サー・アーサー・サリヴァン「ミカド」をめぐる考察と 秩父における公演の歴史的意義

【日本における「ミカド」演奏の歴史】

19世紀末、ヴィクトリア朝全盛の英国で一世を風靡したギルバート・アンド・サリヴァンの代表作「ミカド」は、日本という彼らにとって異国を扱った喜歌劇である。その「ミカド」が日本で上演された記録をみると、1887 年(明治20年)4月 横浜山手のゲーテ座にてサリンジャー一座によって行われたのが最初である。しかし当局の圧力によりタイトルを「学校出たての三人 娘」と改題させられ、内容も大きく修正させられた上、一般の日本人は入場を許されず居留外国人のみが鑑賞を許された。その後1917年(明治40年)伏見 宮貞愛(さだなる)が渡英した際、英国内で上演禁止令が出されるも帰国後解除される。また1923年(大正12年)には本場のサヴォイ一団が上演を申請す るが当局により却下。2度目は1946年(昭和21年)アーニー・パイル(旧東京宝塚劇場)にて長門美保歌劇団により上演されるが、この時も在日居留民の み鑑賞が許された。しかし英国大使館が版権を主張したことにより公演を中止させられる。1948年(昭和23年)12月再び上演が許可された。1992年 名古屋における大須オペラのロック・カブキ座による公演などの上演記録があるが、今日ではほとんど上演の機会に恵まれない。しかし2001年3月、このオ ペレッタの舞台となったと言われる秩父の地で歴史的公演が行われた。  この「ミカド」、ウィンナ・オペレッタのように単に音楽を聞くだけでも十分楽しめるのだが、含んでいる内容が結構大きいのでそれを予備知識(①ストー リー、②曲、③それプラスアルファの部分、これが最も重要)として持っているのと持っていないので楽しみ方が違ってくる。実演を聞くのなら、ぜひ予習して おきたいものだ。  ストーリー的な予習は「オペレッタ名曲百科」、「オペラ名作名演全集」あたりがいいだろうし、CDではマッケラス指揮のものが入手しやすいと思う。映像 はストラットフォード音楽祭のものがDVDで出ている(この映像結構「ミカド」自体のパロディ的要素が含まれているので「ミカド」を熟知している人なら更 に楽しめる)。

http://www.youtube.com/watch?v=IA1GgPrC0vk

【「ミカド」の楽しみ方アウトライン】

まず、G&Sの 作品というのは、英国音楽の伝統を意識した演奏に徹するか、或いは英国社会の根底に流れるユーモアを強調する路線を意識するかという大きく分けて2つの方 法論がある。前者がマルコム・サージェントがグラインドボーン音楽祭で展開し、後にEMIへ録音し一つのスタンダート盤の地位を獲得した演奏であり、後者 がその他多くの演奏があてはまる。これをどう料理するかが第一のポイントであろう。  2点目は、時流に従って自由に演出を変えてもよい風刺場面をどうするか。第1幕第5番に死刑執行長官ココによって歌われる「死刑リスト」の歌がそれ。大体その時の権力者や政治家が実名で登場することが慣例となっている。。気の利いた演出だと聞きに来ている観客をおちょくるケースなどもあるようだ。「会場で携帯電話を鳴らす奴は死刑だ」みたいな。或いは「今、音を外した○○奏者も死刑だ」「リハーサルでやかましいこと言う指揮者も死刑」とか。  3点目はキー・パーソンの 扱い。「ミカド」ではカティシャ。「ペンザンス」ではルス。「ピナフォア」でのリトルバターカップというようにギルバートの台本には、このように滑稽な存 在の年増の女性が重要なポジションを占めていることが多い。このキャラクターに自虐的なセリフを言わせたり演じさせたりする。これも英国ユーモアの伝統で 現在でも継承されている「ペッパー・ポット」である。「モンティ・パイソン」などでも繰り返し登場してくるキンキン声で傍若無人に振舞う強烈なオバさんた ちがその流れと言える。この辺の扱いをどうするかも、例えば「魔笛」における夜の女王を最後に生かすか殺すかなどと同じように、演出家にとっては腕の見せ 所でもあり全体の印象を大きく左右する要素となる。

【ギルバートの言葉遊び】

言葉遊びは、脚本を書いたギルバートの最 も得意としていたもので、音韻の妙など実に見事なものである。この辺はさすがに芝居の国を感じさる。中でも特に「パッター・ソング」と呼ばれる早口歌いが 注目。これもプロムスでアンドリュー・デイヴィスが演じた「ペンザンス」におけるスタンレー海軍少将のアリアのように親しまれているものが多い。「ミカ ド」の場合だと、第1幕第10場でのプーパー、ココ、ピシュタシュによる3重唱がこれ。この曲で歌われる歌詞で、sit in solemn silence / dull, dark, dock / life, long, lock / short, sharp, shock / cheap, chipper, chopper / big, black, block というような似た発音の単語を猛烈な速さで歌う、というか喋らせるもの。英語のジェスチャアでよく手の平に手刀を打つアクションをして「chop! chop! chop!」というのがある。これは「やっつける」とか「首にする」とか「首をチョン切る」というようなニュアンスだったと思うのだが、この「chop! chop! chop!」とやる時のニュアンスに近い感じがする。この辺は英語以外の言語への翻訳不可能と言われ、そのことがG&Sの作品が英国以外では上演されにくいという一因になっている。  このような掛け言葉は他にも多く登場する。例えば、「死刑囚と結婚する者は生き埋めになる」という法律が出てくるが、これも結婚=marryと埋める=burryという言葉の引っ掛けということになる。同様にハムレットのセリフKing of screds and pathesに引っ掛けてthing of screds and pathesという感じ。この言葉遊びを見つけるのもG&Sを楽しむ一つの方法であろう。ただ日本語上演あるいは日本語に翻訳する場合、この辺のニュアンスをどう伝えるかは翻訳家のセンスにかかっている。  また第1幕で1ヶ月後に死刑を控えたナンキプーにプーバーが「どうか末永くお幸せに-Long life to you till then」と歌う部分がある。このLong lifeのLongを嫌みたらしく思いっきり長ったらしく歌う。つまり「1ケ月という長~い長~い人生をお幸せに」と。

【ブリティッシュ・ユーモアの特徴】

次に英国のユーモア感覚というのは、独特 のもので、日本や米国で好まれる無毒なものとは少し感覚が違うということ。マザー・グースのナンセンスなユーモアを想像してもらえば何となくわかってもら えるのではないだろうか。その辺が根底にあって、シェークスピアの喜劇、ルイス・キャロルやスウィフトなどあり、それがモンティ・パイソンなどを生み出し た背景に繋がるのかと思う。更にはこういう感覚に理解のある演奏家や聴衆がいたからこそ「ホフナング音楽祭」などが成立すると言えるだろう。この「ミカ ド」にもその流れを感じ取ることができる。  この英国ユーモアの特徴として①

異常な世界観

がある。これはもう最初から現実とは遊離した世界、お伽の国のお話として一般常識の通用しない世界が舞台になること多い。ここに登場する人物でまともなキャラクターはまずいない(わかりやすく言えば、全員がミスター・ビーンみたいなもの)。②として

道徳的観念が欠如

していることが多い。つまりハッピーエンドで終わることが少ない。③として

パンチ・ライン(オチ)の欠如

と いうことがあげられる。「ミカド」の場合、①は正にその通りであるが②に関してはそれほどあてはまらない。これはウィンナ・オペレッタの影響かと思われ る。この点に関して「フーテンの寅さん(日本的笑い)」「ソープ(アメリカン・コメディ)」「モンティ・パイソン(英国的笑いの例)」の映像を比較して解 説したことがあるのだが、それぞれのユーモア感覚の違いについて映像を見ながら比較するとわかり安い。こういうタイプの笑いというのは英国ならではのもの であり、他国ではあまり見られないパターンのように思う。日本人的感覚の伝統的笑いというと落語的などこかほのぼのとしたイメージであるが、それとはだい ぶ感覚は異なる。どこか不健康で意地悪な感じがある。ただ日本でも「滑稽新聞」や「スコブル」などで大暴れしたジャーナリズムの超変人、宮武外骨(みやた けがいこつ)が、この英国的ブラック・ユーモアに近いものがある。しかし英国のようにこういうタイプの「笑い」の系譜がない日本では突然変異的に現れたも のの、継承する者もなく消えてゆく運命だったようだ。

「ファールプレイ」と「ミカド」

「炎のランナー」とともに「ミカド」が登場する映画として「ファールプレイ」がある。これはヒッチコックの「知りすぎていた男」のパロディとなっており、なかなかよく出来ている。  思った以上に「ミカド」の場面や音楽が出てくる。「知りすぎていた男」を知らずに見たとしたら立派に(?)サスペンスとして通用しそうなほどハラハラさせる場面も多い。  しかし、この映画かなり重要なポイントが多く含まれているのが見逃せない。音楽の話題からちょっと外れるが、まずダドリー・ムーアが出演している。ダド リー・ムーアと言えば1960年代に、ピーター・クック、ジョナサン・ミラー、アラン・ベネットとともに伝説のコメディ・グループ「ビヨンド・ザ・フリン ジ」を結成していた人物。ロンドンのコメディ・クラブ「エスタブリッシュメント」を中心に活躍し、英国コメディのムーブメントを巻き起こし、後の「モン ティ・パイソン」や「ミスター・ビーン」のアトキンソンらがブレイクするための路線を築いた功績は大きい。もちろん、彼ら4人も「ケンブリッジ・フットラ イツ」ではパイソンズやアトキンソンの先輩でもある。以前から、ブリティッシュ・コメディの系譜において、G&Sと「モンティ・パイソン」は同じ流れに属 するものある、ということを追求していたわけだが、ここにもギルバート・アンド・サリヴァンと「モンティ・パイソン」などを結びつける一つの手がかりが発 見されたわけだ。しかも、結成当時の「フットライツ」に影響を与えたものとしてG&Sと並んで漫画風刺誌「パンチ」がある。サリヴァンに最初に風 刺オペレッタを書かせたのが、この「パンチ」誌のバーナンドという人物(このコンビで「コックスとボックス」、「密輸業者」を製作)。更にギルバートは、 その「パンチ」のライバル誌であった「ファン」誌の執筆者である。正に「イギリスの宮武外骨?」(ギルバートの方が先ですが)。ちょっと突っついただけで これだけ色々出てくるのであるから、調べればまだまだありそう。それにしても、パイソニアンである私の目が「ファールプレイ」を見落としていたというの は、ひとえに米国映画だからであろうか。それにしても、そもそもこの映画に「ミカド」を持って来ようと最初にアイディアを出したのは誰なのか気になるとこ ろ。ムーアだったとしたらもっと面白いのだが・・・。  その他、どうもロマン・ポランスキーがちょい役で出演してるような気がする・・・。映画館のキップ売りのニイちゃんとして。もしそうだとすると、これま た、ピーター・セラーズ、リンゴ・スター主演のあのブリティッシュ・コメディの古典的名作「マジック・クリスチャン」を彷彿させるのである。  更に1987年にイングリッシュ・ナショナル・オペラ(旧サドラーズウェルズ)でジョナサン・ミラーが「ミカド」を演出しており、ココ役をエリック・アイドルが演じている。ダドリー・ムーアもエリックの代わりに何度か演じたという。

【ミカドの描写】

日本で「ミカド」を上演する場合に最も問題になると思われるのが第2幕で歌われるミカドのアリアである。ここでミカドは「我ほど慈悲深いミカドはない」と歌うのであるが、ここは演出家と歌手の最大の見せ場となる。ここを思いっきりsilly(バ カ)に歌うのが慣習となっているからだ。この「ミカド」のストーリーもよく考えてみると、自ら制定した制度に基づいて理不尽な処刑命令を下したがために混 乱を引き起こした上に、結果的にその命令も実行されないまま、逆に説得力のない説明に丸め込まれ、結局一番トップ(ミカド)が一番バカだったという結論に 達してしまう(この辺が「パンチラインの欠如」ということ)。ドイリーカートでの「ミカド」の当たり役ドナルド・アダムスの歌いは今でも語り草となっている。英国では観客が一緒に歌ったりすることがあるようだ。つい最近の演出ではミカドが生首をもてあそびながら歌ったという。この辺をどうしてもソフトに描かねばならないだろう。  それくらいのユーモアわかってくれてもいいのにと思うのであるが、日本という国はその点難しいものがある。イラクとか北朝鮮というような独裁者の君臨する国は別として、他国ではこの位の表現はそう問題にならないと思うのであるが。  例えば、フォルクス・オパーで観たベナツキーの「白馬亭」なども皇帝フランツ・ヨゼフ2世が実名で登場するのだが、これなんかも考えてみればとんでもないものがある。皇帝が単独でSPもつけずに手ぶらでフラっとやってきて主人公を諭して帰って行くのであるが、この描写はかなり間抜け。  オペレッタの作曲家といえばJ・シュトラウス、レハール、カールマン、オッフェンバックなどがいるが、例えばシュトラウスはオペレッタを27曲書いているが、そのうちよく知られているのは「こうもり」を初め数曲のみで、レハールは28曲で「メリー・ウィドー」「ほほえみの国」くらいしか有名ではない。カールマンは21曲中「チャールダッシュの女王」くらいで、スッペに至っては183曲中数曲しかそんなに知られていない。オッフェンバックもそれくらい書いている。それに対してG&Sは14曲 書いてそのうちのほとんどが生き残っている。さすが物持ちの良い英国ならではということもあるが、凄いことである。これは当時のオペレッタというのは時流 の風刺を前面に押し出すのがそのスタイルであったため時代が変わるともう古くなってしまうということのようであるが、G&Sの場合、演出次第でどの時代で も流用することができる。

http://www.youtube.com/watch?v=G0xamGC458g

【英国音楽としての「ミカド」】

この作品が紛れもなく英国音楽の伝統を引き継いでいるということを確認できる場面も多々見受けられる。例えば、第1幕で歌われるナンキプーの「さすらいの旅人」の中間部の曲は、 聞き覚えのある曲で恐らく英国民謡のどれかだと思うのだが、まだ特定できていない。「海」「船旅」「海軍」を題材にした民謡だと思われる。例えば「モン ティ・パイソン・ミーニング・オブ・ライフ」の中でも似たメロディが歌われており、両曲とも案外英国ではポピュラーな民謡が元歌となっているのではないか と推測している。第2幕ココが歌う「柳よ柳よ」も正に英国民謡調であるし、同じく2幕のマドリーガルなどダウランドかモーリーそのもの。

また、サリヴァンが作曲した、オペレッタ以外の純音楽作品を耳にすれば、彼がメンデルスゾーン、ワーグナー、シューマンらのドイツ音楽的系統から、後のエルガーらに繋がる英国音楽への中間として重要なポジションを占めていることは一目瞭然である。

冒頭で歌われる「我らは日本の紳士」という合唱の歌詞は、19世 紀末の欧米諸国から見た異郷の国日本がどのようにイメージされていたのかということをよく物語っている。「我々は、扇子や坪や屏風でよく見かけるような日 本人である」というのは、ギルバートを含めたこの当時の大多数の人々が抱いていた日本に対するイメージなのだろう。この当時ロンドンのナイツブリッツには 日本村があり、ちょうど日本に関する博覧会なども開かれ、ちょっとしたジャポニズム・ブームが巻き起こっていた。そんな中、音楽の世界でも1876年にフランスでシャルル・ルコックがオペレッタ「古事記」を発表し、これに続いて英国のシドニー・ジョーンズの「芸者」(1893)、G&Sの「ミカド」(1885)が書かれている(ただしこれら一連の因果関係は不明)。1904年にはイタリアでプッチーニによってあの「蝶々夫人」が書かれている。

【ドイリーカートの芸達者ジョン・リード】

第二幕でココの身代わりで1 ケ月後に死刑になることが決まったナンキプーが1ケ月だけヤムヤムと結婚できることになったものの、「死刑囚と結婚している者は生き埋めになる法律」があ ることが判明する。愛するナンキプーと結婚したいけど生き埋めになりたくないヤムヤム。そのヤムヤムと結婚できるのは嬉しいが彼女までも死刑にするわけに はいかないナンキプー。そして、ミカドの死刑執行命令のノルマを果たすことができるという安堵感。その代わりに愛するヤムヤムを1ケ月間だけ他人に取られ てしまうところであったが、それをしなくて済むかもという思い。しかしそうするとやはり自分自身が処刑されてしまうという思い。ということは結婚すれば結 局ヤムヤムは生き埋めの刑になってしまう。更にはナンキプーに対する同情の念をも同時に抱くココ。途方に暮れた3者による「さあどうしましょう!」の3重唱が歌われる。それぞれの複雑な心境を嘆くのであるが(言葉遊びもふんだんに出てくる)、とりわけココの心境は最も複雑で、ここでのココの演技はとても重要。1966年の映画で 観られるドイリーカートでの当たり役ジョン・リードの演技は実に見事なものだった。ヤムヤム、ナンキプーがそれぞれの思いを歌う間も彼は後姿でタップを踏 みながら背中で演技して見せる。それでいて決して出しゃばった感じではないところがミソ。こういう演技力と歌唱力を兼ね備えた人はなかなかいない。

初代ヘンリー・リットン、2代目マーティン・グリーンに続くドイリーカートの名ココ役3代目の名をほしいままにしている感じだ。

http://www.youtube.com/watch?v=zJbx7qhbY74

【「ミカド」研究のアプローチの方向性】

日 本語で「ミカド」について書かれた文献としては猪瀬直樹著の「ミカドの肖像」(新潮社)が最も深く切り込んだ内容ではないだろうか。ここでは歴史的背景、 音楽的側面などからアプローチを試みておりかなり深い内容となっている。この本が無かったら、今日「ミカド」の日本における知名度は更に救いがたいものに なっていたに違いない。秩父公演のプロジェクトに携わった関係者による「秩父びっくり英国物語」(宮澤眞一著)は、英文学と言語学からのアプローチであ り、ギルバートによる「ミカド物語」全訳もある。しかしブリティッシュ・コメディの側面から切り込んだアプローチというものはこれまであまりなかったよう な気がする。私はこの側面からのアプローチに最も興味を引かれるのである。「ミカド」に見られる滑稽なまでの「残酷性のデフォルメ」や、いかにも「そんな のあるわけがないだろう」というのがミエミエの世界観と胡散臭い登場人物が闊歩する様は正にブリティッシュ・コメディそのものだと感じられる。  例 えば、主人公である皇太子ナンキプーが、その身分を隠し旅芸人となり、宮廷楽団の「第二トロンボーン奏者」になりすます、という部分があるが、この「第二 トロンボーン奏者」というのに何か意味があるのではないかと思っている。なぜなら海外のオーケストラ団員の間から広まった(?)「びよらじょーく」と何か 通じるものを感じてしまうからである。この「びよらじょーく」もブリティッシュ・コメディの精神に限りなく近いものがある。(「びよらじょーく」に関して は一部のオケ奏者の間では結構有名だそうだが、http://www.st.rim.or.jp/~gen-san/violajoke.htmlに詳しいことが書かれている)  また驚くべきは英語圏の国におけるG&Sが何とポピュラーな存在なのかということ。欧米人の会話の中で思いがけずG&Sが比喩として不意に出てきたりする。それも全く音楽に関係ない会話の中だったりすることも珍しくない。英国のハマープロの撮影現場でピーター・カッシングとバーバラ・シェリーがG&Sの歌をどちらがよく知っているかを歌って競ったというエピソードや、あのドラキュラ俳優クリストファー・リーがG&S作品のアリアを歌って聴かせたとか(リーはオペラ歌手でもある)。映画「炎のランナー」にも「ミカド」の一場面が登場し、劇中「ペンザンスの海賊」の「猫のように」、や「ゴンドリヤー」からの歌が歌われていた。  いずれにせよこの「ミカド」見所がいっぱい詰まっており解説にいくらページを割いても語りつくせない面白さがある。日本での公演が成功に終わってG&Sの 他の作品も紹介されるようになって欲しいと切に願うばかりである。それにはまず①真の面白さを伝える役目が不可欠だということ。そして②言語のニュアンス を崩さずに翻訳することが必要になってくる。ただ、そのためには英国音楽のみならず、英国事情、英国のコメディの手法、スラングを含めた言語といった広い 知識が必要となってくるため、なかなか適任者を見つけるのが難しいと思われる。これらの点さえクリアされればG&Sの作品が普及するのも決して夢ではない と思う。

【残酷描写のデフォルメ】

このオペレッタでは「日本=残酷」というイメー ジがやたら強調されているが、世界の処刑の歴史を見ても日本の処刑法を残酷と一方的に見るのは極端過ぎるように感じる。思うに、それはひとえに「処刑感 覚」の違いから来るものだろう。処刑方法の一つの手段としての「ハラキリ」という行為が、中世から近世まで続いた日本の武家社会では武士道精神の美徳とい う発想で捉えられていた一面があった。「潔さ」として賞賛の対象となることすらある。例えば「見事な腹切りであった」という言い方は存在しても、英国、及 び西欧社会では「見事な首切りであった」という(死にゆく者に対しての)言い方は存在しない。また「ハラキリ」という方法で「自らを処刑させる」という特 殊性が彼らにとって十二分な意外性をもって映るのだろう。その美徳精神と特殊性が「日本=残酷な社会」というイメージを喚起させるのではないかと想像でき る。

【宮さま、宮さま】

ミカド登場の際に使用される「宮さま、宮さま」 は、大政奉還の天皇軍の行進曲として知られている。元唄に関しては諸説ある。品川弥次郎作詞、大村益次郎作曲というのが通説だが、京都祇園島村屋の芸者中 西君尾の作という説もあるが実際のところは定かでない。が、実はそれ以前にも歌われており、江戸の民謡「トンヤレ節」が元唄であるとする説もあり、案外そ んなところではないかと思う。歌詞は以下のようである。

トンヤレトンヤレ  鉄砲かついで  狩人鹿おうて  チョチョンがよんやさ

【秩父「ミカド」プロジェクト】

2001年3月の秩父公演は既にそ の10年以上も前からアクションを起こしていた結果である。1992年には今回のイベントの中心的存在の人物が英国に渡り本場のドイリーカード劇団やバー ミンガム市長を表敬訪問し歓待を受けている。これは秩父市長の親書を携えての公式な訪問であり、ドイリーカート劇団の日本公演の確約とドイリーカート友の 会日本支部の設立を依頼されるという実績を挙げている。この訪問の目的の一つが「ミカド」で描かれる「ティティプ」が「秩父」であるかどうかという確証を 得るためというもの。いずれにせよ目覚しい成果を成し遂げる訪問になった。  1995年には中心人物の一人である宮澤さんという方が研究成果をまとめた「秩父びっくり英国物語」という本を出版。内容たるや非常に詳しいものとなっ ている。宮澤さんは英文学の見地からアプローチを試みており言語学的な解釈は「なるほどな」と思わせる記述も多く、正に目からウロコが落ちる感じ。特に後 半にはギルバート本人が後に書き下ろした「ミカド物語」の全訳も掲載されており資料的価値も高い。  そんな動きがあって、本題のドイリーカート招聘までは至っていないものの、公演に関しては本場のドイリーカート劇団も激励している。このようなプロジェ クトが10年以上も続けられていたとは驚きである。秩父という都市の「町おこし」をかけて秩父市の全面的なバックアップを受けてのプロジェクトなのであ る。この公演は大変な盛況に終わり、2003年には再演が実現し、さらには念願の東京公演まで実現することになった。この公演では「ミカドの肖像」の著者 である猪瀬直樹氏も招待されており、このプロジェクトにも関係が深く、以前から「ミカド」のファンであるという永六輔氏も「ミカド」に関するトーク・ ショーを行った。

【2001年3月秩父「ミカド」観賞記】

2001年、秩父で行われた「ミカド」公演は大変な盛況のうちに行われた。地方での公演という様々な制約の中であれだけのレベルの高いものをつくりあげたという事実は凄いものがある。これならば、どこに出しても恥ずかしくない内容である。  名演奏というものは、様々 な条件が揃った時に初めて生まれるものなので、そう滅多に出会えるものではない。それが今回の公演での凄い熱気と盛り上がりはハンパではない! それも本 当に市民が一つの大きな目標に向かって団結して出来上がった結果なのだということが会場の雰囲気からヒシヒシと感じられる。地方ということで、いい意味で も悪い意味でもローカル色の強い印象であった。  最も気になっていた演出と 翻訳面は、ブリティシュ・ユーモア独特の「毒」の要素を徹底的に中和して、できるだけ安全な形にコンバートした感がある。このようにした場合、恐らく「ミ カド」本来の面白さが半減してしまうだろうな、と心配していたのだが、これはこれで一つの形として面白いと感じられる。そういう「毒」の部分を期待する本 国のコアな一部のファンには物足りないという感想が出てきても不思議ではないが・・・。  しかし、そういった「毒」の要素は、秩父ならではのご当地ネタと時勢風刺ネタに置き換えられている。実は、本来ギルバートがやっていたことをそのまま「秩父」というローカルなキーワードを埋め込むとこうなるはずなので、決して的はずれではない。  「毒」の要素の除去という 事例は、ミカドとカティシャというヒール的キャラクターの扱いに顕著に見られる。ここには野蛮で粗野なカティシャ像はなく、物分りのいい一人の恋する女性 カティシャがおり、人情味があり「改心する」ミカドがいるだけだ。つまりそれ以外の登場人物全てがブリティシュ・ユーモア独特の「異常な世界観のまともで はない登場人物」たちが「普通の人」に限りなく近づくように劇中で説明されている。特にこの「柔和な」ミカドの描写は、スタッフが心配していた右翼対策と いう一面もあったようである。  また「原作」では、カティシャが登場した時にナンキプーとヤムヤムに対して罵倒の限りを尽くすの であるが、今回の「いい人」に描かれたカティシャは、この部分は実にお上品であった。ここは本来、子供のケンカのように罵倒の言葉を羅列するのが面白いの であるが、翻訳家がこの点を理解していないのか、或いはソフト路線を強調するあまり、柔らかく変えてしまったかのどちらかであろう。ここは例えば日本語に するならば「バカ、カバ、チンドン屋、お前の母ちゃんデベソ!」とでもした方が元のイメージに最も近いのであるが・・・。ヤムヤムに対しても「この好色女 め」というニュアンスの罵倒内容なのであるが、これも完全に変えてしまっていた。実は、これらは全てカティシャに当てはまる要素で、ここはカティシャの自 虐的要素がある。これではギルバートの十八番「ペッパー・ポット攻撃」が完全に削ぎ落とされてしまった形なわけである。やはりこの辺は日本人の感覚では理 解し難いということで削られてしまったのであろうか。  確かに、かなりブリティッ シュ・ジョークの「毒」を取り去る処理を施しているのであるが、如何せん元々の「毒性」が濃厚なので、その痕跡はやはりあちこちに残っている。例えば、最 後にミカドのセリフで「何だか無理やりハッピーエンドにしてしまった感があるな」と言わせているが、これなど正にブリティッシュ・ジョークの定石「パンチ ラインの欠如」そのものではないだろうか。それにそれこそがギルバートの台本なのである。それを今回うまく誤魔化したというか、うまく処理したなと感心さ せられる。  「モンティ・パイソン」のスケッチ(Sketch No.4109)の中で、そのスケッチの終わり方をデパートの「終わり方売り場」に買いに行くものの気に入ったものがなく「面倒臭いからもう終わろう」と言って唐突に終わってしまうという感覚に通ずるものを感じてしまう。  それと演出家は、恐らくス トラットフォードのものもドイリーカートの演出どちらも見た形跡を匂わせる。3人娘登場の前のシーンはドイリーカートの演出があまりにも美しいので、なる べく近い感じを意識したように思われるし、最後に合唱団員(?)の一人が半側転からのバク転をやるところはストラットフォード版を思い起こさせる。もっと もこの合唱団員氏のスタンドプレーの可能性もあるが・・・。  第19曲 目が今回カットされているが、なぜこれがカットされたのかを考えてみた。チャペル版でもこの曲はカットされているのだが、これを入れるとミカドの残酷性を 強調する可能性があり、「クドイ」イメージがあるからという理由ではないか。これを入れてしまうと折角日本人向けのソフト路線に修正したものが、ここだけ 浮いてしまう可能性もあったわけだ。ここはちょっとしたグリーのパロディになっているのだが、カットしてもストーリー上あまり問題ないので削ったものと思 われる。  いずれにせよ、これまでも 和風もどきの演出というものは、あるにはあったのであろうが、これほど純正の和風様式の演出は全くの初めてのはずなので、本場の人間の目にはかなり新鮮に 写るはずだし、その意味で本当に画期的な演出と言える。これを脚本、演出を一つのパッケージとして、本場にプレゼンすれば、かなりのインパクトが期待でき る。実際、今回の公演の映像はドイリーカート・カンパニー(と恐らくバクストンのG&Sフェスティバル事務局にも)に送られることになっている。  また、様々な人に向けた メッセージが込められているという点も印象深い。地元の人向けのご当地ネタに加えて、日本オペレッタ協会ならではのオペラ、オペレッタ・ファン向けのもの もかなりある。中でも傑作なのは「微笑みの首!」という下り。これはココたちが処刑の様子をミカドに説明する際に「刎ねられた首が笑った」というところを レハールのオペレッタ「微笑みの国」に引っ掛けたものだ。これには椅子から転げ落ちてしまった。特にこの「微笑みの国」は日本オペレッタ協会にとっては特 別な意味合いがあるだけに面白いのだ(ブダペスト公演で大変な話題になった)。公演後脚本家にこのことを話したら「5人位は笑ってくれる人がいるだろうと 思って考えた」そうである。これは秩父向けというより東京向けのギャグである。  演奏面でもオケのアンサン ブルも良かったし、役に徹する人たちも役の意味をよく掴んでいた。とても秩父初演の初日とは思えない出来である。指揮者も舞台上のギャグに積極的に参加し て場慣れしている様子を見せており、また、ソロがずれてしまったところをうまく修正してみせた腕前も大したものである。  公演後は、主催者の方のお誘いで永六輔氏らとミカド談義に花が咲きとても楽しいものであった。「ミカドの肖像」の猪瀬直樹氏も来場していた。取材は朝日新聞と日経新聞が来ていたようだ。  一番心配なのは、このまま 単発で「終わって」しまうことである。マスコミの力があまりアテにならないクラシック音楽業界の昨今、頼みの綱はこうした個人個人の口コミによるネット ワークしかないわけである。だからこそ私はこんなにも騒いでいるのだ。永氏も「このまま終わらせてはいけない」とかなり乗り気であったし、猪瀬氏も「これ からドンドン書く」と宣言していた。  秩父での盛り上がりは本当に凄いので、もうG&Sの フェスティバルをやってしまう、とかならないものだろうか。例えば、「ペンザンスの海賊」ならぬ「秩父の海賊」なんて(秩父に海はない!)のをやるとか。 或いは、秩父の街のあちこちに記念碑を造ってしまうとか。例えば、ナンキプーとヤムヤムが初めて出会った地点の記念碑、あるいはココがナンキプーを処刑し た刑場跡とか(実際には処刑しなかったのだからどこの場所にあろうと矛盾しない?はず)。もう作ったもん勝ちであるこれは。これって英国流ジョークか宮武 外骨(みやたけがいこつ)のノリではあるが、市役所がそこまで冗談に乗ってくるわけはないと思うが。  今回の公演は海外でも大変 な反響を呼んでおり、英国のダービーシャー・バクストンで毎年開催されているインターナショナル・ギルバート・アンド・サリヴァン・フェスティバルからも フェスティバル参加の誘いが来ている。この件に関しては、秩父市長をはじめとする視察団の派遣が検討されているようなので、明るい材料もあるのは喜ばし い。

【秩父「ミカド」カットされた幻の演出】

2001年3月の秩父ミカド公演のレヴューが載ったマスメディアは、日本経済新聞と音楽之友の2つだけのようであっ た。どちらも概して好意的な内容であり、最も伝えられるべき歴史的意義についてもそこそこ触れられていたようだ。何しろ音楽関係からの証人が少ないので は、と危惧していたのあるが、このようなメディアが立ち会ってくれていたことに安堵を覚えた。  なぜかというと、今回の公演はいわば「作る方」も「観る方」も皆仲間意識が強すぎて、終わってみて好意的な感情に終わるのは、ある程度当然なところが あったから。そこでは、ヘタをすると公平な見方がしにくくなってしまうと思う。ゆえにこういう音楽業界畑の人から観た意見というのも、この公演の評価を確 実にするためには必要だと感じられる。  例えば、自分などもどちらかというと主催者側に感情移入しすぎ(深入りしすぎ)ているということを程度自覚している。だから、95パーセントは両手をあげて喜びたいという賞賛の気持ちが強いのであるが、反面5パーセント位は苦言を呈したいこともあるのは事実。  今回の公演をサリヴァンが見たら喜んだかもしれないが、ギルバートはどうかな?というのがある。なぜならギルバートの得意技がほとんど封じ込められてしまったから。それは、例の「ペッパー・ポット」の問題であり、パッター・ソングが 今回の翻訳では、あまりにもニュアンスが違っているからである。パッター・ソングの「巧妙」なはずの言葉遊びが今回の翻訳では、「ギシギシギシ、ガシガシ ガシ」になってしまっている。これはある意味、翻訳の「手抜き」にもなりかねない部分。しかし、今回の日本語訳は1946年の長門美保劇団の台本を叩き台 に使っているとのことなので、この元の翻訳がそうなっているのであろう。終戦の翌年に慌しく上演されたというようなことが「ミカドの肖像」にも書かれてい るので仕方がないといえば仕方がないのだろう。ただ次回はこの「長門台本」に拘る必要はないのでは?と思われる。しかし、この部分、今回の台本を見ると、 タイトルが「死体は辞退」となっている。つまり、翻訳家なりに言葉遊びを考えてはいたようだ。  また実際の公演ではカットされていたのであるが、台本によるとオマケがついていたことがわかる。これが結構面白いので、このまま闇に葬られてしまうのは忍びないので、台本からその部分をちょっと紹介してみたい。

その1.  最後の最後の場面で、高底靴の顔黒ギャルと髪を染めた若者がイチャイチャしている。と、それを見つけた侍がミカドに「風紀条例違反です」と告げる。しか し「改心した」ミカドは寛大にもこれを許すことにする。しかし「縄で縛って生涯離れられないようにしよう」。これに対して若者は「冗談じゃないっすよ」と 拒むが、コギャルの方は「メチャ面白そう」の反応。逃げる若者に、それを追うコギャル。一同笑って見送って、幕が閉まる、という具合。

その2.  本番ではカットされた第19曲目のグリーは、台本上では存在していた。しかし、やはり訳がちょっとばかりピンと来ないのでカットして正解だったかも。

その3.  第2幕冒頭の秩父市制50周年記念式典に「秩父原人」が乱入するはずだったこと。  これには、非常に根深い因縁がある。例の石器捏造問題では、秩父も捏造された発掘現場の一つであったという事実がある。その捏造発掘家が秩父の遺跡で石 器を発見したことに誘発されて、秩父市としては秩父原人を秩父のイメージキャラクターとして大々的に売り出そうと考えた。しかし、この捏造問題発覚によ り、一気にこの秩父原人の存在自体も疑わしくなってしまった。ゆえに、秩父原人の舞台登場は幻と終わり、代わりに第1幕のココの処刑リストには、しっかり この捏造発掘家が加えられていた。この部分台本には見当たらないので、秩父市が怒り心頭ぶりが伝わってくるようだ。

その4.  ココたちがミカドに処刑場面を描写するところで、歌舞伎風の演出で行うはずだったこと。恐らくここでは、実際の秩父歌舞伎正和会の面々によって行われた はずなので、カットされたのは惜しい。カットされなければ、この「ミカド」の劇中に「本物の歌舞伎の一場面」が繰り広げられたということになったのだ。そ れも「ミカド」のストーリーに即して「忠臣蔵」のパロディになっている。

(ココ、プーバー、ピティシンがミカドに罪人の切腹の状況を話して聞かせる場面)

切腹の座につく罪人曰く 「由良乃助まだか?」

それに対してミカド 「これって何か違うんじゃない?」

プーバー 「いや、名場面ですから」



参考 モンティパイソンのスマパロット



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