうか? どうも、そうではないようです。これが、もう一つのどんでん返しです

もう一つのどんでん返し

もう一つのどんでん返しは、はっきり(明示的に)表現してありません。ですので、きちんと読まないと分からないようになっています。おそらく、ラノベやオンライン小説では、あまりよくないスタイルでしょう。古いやつだとお思いでしょうが、実は、そうなのです。ここでもヒントだけ書いておくことにします。

主人公の一人称は、地の文では「わたし」、大沢の幽霊に呼びかけるときには「おれ」になっていますが、それももう一つのどんでん返しを軽く暗示しています。ドイツ語ならばduで呼び合う関係ということですね。

主人公が望んでいた「別のこと」とは何だったのでしょうか? 「怜子をみちづれにして死ぬ。そうすれば保険金も入って、おまえは助かったはずだ。」それ以外の結果とは、何だったのでしょう。「せめて、わたしも死んでいれば」と独白しているので、いま主人公と怜子が助かって、大沢が死んでしまったという現状は、どうも主人公が望んでいた結果ではなさそうです。

そして「わたしの目の前に現れるのは、わたしが望んだものなのだ。」という独白。主人公の目の前に現れたものとは、何だったでしょうか。懸命な読者諸君には、もうお分かりでありましょう。