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楽器発達論から見たディジュリドゥ

 

このレポートは、ディジュリドゥプレイヤーのコミニティでディジュリドゥプレイヤー向けに書いた講座用をリライトしたものです。

1.楽器分類としてのディジュリドゥ


ディジュリドゥって本当に不思議な楽器です。
吹いていて、瞑想しているような気分になってきて、いつまでだって吹いていたくなる。
ミュージックセラピーの効用があるというのも頷けます。あなたにとってディジュリドゥの魅力って何ですか?
また、他人にディジュリドゥの魅力をコンパクトに分かりやすく伝えることができますか?
結構難しかったりしますよね。
そんな時のためのケーススタディ用に語ってみましょう。


まず、ディジュの魅力を他人に伝える時に正しい説明で伝えたいものですね。
命題その1です。
よく言われる「ディジュリドゥは世界最古の木管楽器である」という点。果たしてそうでしょうか?文字や記譜法を持たないアボリジニゆえ、その起源を立証することは今日不可能です。よって、新しくは1000年前説から、古いところでは4万年前あるいは10万年前などと大きく隔たりがあります。
もし、4万年前なら「世界最古の管楽器」の可能性があったのですが、4万年前に作られた動物の骨のフルートの発見により、この可能性は消滅してしまいました。
1000年前だとしたらどうでしょう?約2000年前の古代ギリシャや約5000年前の古代エジプトではすでに様々な楽器が発明され演奏されていました。
ツタンカーメン王の墳墓から出土し、現在カイロ博物館に展示されているトランペット状の管楽器。
恐らく、これが確認できる範囲での「世界最古の金管楽器」でしょう。これはナチュラルトランペットに形状が似ています。恐らくディジュでいえばホーンの吹き方で自然倍音列を鳴らしたのでしょう。
さらに青銅製や真鍮製のものもあったというから、その高い技術には驚かされます。ディジュがこの楽器より古いのか新しいのかは証明のしようがないのですが、比較すると非常に面白いです。
ディジュの音を鳴らす仕組みは、トランペットやアルプホルンとほぼ同じです。リード部分はありません。
従って構造的には木管楽器ではなく金管楽器にカテゴライズされます。木で出来ているから木管楽器とは限らないのです。フルートやサックスなど金属製のものでも木管楽器に分類されます。
逆に、木製のアルプホルンは金管楽器です。この木管とか金管というネーミングが、このように現実と矛盾するケースが今日発生しているため、この言葉自体があまり良くないと思います。
従って、ディジュを「世界最古の木管楽器」と称するには、少しばかり勇気というか度胸が必要になります。
私が思うにディジュの神秘性を失わせることなく、楽器の構造的に間違いのないような表現の仕方としては「古代のトランペット」と呼ぶのが一番相応しいような気がします。
さて、ほぼ全ての金管楽器は角笛に起源を発します。なぜ「ほぼ」であって「全て」ではないのか?
まず先ほどの古代エジプトのラッパですが、これが現在出土されている最古の金管楽器です。
これ以前に、このラッパのモデルとなった角笛があったのかどうか?あったかも知れないけど残っていないからわからないのです。
さらにディジュリドゥの存在・・・。そうディジュは金管楽器でありながら角笛に起源を持たないユニークな存在形態の可能性が強いことです。
ノーザンテリトリーにはバッファローが生息しているのですが、バッファローのオーストラリア入植はアボリジニよりずっと後のこと、元々白人が連れてきたものです。
なのでディジュリドゥの起源としてバッファローの角笛という線も存在しないわけです。
まだまだ考察すべきことがたくさんあります。




2.伝統音楽としてのディジュリドゥ




Yothu Yindiのgudrrukはトラッドを知るための良いサンプルになります。

https://www.youtube.com/embed/D01YNfseU7o







特にこのページにあるgudrrukの映像は非常に重要なポイントが含まれています。
この曲はYothu YindiのデヴューアルバムHomeland Movementに収められている伝統曲で、ブロルガ(鶴)を描いたものです。
映像を見ることによって曲の描く世界観がよくわかるようになっています。
これはオペラの鑑賞法に似ています。
イダキ単独の音声を聴くのは、オペラの管弦楽だけを聴くようなもので、歌と合わせた音源を聴くのは、オペラの音声だけを聴くようなものです。
ダンスを見ながらイダキとソングを同時に鑑賞することこそ、オペラの舞台を見るのと同じことになります。


この曲に限らずトラッドの曲には、どうもライトモチーフらしきものがありそうだということを指摘しておきます。
例えば、この曲は導入から始まり4部構成になっています。
最初のゆったりした部分、タンギングで表記するとDitrowa-ditorowaの部分はブロルガが餌をついばむ場面を描写し、Ditoro-dowadowaのアレグロ部分と後半のハイコール入りのダブルブレスのアレグロ部分がブロルガの飛翔を描写しています。
似たような描写は他の作品にも見られることから、これらが特定のライトモチーフである可能性が強いのです。
もし、ディジュ起源説4万年前が正しかったとして、またこれら伝統曲がその頃のものだと仮定し、それを実証することができたとしたら恐ろしいことになります。
音楽史そのものを覆しかねないことになりはしないでしょうか?
音楽史でライトモチーフといえば、ワーグナーの楽劇が最も一般的です。
ワーグナー以前では、ベルリオーズが幻想交響曲で使用したイディーフィックスの存在もあります。
それ以前に状況描写の音楽はバロック以前にも勿論ありますが、音楽史上で連綿と受け継がれるような手法として継続していません。それがもしかしたら少なくとも1000年以上前からアボリジナルの音楽世界で伝承されていたかもしれないという事実。本当に恐るべしアボリジナル・カルチャー。


参考までにライトモチーフについて
「ライトモチーフLeitmotiv(独)士導動機。H.ヴォルツォーゲンの造語で、ヴァーグナーの後期の楽劇に用いられた手法をいう。すなわち、特定の動機(モチーフ)がある人物、事物、事象、場面、展開、想念などを象徴する役割をになって変容しつつ全曲に循環し、展開と統一をはたす方法。ヴァーグナー自身は基本主題とよんでいた。ベルリオーズのイデーフィクスは類似の手法の交響曲における先例である」(音楽之友社「音楽中辞典」)
辞書的な説明は上記の通りですが、わかりやすくいえば「○○のテーマ」というような感じです。例えば、伊福部昭の作曲のゴジラ映画で、ゴジラのテーマ、モスラのテーマ、キングギドラのテーマ、ゴジラ進撃のテーマなどというような決ったフレーズがありますよね。要するにそのことを指しています。トラッドの曲の中にもブロルガを表すフレーズ、水を表すフレーズ、風を表すフレーズがあるような気がするのです。勿論、記譜法も存在しない上、奏者のインプロヴィゼーションが加味されるので、かなり変容した形となるため、各々の共通性を見つけ出すのは困難なのが実情です。例えば、同じ「水」のフレーズGapuをジャルーが演奏するのとYothu Yindiのミルカイが演奏するのではかなり印象が違っています。




3.ディジュリドゥその起源から見る考察


楽器ディジュリドゥの何が凄いのか。


まず、ディジュリドゥの音が出るメカニズムです。
唇を発信源とする指向性を持たないパルス状の振動音が空洞内を乱反射的に衝突を繰り返しながら楽器先端から噴射されます。
一番最後に届くのが様々な倍音が反響したエコー。これがバロックの通奏低音のように全ての音の塊を支えて豊な響きを現出する効果をあげています。
それらの上に逆に指向性を持つタンギングやコールなどの音声が、空洞内に渦巻く低周波の影響を受けて噴射されることによって、一人の奏者が一つの楽器で複数の音を出すことができます。この複数の音を意図的に協和させれば協和音となります。同様に不協和音を意図して作り出すことも可能。
実際、意図的に2度の音程差(ウルフの2度)を出して不協和音を低いコールを使って作りだすテクニックもあります(指向性を持たないコールは、空洞内の低周波の影響を受けることによって、凄まじいヴィヴラートがかかり独特な響きとなる。
さらに2度の音程差のウルフ音を意図するとさらに音声が倍増される)。
このようにタンギングを使用してリズムを作り出し、その上に異なるメロディやリズムをコールで重ねる、というような高等テクニックが生まれてくるわけです。
言葉で書くと難しいように聞こえますが、ディジュリドゥを演奏する皆さんは、ごく自然に無意識に上記のテクニック的なことをやっています。


つまり重要なのは、一つの楽器で複数の音を同時に出すという点です。西洋音楽の世界では、源初より単旋律の時代が続いていました。
記録として遡れる複数の音の使用(和声)は西暦1000年頃、フランスはパリのノートルダム楽派で活躍したレオニーヌス、ペロティヌスらのオルガヌムの技法です。
もしかしたら、ディジュは、これらよりも早い時期に和声のような技法を駆使していたかもしれないのです。
しかも、たった一人の奏者、たった一人の楽器でです。この点が大変重要なのです。
「たった一人の奏者がたった一つの楽器で複数の音を同時に出すことができる」
さて、皆さん、どんな楽器があると思いますか?
まず、ピアノやオルガンなどの鍵盤楽器がそうですね。ピアノの起源はせいぜい300年ほど、オルガンが2000年です。ハープなどの弦楽器もそういえそうです。ハープはキタラという名称で古代ギリシャで使われていました。
それとアウロスと呼ばれる現在の縦笛の先祖。これも古代ギリシャ時代の楽器ですが、二本の笛を同時に口にくわえて吹くというスタイルです。
その他、バグパイプでしょうか。
しかし、考えてみてください。鍵盤楽器はともかく、バグパイプもアウロスもオルガンも「複数の管」があり、それぞれが違う音が出るような作りなのです。
ところが、ディジュリドゥには「たった一つの管」しかありません。そのたった一つの管で、ドローン、ホーン、コールといった複数の音声を同時に出すのです。
こんな楽器他にはありませんよ!
さらに、倍音のエコーがバロック時代の通奏低音のようであると書きましたね。
勿論通奏低音は厳格な音の組み合わせが決められているので、厳格な意味では通奏低音とはいえませんが、このうような低音ベースを作って豊かな響きを築くという概念。
バロック音楽の成立が大体西暦1500年くらいです。
それにしても単旋律からルネッサンスのポリフォニーを経てここまで到達するまでに1000年くらいかかっているわけです。
しかし、ディジュはこれらとは全く異なる独自の手法で、似たような概念をごく普通にやってのけているのです。
今まで、こんな凄い様々な点を、なぜ誰も指摘しなっかたのかが不思議です。
ディジュリドゥにかかわっている皆さん、胸を張りましょう。




4.人類最古の楽曲


現在、再現することが可能な人類最古の楽曲は約2000年前の古代ギリシャの音楽であります。
そもそも記譜法を最初に発明し、現在でも残されている最古のものは古代エジプトです。
しかし残念ながら、スコアは残っていても解読方法がわからないのです。
次に古いのが古代ギリシャ。しかし、古代ギリシャでは記譜法そのものは存在していないのです。
にもかかわらず、なぜ再現可能な最古の楽曲なのか?それは古代ギリシャで話されていた言語そのものが音の高低が決められていたので、今日再現可能なのです(全てではありません)。次に古いのがグレゴリオ聖歌を記したネウマ譜です。これが現在の楽譜の始まりといえます。
この次の段階がノートルダム楽派のモーダル記譜法です。
 それらとは、全く一線を化したアウトサイドの世界で、ディジュは連綿と受け継がれてきているわけです。
もしディジュリドゥの起源が4万年前だとして、今、演奏されている伝統曲がその頃からのものがあるとしたら(可能性は低そうだが)、これも再現できうる人類最古の音楽も覆されることになるのです。
 そして、楽器というものは、その歴史を見ればわかるように、時代とともに、ある物は淘汰され、ある物は変容と進化を余儀なくされて今日に至っています。
しかし、ディジュリドゥだけは、その独特な形態を、もしかしたら4万年も何の変化もなく維持し続けているガラパコス状態なのです。
これがこの楽器のユニークで、かつ極めて凄いことなのです。




5.音楽史の中のディジュリドゥ


 ディジュリドゥは、あくまで即興性が強く、自然発生的な創作性を楽しむ楽器です。
例えば、美しい自然の中に身を浸す時に、自然にわきあがってくる何かを楽器を通じて表現したくなる。
ディジュリドゥを演奏するようになって、こういうことがよくありませんか?
バッハもモーツァルトもベートーヴェンも最初はこんな風にして、どこからともなく湧き上がる何かを感じ取って音楽にしたに違いないと思います。
本来、音楽とはそういうものなのでしょう。
 人間だれしも、そういう美しい自然に身を浸した時などに、何かを傍受するアンテナを兼ね備えているのだと思います。
そして、その受け取ったものを、何かで表現したくなるのです。アンテナで受け取ったものを表現する・・・そう、TVのモニターのようなものです。
それは絵画であるかもしれないし、また彫刻、作曲、作詞、演奏、踊り、など。
これは人間誰しもが持ち合わせているものだと思います。そのアンテナやモニターの精度が非常に優れているのが、芸術家と呼ばれる人たちではないでしょうか。
 美しい自然、或いは大地から湧き上がる生命のエネルギーを感じた時に自然に音楽となる・・・いや、自分の体を通じて、大地が、自然が、音楽を創りだしているような感覚。
イダキマスターのジャルーは語る。
「大地がイダキを通して語りかけてくる。それを素直に聞き入れなければならない」・・・・。
ディジュリドゥの奏でる音色には、そういう大地からのメッセージを感じさせる何かがあります。
クラシックの世界でいえば、ブルックナーとかシベリウスが少し似たようなようなメッセージ性を持っているように感じます。
オーストラリアのノーザンテリトリーにあるキャサリン渓谷に初めて立った時、頭の中に突如としてブルックナーの交響曲第8番の冒頭が響き渡りました。
「あ、この風景はブルックナーだ!」と感じたものでした。
 見ず知らずの初めて会った人が何か楽器を演奏していると、思わず一緒にセッションしてしまうことってありませんか。
会ったことがないのに音楽を通じて、初めて会ったとは思えないような心の交流が生まれる。
昔のジョングルール(演奏家)やトゥルヴェール(歌人)などの吟遊詩人とまとめて称される人たちも、きっと色々な場所を旅する過程で出会い、このように音楽を演奏することによって交流し情報を交換しあったのでしょう。
彼らはお互いに、言語も、音階も、調性も違うのに一発のセッションでこういったことを乗り越えてしまう。これも音楽の持つ不思議な魅力です。
 クラシック音楽の世界に身を置く立場として最近感じるのは、このような民族音楽の世界には西洋音楽とはまた違った、クラシックの世界には見られない、生き生きとした生命力を感じて仕方がないのです。
キリスト教文明、西洋文明がこの世のかなりの部分を席巻し、その結果音楽の世界でもクラシック音楽が王道(あえて主流と言わない)のような存在となって、我々が親しんでいる西洋音楽とは、音楽という広い世界から見た時に、実は相当なマイナーな存在だったのではないか?と思えてなりません。
 今クラシックの世界でも、この民族音楽の生命感に目を向ける動きがあります。
やはりディジュリドゥ発祥の地オーストラリアあたりでは作曲家ピーター・スカルソープなどがアボリジニの言語と音楽を取り入れた作品を次々と世に送り出しています。
チェリストのヨーヨー・マや雅楽の東儀秀樹といった人たちも、同じようにジャンルを超えた興味深いプロジェクトを展開しています。
今、音楽の世界が大きく変わり始める予感があります。




6.ディジュリドゥのキーの関係


 さて、楽器発達論から見たディジュという観点からは離れて、今回はもう少し演奏上の実用的な話題を。


 ディジュには、その固体毎にキーがあるのはご存知の通りです。一般的なのは、低い方ではC(=Do=ハ)あたりから、高い方ではG(=So=ト)ぐらいでしょうか。
勿論、この範囲より低いものや高いものも稀に存在しています。
 複数のディジュでセッションする時に、妙に音がぶつかって何となく心地の悪い感じがする時があります。
それは、複数のディジュで出している音が不協和している場合が多いです。グラフを見てください。
このグラフはDidisyopさんのホームページより拝借してきたものですが、ここでは協和音と不協和音の説明のための引用ということでコピーライト上の問題は容赦していただきます。


http://www.didjshop.com/






 ここでは平均律を大前提として考えます(そうしないと話がややこしくなって、説明しきれなくなりますので)。
平均律で分けられた音の種類は12種類です。
この中でお互いに不協和する音の関係は2度と7度です。つまり、このグラフを見ていただいて、仮にあなたのディジュがCだっとします。
すると、あなたのCディジュと相性が悪いのは2度の位置(グラフでいうと隣)にあるBとC♯(CisあるいはDes)のキー。それと7度の位置(グラフでいうと対角線上)にあるF♯(Fis或いはGes)のキーのディジュというとになります。
それ以外の組み合わせは概ね協和関係にあります。特に5度の関係はきれいに協和することで知られています(もし純正5度の関係なら尚更です)。
 ただ、自分のイダキがGisで、2度の不協和の関係のはずのGのキーとセッションした時に不思議と不協和音となりませんでした。
これはディジュ自体が白アリまかせの自然楽器ゆえ厳格な意味でキー自体がそれほど正確ではないというのもあります。
また、この12音の設定自体が平均律に基づいているので、正確には12分の1の誤差があるわけです。
そんな誤差範囲があるため、理論上は不協和の関係であってもすんなり協和するパターンもあります。


 この表は結構便利です。セッションする際の参考に使えますよ。




7.即興演奏のやり方




 循環呼吸もできるようになった時点で、「さて、次はどうしたらいいの?」って迷っていませんか?また、そういう経験ありませんか?そんなときに何か手がかりが一つでもあると次に進みやすいですよね。


 そこで、自分のインプロのやり方の一つを恥ずかしながら公開しちゃいます。案外、皆さん、プロの方でもご自分のやり方を公開している例ってあんまりりないですよね。進行方向を迷っている方の何かしらのヒントになればと思います。


 まず、クラシック畑の私が取っ掛かりにしたのがソナタ形式です。ソナタ形式というのは、①提示部②展開部③再現部の3部からなる形式です。これが結構ディジュのインプロの時に使えます。
 まず、①の提示部となる主題ですが、何でもいいのです。その瞬間に思いついたフレーズでもかまわないし、かつて練習したフレーズ、あるいはトラッドとか誰かの演奏の一部のフレーズとか。例えば、「DitoroDiDi」といった単純なワンフレたった一つだけで一曲組み立てることができます。
 この提示部では、この主題をなるべくストレートに(なるべく装飾なしでという意味)聴いている人に印象つけるかのように何度も繰り返します。
 ②の展開部です。ここでは①で使ったフレーズをちょっとだけ変えて色々な形にして変奏します。逆転させたり順番を入れ替えたり、転回させたりなど。例えば、元のフレーズ「DitoroDiDi」を「DitoroDotroDitoroDiDi」と前半部分を繰り返す。また、順番を入れ替えて「DiDiDitoro」とか。また、「Di-trororDiDiDiDi」とか。さらに途中にホーン、コールなど散りばめれば、それこそ組み合わせはほとんど無限に存在します。
 ③の再現部で、最初の主題に戻ります。ただし、ここでは①の提示部とほんの少しだけ化粧させます。それが主題の間にコールを入れてもいいし、ホーンを入れてもかまいません。①が問題提起であったのに対して、③のここは解決を意味させるために少しだけ違いをアピールするのです。


 これらの連結の時にホーンを入れるのも曲の展開をわかりやすくさせることができます。そして、①の前に序奏を入れて③の後にコーダ(終結部)を入れると、より一つの曲らしく聞こえるでしょう。
 序奏は静かに湧き上がる緩やかなテンポのドローンを私自身は多用します。ちょうどベートーヴェンの交響曲第9番やブルックナーの交響曲、ワーグナーの「ラインの黄金」あたりを意識して演奏します。
 コーダは曲を終わらせるだけです。終わり方は、盛り上がって終わってもいいし、静かにディミヌエンドするのもその時の気分でいいでしょう。


 まとめるとこうなります。


  序奏・・・朝霧の中から緩やかに姿を現すようなドローン
  提示部・・・主題「DitoroDiDi」のリズムの繰り返し
  連結部・・・ホーン
  展開部・・・主題の変奏・・・「DitoroDotroDitoroDiDi」「DiDiDitoro」「Di-trororDiDiDiDi」など
  連結部・・・ホーン
  再現部・・・主題の回帰。ただしホーンやコールなどの化粧を施す
  コーダ・・・そのまま盛り上がって終わるか、静かに消え入るように終わるか。


 いかがでしょうご参考になりましたでしょうか?


このようにして作ったディジュリドゥのためのソナタの動画をご紹介します。


https://www.youtube.com/embed/JxomOW5lB5M







伝統曲GAPUの主題によるディジュリドゥのためのソナタ(2018年改定版)


第1楽章 アンダンテ(ソナタ形式)


まるで夜明けを表すような静かなドローンで開始され、やがて音量を増しながらコールによる動物の鳴き声が模写される序奏。 それに続くのは北東アーネムランドのヨルング族に伝わるGAPUの主題が姿を表す。主題提示部。 クラップスティックで打ち鳴らされるリズムはシンコペーションである(原曲もシンコペーション)。 ただし、全体を表すまでには至らず、突然のトゥーツによりパウゼとなる。 展開部では、GAPUの主題を元としながらも、同じくヨルングに伝わる伝統曲BARA(西風)に近い曲相となる。 この展開部もトゥーツの後一旦パウゼとなり再現部へと移る。 再現部では再びGAPUの主題。ただしここではクラップスティックのリズムは拍に合わせて打ち鳴らされる。




第2楽章 


アダージオ 瞑想的なアダージオ楽章。テーマとなる素材は2つ。AとB。A-B-A´-B´-A-Bの展開となる。 ダッシュの付いた中間部はそれぞれの素材A、Bにコールを絡ませて変化させている。




第3楽章 アレグロ、ヴィヴァーチェ、アンダンテ(古典的ロンド形式)


ブンガル(北東アーネムランドの伝統的スタイル)でよく見られる曲の開始方が序奏となる。 一旦パウゼから一気にロンド形式に突入する。素材は3つでA、B、C。 A-B-A-C-Aという古典的なロンド形式。3つの素材それぞれはブンガル的な奏法が参考にされている。 イメージとしては伊福部昭作曲のSF交響ファンタジーの終盤で伊福部マーチが連奏されるような感じ。 再びトゥーツにより一旦パウゼとなる。 そして、ここでようやくGAPUの全体像が表れる。ただし、ここではシンコペーションではなく拍に合わせたリズム打ちとなる。


GAPUはヨス・インディのファーストアルバムの1曲目に収録されている。 GAPUとはヨルングの言葉で「水」とか「海」などの意味。曲相はまるで波が打ち寄せる様を表現しているかのようなオスティナート。


伝統曲GAPUの主題によるディジュリドゥのためのソナタは2005年8月21日ソレイユの丘にて世界初演。 2018年改定版は2018年2月11日東逗子古民家音楽会にて初演。






8. ディジュリドゥの演奏スタイル




ディジュリドゥの演奏スタイルには大きく分けてトラディショナル(伝統)奏法とコンテンポラリー(現代)奏法があります。
トラディショナル=トラッドははるか昔から伝統的に伝わる演奏法で、アーネムランドで代々受け継がれて来ました。
アーネムランドは数多くあるアボリジニの部族の中でも伝統的にディジュリドゥを使用してきた人たちです。
そのトラッドの中でも大きく分けて3種類のスタイルがあります。
1.ブンガル・・・北東アーネムランドに伝わる演奏スタイルで、日本でトラッドというとこのスタイルが最もポピュラーです。あのジャルー・グルウィウィやヨス・インディがこのスタイルを世界に広めました。特徴としては、コールやトゥーツなどのあらゆる技巧を駆使するスタイルです。またブンガルでは使われるディジュリドゥのことをイダキと呼びます。
2.グンボルク・・・・この演奏スタイルはホワイト・カカトゥやデヴィッド・ブラナシが広めたといっても過言ではありません。Dita-moというシングルブレスとDita-mo-Deboというダブルブレスの2つのパターンを組み合わせるスタイルです。コールやトゥーツは使いません。ただし、ブラナシがコールを使って演奏している録音が存在しますが、あれは観光用のデモンストレーション用の演奏だそうです。グンボルクではディジュリドゥのことをマゴと呼びます。
3.ワンガ・・・・アーネムランドでは最も広い地域で演奏されるスタイル。パターンはグンボルクに似ていますが、ブレスする時にハミングと呼ばれる喉の空間を使った倍音を鳴らすのが特徴です。日本ではほとんど紹介されていない演奏スタイルですが、今日ではグンボルクと融合しつつあるようで、ハッキリと識別することが難しくなってきています。ワンガではディジュリドゥはカンビなどと呼ばれます。
一方、コンテンポラリーとはトラッド以外の奏法全ては指します。なのでコンテンポラリーのスタイルとしてあげるべき特徴というものはありません。両者の違いはタンギングによる音の響きでしょうか。
トラッドの場合はとにかく舌を使ったタンギングにより音そのものがとても鋭く聞こえます。
コンテンポラリーではタンギングをあまり使わないために音そのものがフワっとした感じに聞こえます。
これは循環呼吸する時にトラッドでは頬に空気をあまり溜めないために音がブレることなくストレートに出るためです。
コンテンポラリーでは呼吸の際に頬に空気を溜めるケースが多いため、輪郭のハッキリしないフワっとした音になるのです。
ある程度慣れてくると、トラッドとコンテンポラリーの音の違いが一発でわかるようになります。


なので、よくシドニーとかの街でバスキングしているアボリジニのスタイルなどよく聴いてみると完全なコンテンポラリーだったりすることが多いです。あれを伝統的なスタイルだと思われてしまうのでしょうが少々複雑な心境です。
クーランダなどで行われているアボリジニショーも同じことがいえます。
伝統的にディジュリドゥが存在しなかったアボリジニの人たちも昨今のブームを受けてディジュリドゥを演奏し始めましたが、彼らのスタイルはコンテンポラリーです。
デビッド・ハドソン、ウィリアム・バートンとかアラン・ダーギンとかが該当します。
しかし、今日では時間の経過とともにトラッドの3つのスタイルや、トラッドとコンテンポラリーの境界線が曖昧になってきているのが実情です。


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