テレビ愛知が見たかった

 テレビ愛知が見たかった。

 子供の頃。中日新聞のテレビ欄には、中京テレビと岐阜放送に挟まれた場所に『テレビ愛知』の欄があった。
 それはガラスケースの中に収められたピカピカのトランペットのように、多治見の少年達の憧れだった。
 夕方や夜に放送される、新作アニメの数々。タイトルだけでも面白さが伝わってくるそんなアニメが見たかった。

 しかし、山に囲まれた多治見はテレビ愛知が映らなかった。何ならラジオもほとんど入らなかった。岐阜放送は映ったけど、やってるアニメは遙か昔の再放送。『ハクション大魔王』が繰り返し放送されていた。テレビ愛知でやっている、今のアニメが見たかった。

 国道248号線(ニーヨンパー)沿いの『電気館』というレンタルビデオ店には『天地無用!』のパッケージが並んでいた。スタイリッシュなキャラクターにドキドキした。岐阜放送でやってる『まいっちんぐマチコ先生』の再放送とは違いすぎた(マチコ先生は子供には早すぎた)。
 けれどビデオ屋は子供が一人で来られる場所じゃないし、親の会員カードが無ければ借りられなかった。母子家庭の多治見の少年は、厳しい母親のチェックをくぐり抜けたアニメだけを見ることができた。魎呼はおっぱいが大きすぎた。だいたい『ドラえもん』だった。鉄人兵団を何度も借りた。リルルがかわいいから……。

 当時はOVAなんて概念は理解できなかったから、自分が見ることのできない新しい感じのアニメは全部「テレビ愛知」だと思ってた。多治見には公文とCOPIN(水泳教室)とそろばん塾くらいしか無いから、子供はみんなそこに通い、いずれ名古屋に出稼ぎに行くという、中央線のように決まったルートが存在した。「名古屋に行ったら好きなだけテレビ愛知が見られるのかな?」と、山の向こう側の大都会を想像していた。外の人たちはよく「岐阜は名古屋の植民地」なんて言うけど、そんな上等なもんじゃない。

 愛知県民様であれば当たり前のように受信できる電波を受信できない多治見の少年達にとって、サブカルの情報は本かオモチャで得るしかなかった。『コロコロ』か『ボンボン』が情報源だった。『ジャンプ』は大人の読み物だった。『サンデー』は多治見基準だとエロ本だ。駄菓子屋にはガチャガチャとプラモデル(BB戦士)と、何だか新しく出たカードダスなる物もあった。そこまでは小遣いが回らない。多治見の少年達は貧しいのだ。タダで見られるアニメが見たかった。

 多治見の少年には週に一度、楽しみがあった。
 母親の運転する車に乗って、町の中央に聳えるスーパー『バロー』に買い物に行くことだ。
 食料品の買い物を手伝うと、隣に建っている本屋で、たまに漫画を買ってもらえた。教育熱心な母親が買ってくれるのは、だいたい学習漫画だったが、機嫌がいいと『かっとばせ!キヨハラくん』も買ってもらえた。表紙がビリビリになるまで読んだ。だからずっと桑田はあんな感じの面白変態だと思ってた。

『三洋堂』という名前のその本屋は今は近くに移転しているが、当時は3階建てのビルで、2階に文庫が、3階に漫画が売っていた。
 多治見の少年は2階を飛ばして3階へ行っていた。文字だけの本に用は無い。入口のすぐ左脇にある階段を駆け上がる。3階!3階!受験用の赤本が並ぶスペースの横に漫画コーナーを設置するという、トラップ以外の何物でもない棚配置。漫画コーナーの隅には、好きだった『ワタル』や『グランゾート』(2つとも中京テレビでやってたから見れた)の漫画本が置いてあったけど、買ったら何か違った。作者がいっぱいいる……?ラビと大地が……結婚してる……?なぜ……?
 でも、むっちりむうにい先生の作品はどれも面白かった。

 そんなある日。
 ふと、三洋堂の2階の文庫コーナーに迷い込んだ多治見の少年の目に、鮮やかなアニメの絵が飛び込んできた。

「テレビ愛知だ!」

 見た瞬間に思った。なぜこんなところに……?
 それが富士見ファンタジア文庫との出会いであり、スニーカー文庫との出会いだった。ビデオ屋で見たパッケージと同じキャラクターが、表紙にいた。多治見の少年の手の届く場所に……。
『ワタル』も『グランゾート』も、アニメそのものの絵がそこにあった。『パトレイバー』はアニメの絵じゃなかったけど、鮮やかな青空と野明の横顔に、なぜか涙が出そうになった。
 テレビ欄で見た、名前しか知らないアニメの小説も、たくさんそこに並んでいた。だいたい『あかほりさとる』という作者の作品だった。
 少し離れた、ちょっと高尚な棚には、『ロードス島戦記』と『アルスラーン戦記』が平積みになっていた。戦記という単語が、多治見の少年の血を熱くした。

 小説といえば、通っていた公文の教室に置いてあった『ぼくらの七日間戦争』シリーズ(天使ゲームが好きだった)しか読んだことのない多治見の少年にとって、それらは抗えない刺激を持っていた。

 母親は「文字だけの本」なら、表紙がアニメでも買ってくれた。そういう本を読み続ければ、いずれ自分が好きな黒岩重吾の本を息子も読んでくれると思ったのかもしれない(今も読んでない)。

 多治見の少年は、まだ『ラノベ』という名前の付いていなかったそれらの作品を、貪るように読んだ。スラスラ読めた。その爽快感も病みつきになる原因だった。麻薬だ。間に挟まってる挿絵は、たくさん文字を読んだ末に与えられるご褒美だった。少し読み疲れていても一瞬で覚醒する。ページをめくる手は最後まで一度も止まらない。
「ここに書いてある内容は、見たかったアニメと同じなんだ!」
 そう信じ切っている多治見の少年は、ノベライズと呼ばれるそれらの小説が、実はアニメとは違う展開を辿ることが多いということを知らなかった。また同時に、小説がアニメ化される際に、内容が大きく変わるということも知らなかった。アニメ版のタイラーを見てビビった。大学生になってから、アニメを見ていた同世代の人々と、同じ作品の話をしているのに話が噛み合わないという経験を何度もするようになる。異端の経典を崇め続ける邪教の徒のような悲しさがあった。

 インターネットが発達し、どこにいても最新のアニメが見られるようになった今。
 経典を読み続けた多治見の少年は、いつしか自身もそれを真似て、独自の解釈で物語のようなものを書くようになっていた。

 そして遂に、原典を書いた2柱の神の声を直接聞くことになる。

 あの頃の渇きを思い出しながら。




 あかほりさとる先生と水野良先生の対談記事を書かせていただきました。

 自分で持ち込んだ企画です。企画書を書いて、自分でお2人にオファーして、いっぱしのライターみたいなことをしました。

 ……まあ、ちゃんとしたライターさんなら、1月から始めた仕事の公開が5月末になるなんてことはなかったんでしょうが……。
 公開までご尽力いただいた皆様に、改めてお礼とお詫びを申し上げます。

 今までニコニコニュースさんでは将棋の記事を書かせていただいていましたが、いきなりの路線変更。「なんで?」って感じかと思います。なんでだろ?

 将棋の記事も、求められたら書きたいですし、自分の中でも書きたいと思ってるテーマはあるんですが……最近の藤井ブームで、どんどん面白いインタビュー記事が出てるんですよね。将棋は。
 観る将でも楽しめるようなインタビュー記事が量産されるという、少し前からの将棋ファン(私)からすれば、夢のような状況なわけです。

 だったら私のような素人がしゃしゃり出るよりも、本職の将棋ライターの方々にもっと記事を書いてほしいですし、新しい書き手の方々に活躍の場を得てほしいなと。
 直近で公開したNumber Webさんの記事も、書き手としてのあらきっぺさんを紹介したいという動機からでした。

 ところで、インタビュー対象に「ラノベ作家」を選んだことも、将棋の記 事を書いてきたことが影響しています。

 将棋を題材にした小説を書いた方々とオンライン飲み会みたいなことをする機会(ラノベ作家は私だけ)があって、その時に気付いたんですが……一般文芸の世界と比べて、ラノベ作家の仕事の中に「インタビューを受ける」とか「対談」とか「座談会」が極端に少ないな、と。
 部数でいえば、とんでもない数を売ってる人たちがいるわけですよ。ラノベの世界は。そういう人たちが経験してきたことや、自分で積み上げてきたノウハウって、他の世界の人たちが読んでも面白いはずなのに、なぜか「ラノベ作家」が正面から取り上げられることがほぼ無い。それもあって、ラノベ界隈そのものが誤解されるというか、あんまりいいイメージを持たれていないような気がしています。「適当に書いたら当たったんだろ?」「何にも考えずに楽して書いてるんだろ?」みたいな。露出NGな人たちが多い業界ということもあると思うんですが。

 ラノベファン向けのムック本とかアニメDVDの付録で作者のインタビューが掲載されることはあるんですが、そういうクローズドな場所じゃなくて、多くの人の目に触れるプラットフォームで「ラノベ作家は面白いぞ!」と正面から訴えるような記事を書きたいと思い続けてきました。欲を言えば作家だけじゃなくイラストレーターさんや編集さんや書店員さんの話も。力不足で今回はそこまで手が届かなかったんですが。

 ラノベの書評や記事を書き続けていらっしゃるライターさんのお仕事を否定するつもりは全く無いんです。ありがたいと思っています。
 ただ、ラノベ作家である自分がなぜかプロ棋士のインタビュー記事を書き続けるという状況の中で「同じような手法でラノベ作家のことを書けるんじゃ?」と思いついたというだけで。
 それに将棋のインタビュー記事を書き続けたことで、あかほり先生と水野先生に「面白い記事を書くやつ」と認めていただけたと思うので。「この幸運を逃したら人類の損失なのでは……?」と本気で悩んでたので。おかげでレジェンドから貴重なお話を聞いて、それを自分の手で活字にできるという、夢のようなお仕事をさせていただくことができました。仲良く喋ってるように見えるかもしれませんが、アポ取る時は本当に緊張しましたし、出来上がった記事を読んでいただく時はもっと緊張しました……。
 ご自身の葛藤をあれだけ赤裸々に語っていただけたこと、それを何一つカットすることなく掲載させてくださったところに、両先生の凄味を改めて感じました。
 私が感じたものが、記事を通して多くの方々にも伝わっているといいのですが。

 このラノベ作家対談は、できればシリーズとして続けていきたいと考えています。
 次に話を聞いてみたい先生も、私の中では決まっています。まだオファーはしていないんですけど。
 もし「このラノベ作家の話も聞いてみたい!」というのがあったら、記事を拡散しがてらSNSで呟いたりしていただけたら大変助かります。エゴサして拾っときます!

 水野先生は「死ぬこと」が自分の最後の仕事だとおっしゃいましたが、黎明期からラノベを作り上げてきた関係者の方々に今のうちに話を聞いておかないと、もう聞けるチャンスはあんまり無いんじゃないかという危機感があります。

 私が残したいのは、どんな作品が何年に出版されたとか、そういう年表ではありません。作品を批評して「○○系」みたいにラベリングする作業がしたいわけでもありません。それは別の人のほうが向いてると思うので。

 私はラノベの王道を歩くことができませんでした。
 それは才能とか努力とか、書き始める年齢とか、いろんなものが足りなかった結果だと思うんですけど、そういった「乗り越えられない壁」みたいなものに早々に見切りを付けて迂回路を探し続けた結果、空も飛べなければ速く走れもしない、みじめな生き物に成り果てたという実感があります。ウォンバットみたいな……ウォンバットかわいいけど。やる気出すとけっこう速く走るけど!

ウォンバット。手前はうちの娘

 ことさら卑下しているわけではなく、冷静に自分を評価できていると思います。正確な自己評価ができなければ生き残れない世界ですから。

 そして、そういう自分だからこそ、王道を歩いてきたラノベ作家の方々から、貴重な話を引き出せるんじゃないかなと思っています。
 天才は自分の才能に無自覚な人が多いし、努力家はそもそも自分のことを努力家と思っていないので。

「あなたがヒョイと乗り越えた壁は、こんなに高いんですよ」

「あなたが歩いてきた道は、普通の人は途中で諦めるか死ぬんですよ」

 そのことを伝えて、自覚していただく。そうやって初めて「どうしてそれができたんですか?」と続けることができますから。

 あと、自分が体験できなかった華やかな時代のことや、自分が籍を置けなかった華やかなレーベルの話にも興味があります。競争が激しい場所に身を置くことができるのも才能だと思います。
 この年齢になると、そのことを痛感します。
 競争することや、比べられるのがイヤで、同業者と接するのを避けてきました。そのおかげで疲弊せずラノベ作家を続けられたとは思うんですが……ふと、振り返ってみたとき「内容の薄い作家人生だな」と。
 そういった、自分が得られなかったものを持つラノベ作家の方々に向ける視線というのは、プロ棋士に向ける視線と共通していると思います。

 ラノベを書き始めて15年目になりますが、こうやって振り返ってみると、1つだけはっきりしていることがあります。

 憧れや、劣等感や、嫉妬。あと、怒り。
 自分がいい仕事をするための原動力は、そういう負の感情だということ。

 プロ棋士に対しては抱くはずもないそういった感情を、ラノベ作家に対してはどうしても抱くわけです。たとえ相手が自分とは実績が違いすぎる存在だとしても。

 だから私は向いてると思います。天才から話を聞くの。


 おかげさまで大きな反響をいただいており、私が書いてきた記事の中でも、藤井竜王のインタビューに並ぶくらいのRT数です。両先生のファンの方々の熱意はそれ以上という感じがしています。これなら続編もやれるんじゃないかな、と。

 反省点としては、自分のことを書きすぎたことです。もっと冷静になるべきでした。思い入れが強すぎて……。
「もっとこうしたら読みやすくなる」みたいな感想があったら教えてください。本能だけで書いてるので。
 そして対談記事の拡散など、ご協力をお願いいたします。最後にもう一度貼っておきます。


 対談の中で何度も登場した『魔法戦士リウイ』。ロードスしか読んでない人には、ぜひこっちも読んでいただきたいです。水野良という作家の印象が変わると思います。また、イラストも含めて90年代の最も勢いがあるラノベ界の雰囲気が非常によく伝わってくる作品だと思います。

「先生。札、刷ってるみたいっスね」という編集者(Y沢さん)の言葉が印象的な、あかほり先生の新書『オタク成金』。こちらも90年代のラノベ界(アニメ界)の空気を感じられる名著です。「才能がない」と自覚しつつ、それでも戦い続けられるのも、才能なんだよなぁ。(というか、あかほり先生の文体は才能の賜物なんだよなぁというのを、別の記事で書こうと思います)

 ついでに私の作品もよろしくお願いします!
 インタビュー記事を書くのって労力に比べて実入りが少ないので、ラノベが売れないと家族を養えないの……(´;ω;`)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?