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ディジュリドゥを吹くビートルズ

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ディジュリドゥを吹くビートルズの写真。
このたった一枚の写真には驚くべきほどの情報量が秘められている。
まず、ビートルズとディジュリドゥとの結びつきはとても意外である。この2つを結びつけるヒントはたった一つしかない。
それがオーストラリア出身で英国に帰化した作曲家,ディジュリドゥ奏者,ピアニスト,画家,TVホストであるロルフ・ハリスの存在だ。
私はビートルズに関しては専門外なので詳しくはないが、この写真が撮影されたのは1960年代のごく初期ではないだろうか?ちょうどそのころ、ロルフ・ハリスはビートルズと「悲しきカンガルー」という曲を発表している。
この「悲しきガンガルー」は、日本においてもザ・ピーナッツなどもカバーしていたのでご存じのオールドファンもいると思う。
ロルフは英国に帰化した後も盛んに母国オーストラリアの文化を広めようと啓もう活動を続けており、おそらくディジュリドゥという楽器を世界的に伝播させた最初のディジュリドゥ奏者といえるかもしれない。
ロルフは80年代にもケイト・ブッシュのアルバム「ドリーミング」においてもディジュリドゥ奏者として参加している。
そして、ロルフは、あのデヴィッド・ブラナシとも親交があり。ブラナシから楽器を贈られたりしている。
ブラナシは英国に渡り、エリザベス女王の前でディジュリドゥ(マゴ)を演奏したそうだが、おそらくブラナシを英国に招聘したのはロルフその人だろうと考えるのが自然である。
そして、この写真から得られる情報はまだある。
ビートルズの面々はおそらく音は出しておらず吹くポーズだけをしていると思うが、ディジュを口に当てている位置に注目だ。
楽器を口の中央にあてるタテ吹きといわれるポジションである。ディジュを吹くスタイルとしては、口のやや斜めに構える横吹きというスタイルもある。
コンテンポラリースタイルの奏者に横吹きが多いが、トラディショナルスタイルで横吹きをするプレイヤーは存在しない。
横吹きだと、トラッド独特のタンギングが出来なくなるからである。なので、ビートルズがタテ吹きのポジションを取っているのはロルフがそのように指南したからだろう。
実際ロルフもタテ吹きだからである。ブラナシと親交があったのだから当然タテ吹きなのだろう。
そして、この写真から得られるもう一つの情報。それは4人が持っているディジュのペイントだ。
非常にクラシックなペイントで描かれているのは微細なクラスハッチやサーペント(蛇)。
つまり、これらは実際に伝統的に製作された本物のマゴなりイダキであると考えることができる。
この時代にそういう本物を入手できるルートを考えるとますますロルフ・ハリスの存在ががぜんクローズアップされてくるのである。
たった一枚の写真なのにこれほどまでの情報が込められている。
ちなみに現在ロルフはわいせつ事件の容疑で服役中らしい・・・ 。


ザ・ピーナッツ 悲しきカンガール 1964 / Tie Me Kangaroo Down Spot


The Beatles - Tie Me Kangaroo Down, Sport






Rolf Harris - Didgeridoo (Original 45)


初めてディジュリドゥに触れたのはいつだったのか?
振り返ってみると1982年のケイト・ブッシュのアルバム「ドリーミング」であったことに思い当たった。
この中でディジュリドゥを演奏しているのがロルフ・ハリス。
もちろんこの時、ディジュリドゥが何なのかもそこで鳴っている音がディジュだったということを知ったのはかなり後のことである。しかし、まぎれもなく私とディジュリドゥのファーストコンタクトはこの時だったのだ。
余談だが、その2年前の1980年に発売されたケイトのアルバム「魔物語」にはディーリアス・ソングオブサマーという曲が入っていた。その、あのフレデリック・ディーリアスのことを歌った曲だ。ディーリアスが誰なのかを知るのもかなり後になってのことであるが、実はケイトがディジュリドゥとディーリアスという2つの出会いを導いていてくれたわけである。
さて、このドリーミングでのイメージビデオがまた凄かった。ケイト独特の映像感。それは正にケン・ラッセルそっくりなのだ。おそらくケイトはケン・ラッセルの影響を少なからず受けているのではないかと思う。
実際、ケン・ラッセルの「ディーリアス・ソングオブサマー」という映画が存在しているくらいだ。ここでケイト・ブッシュ、フレデリック・ディーリアス、ケン・ラッセルの3者が繋がったわけである。
そして、ドリーミングはオーストラリアをイメージした曲だ。ドリーミングとはアボリジニの世界観ドリーミングから来ている。なのでアボリジニに扮したダンサーがケイトのバックで踊ったりする。当時、アボリジニーというものをよく知らなかった私はてっきりゾンビをバックに踊っているものだと勘違いしていた。
あのマイケル・ジャクソンがスリラーを発表する一年前である。なのでスリラーを初めて見た時「マイケル・ジャクソンのスリラーってケイト・ブッシュのドリーミングのパクリだ!」と思ったものだった。


Kate Bush - The Dreaming (Exclusive Extended Mix, 1982)




Kate BushのDreamingのディジュリドゥパートを吹いてみる


Ken Russell - "Song of Summer: Frederick Delius" - 1968 - Full Film (Film complet)


https://youtube.com/embed/T2e0CrIfY6c





Didgeridoo virtuoso David Blanasi, Outback Adventures 1998



ディジュリドゥという民族楽器を初めて取り入れた最初のジャンルはやはりクラシック音楽である。
調べてみたところ、今のところ最古の記録と思われるのが1972年のジョージ・ドレフュスのディジュリドゥと管楽器による六重奏曲の録音である。
この曲でのディジュリドゥ奏者George Winunguj は西アーネムランドのワンガというスタイルの伝統的スタイルなのである。しかし、実際ワンガではコールやトゥーツは用いられることはないのであるが、この演奏では原則を破りそれらの奏法を駆使している。おそらく伝統的な儀式ではないので禁則を気にせずに演奏していたのであろう。


その次が1975年、ロン・ナゴルツカによるサンクトゥス。その次がたぶんピーター・スカルソープだろう。彼が作品にディジュリドゥを取り入れた最初のものは何か調べてみると1994年の弦楽四重奏第12番だと思われる。クロノスカルテットとデヴィッド・カルターのディジュリドゥによって演奏が行われている。
ついで2001年のフィリップ・グラスによるVOICES FOR ORGAN, DIDGERIDOO AND NARRATOR。こちらのディジュリドゥ奏者はマーク・アトキンス。そして2007年のショーン・オボイルによるディジュリドウ協奏曲。ディジュリドゥ奏者はウィリアム・バートン。


ついでにロックの分野でディジュリドゥを取り入れたのは誰かをリサーチしてみた。
クラシック音楽は1972年だが、それに遅れること10年の1982年。ケイト・ブッシュの4番目のアルバム「ドリーミング」の中のドリーミングである。ディジュリドゥ奏者はロルフ・ハリス。


しかし、1980年にはチャーリー・マクマーンがゴンドワナランドとして1980年にディジュリドゥを取り入れて活動していたのは間違いないのだが、アルバムのリリースが1983年。


どちらを世界初とするかは判定が微妙なところである。

その次が1988年、アボリジニのロックバンドであるヨスインディーのファーストアルバム「ホームランドムーブメント」である。ディジュリドゥ(イダキ)奏者はもちろん、ミルカイ・ムヌンガルである。特筆すべきはイダキの演奏スタイルがコテコテのブンガル(伝統奏法)である点。
3番目が1993年のジャミロクワイのファーストアルバムであろう。ディジュリドゥ奏者はウォリス・ブキャナン。
面白いことにウォリスのスタイルはコンテンポラリーなのであるがディジタルヴァイブレーションだけはトラッド風のタンギングでの演奏でDito Dere Dito Dereのリズムを延々と繰り返している。

ただロルフ・ハリスが1962年に発表した、その名もズバリ「ディジュリドゥ」という曲もジャンル不明ながら72年のドレフュスよりも82年のドリーミングより10年も20年も先なのでこれはポピュラー音楽で初めてディジュリドゥを取り入れた例として認定してもいいかと思う。

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String Quartet No. 12, "From Ubirr" (Earth Cry)




Drought ~ Gondwanaland, from Terra Incognita



Yothu Yindi - Sunset - Live Broome 1992 (HQ)



Jamiroquai Didjital Vibrations



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