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クソババアと罵倒の様式についての考察

「責任は、あるべきところに返しなさい」との言葉をツイッターで読んだ。

クソババアと「言う」人と、「言われる」人と、どちらが責任のあるべきところなのか?の、話をする前に、この手の「罵倒によって、うやむやにする様式をどこで見たか?」を話したい。

パターンA・家庭内

「いい加減、部屋を片付けてよ!」

「うるせークソババア!」

「なんなの、その口の聞き方は!!!」

(片付け問題、どっか行った)


パターンB・中学校で

「先生、いきなり殴ることねーだろ!」

「ねーだろとはなんだ!言葉遣いがなってない!」

(殴った問題、どっか行った)


個人体験としては、パターンBが強い。中学生の頃、成績、言葉遣い、服装、校則違反、先生への態度等々に話をすり替えられて、内申書に響く!とかなんとかの脅迫もあり、「本題に入れない」を強く思ったのだな。で、実験闘争に入る。

学校での実験その1は、「文句言われそうな諸条件をクリアの上で、本題を言ったら、なんと答えるのか?」私は成績優秀な中学生だったし、制服をいじるお金もなかったから、割とクリアは楽だったのね。

懐かしの「ツッパリ系」が言う、「服装違反って、誰の迷惑?」は問題提起としてとても正しいと私は思った。だけど、ツッパリ系が言うと、先生方は得意のすり替えを行うのだな。で、私が言ってみた。

当時、校内弁論大会ってのがあって、希望者(は基本いないから、無理に選ばれるんだけど)は原稿を書いて提出の上、代表者がクラスから1人、体育館でスピーチする行事ね。

原稿書いたよー。先生が気に入りそうな言葉を並べるのって、みんなやってるし、割と楽に書けるものでしょう?「校則守ると、将来に役に立ちます」的な?原稿チェッククリアして、代表になって、服装チェックもクリアして、校則遵守の優等生仮面は完璧。

当日、原稿を読まないで、言いたいこと言った。

「校舎を傷つけるからといった具体的な理由がある校則もあるが、靴下の色を決められることで何が守られ、誰が得をするのか、みんなで、一度一緒に考えたい」

結果、私は生徒投票は結構いい線いってたらしいけど「失格」になって、弁論大会は翌年から開催がなくなった(^◇^)失格の理由は「事前提出の内容と異なる」だそうで。弁論っていったのに?作文読み上げ大会って言わなかったよね?なんだけど、まぁ、ともかく大人って「すり替え」は得意よね。実験は、他にもいろいろやってみたよー!結果「本題を話せる先生は、中学にはいなかった」が結論だったね。

私は、私みたいな子供の問いに答えられないで逃げ回ってるくせに威張るのだけ得意な、こんな大人にはならない!と心に誓った。

大人になって、子供を持って、ママのバカ〜!が始まって、私は思い出す。ここで「すり替え」たり「誤魔化し」たり「本題がどっか行っちゃう」したら、私は、なりたくないと思った大人と同じになってしまうではないか!

「ママがバカなのと、あなたが自分でできなかったことは、関係ないです」

「クソババアの子供は、クソ息子です」

「他人にクソババアと言えてしまうのなら、本人自身がクソガキです」

誰にどう呼ばれようと、私の中身が変わるわけではないので、私への呼びかけは、呼びかける人自身の「中身」を表してるだけだ。そんなことで「本題が行方不明になる」のは嫌だと思う。

罵倒は罵倒語を発した人に責任があると私は考える。だから「責任は、あるべきところに返しなさい」をやるために、その罵倒で自分の内面が揺らいだことを出さないをやりたい。まぁそもそも「悪口は自己紹介」で、罵倒しようとすると自分の弱点晒すのと同じだから、罵倒が来たら攻めポイントゲット!でもあるのよね。

罵倒語を使わないようにするってのは、弱点晒さないって自己保身でもあるんだな。

罵倒語を使って、うやむやに出来た過去の体験から、本題に入りたくない場合に罵倒語を使うようになるのはあると思うんだ。あれは、本題から、本質から、わからないから、逃げたい時の手段の一つ、だよね。

罵倒の様式は、日本に蔓延してる。立場で言葉遣いで「本題に入れない」のを、罵倒語を使った!に過敏に反応して「本題を見失う」のを、よく見るよ。

あの様式しか知らないのなら、しょうがないことではあるのだけど、他のやり方もあると思うよーどう?は、言いたいところである。

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