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得意なこと

僕ね、どうやら得意なことがあるらしいんですね。
自分との距離がはっきりしている人とのコミュニケーションが上手みたいなんです。
どういうことかと言いますと、僕は現在フリーターでして、4つほど仕事を掛け持ちして生活しているのですが、
その1つに不登校支援の仕事があるんです。
どういう仕事かと言いますとね、簡単です。お宅に訪問して一緒にゲームしたり、お喋りしたりを2時間すればいいんです。
そこで信頼関係だったりを築きつつ、登校先の学校の人たちと親御さんと連携しつつ、登校まで支援するという仕事なんです。

といっても、僕は他の仕事の都合もあるのでお宅に訪問して仲良くなるという要員です。
今まで3件ほど携わらせて頂いておりまして、みんな境遇も学年もバラバラなんですね。
毎回の訪問が終わったら、親御さんに報告するんです。「今日こんなことありまして、こんなこと言ってましたよ~。」みたいな。

そんで、どのお宅からも「いいじまさんが訪問してくれるのが楽しみで仕方ないみたいで、訪問が終わった直後とかもすごく上機嫌なんです。ありがとうございます。」
みたいな返信をいただくんです。

僕視点ではね、
「うわ、この子めちゃくちゃ面白いじゃん。」
「おー。今の小学生はこんな視点を持ってるんだ。」
「え、この子にめちゃくちゃゲーム負けてるわ。悔しいな。」
みたいな感じで毎回楽しく過ごさせてもらってるんです。

得意なことっていうのは自分ではわからないもんじゃないですか。
あ、今”就活”されている人とか、”転職活動”されている人とかには中々伝わりづらいですよね。すんません。
まぁ「得意なこと」なんてもんは、自己の外からのフィードバックがないと立ち上がらない認識だと思っていまして。
んでその認識がどのスケールで測っているもんなのか、フィードバックの誤差はどんなもんなのか、とかとか、色んな視点で考えれるわけですよね。
すごくフワフワしているもんなんですよ。
だからそういうのって、自覚的なものでもないんじゃないかなと思うんです。

んでね、僕自身はそんなもんあまり意識しないように生きてるんですが、
今回に関しては確かに変なんですよ。
僕は別に頑張って子供たちと接しているわけではないし、むしろ滅茶苦茶真剣に遊んでるし。
でもそれがある種価値として受け取られているんですよね。
こりゃもう、”得意なこと”としてしまっといていいや。そう思ったんですね。


「自分との距離がはっきりしている人とのコミュニケーション」というまぁはっきりしないことが得意だと言うてますけど、
今回の場合、入り口はすごくビジネスライクですが、中身は真剣な訳です。そこにいやらしい感情もないし、むしろ僕はそういうご家庭を観察できる立場で滅茶苦茶オイシイ訳です。

「距離がはっきりしていない」っていうのはどういうものかというと、
これ合ってるかどうかわからないですが、
僕ね、会食とかパーティーとかダメなんですよ。
人見知りとかが強いわけではないんですけど、興味を持てないんですよね。まぁ初めましての場合が多いというのも関係してますけど、その会食とかパーティーって雰囲気が強いじゃないですか。
迂闊に自分が話せないといいますか、どうせ僕がはなしても聞いてくれる人なんていないし、広がらんし。
そういう場にいる時間ってなんかモヤモヤするんですね。

まあこれがある種、フワフワした距離感の人たちが集うという意味で、はっきりしてないと僕は認識しているんですけどね。

オタク気質なので、とことんismに僕は侵されているんです。
だから僕の中ではっきりした場であれば、とことん真剣に楽しめるんだろうなと。
まぁみんなそうなんですけどね。


とにかく結語としては、そういう「得意なこと」っていうのはフワフワしているもんで、
でもそのフワフワに触れているんじゃないかなと思うタイミングが最近来ましたよーというお話でした。
ちゃんちゃん。

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