いいじま、

存在を記録してみる。 ずっと遠くを見ててちゃ駄目ですか。

いいじま、

存在を記録してみる。 ずっと遠くを見ててちゃ駄目ですか。

最近の記事

屁理屈。

どこでどんな事をしていても、隣の芝生は青く見えるものだ。 自分でない誰かを羨むことは別に大して突飛なことではない。 いつ何を手にしても、ないものねだりをしてしまうものだ。 自分が持っていないモノを求めることは別に奇天烈なことではない。 とは言いつつも、それらの感情が心をムズムズさせてくる事には変わらない。 そのもどかしさが気持ち悪い。 誰しもが感じることだろう。 最近改めて言葉について考えている。 まぁ古くからこの種の議論はされていて今それらを自分なりに伝っているのだが、

    • 『正欲』

      Netflixにて朝井リョウ原作の映画「正欲」が配信されていた。 つい最近上映されてたよなと思いつつ、ちょうど1週間前ほど友人が映画を見た感想を話してくれたというのも相まり見てみた。 第一の感想として、原作を読んでみないと朝井リョウのメッセージをちゃんとくみ取れないだろうなと。 映画で原作をちゃんと描写できているのか否かということを判断できない状態でこの作品のメッセージを勝手に考察していくのは個人的に嫌だなと思ったのだ。 あくまで個人的にだ。 それは「正欲」という作品が取り

      • ただただ、漕ぐのだ。

        3/12~17、「チャリ旅2024~茨城県の全44市町村制覇の旅~」。 無事完走したことを機にnoteを書こうと思う。 まだ記憶がほやほやのうちに書いていこうと思ったが、せっかくの機会だ、 最初に過去の3回分をざっくり振り返った後に今回のチャリ旅について書こう。 ということでかなり長丁場となることがここで確定した。 時間のある方、ものすごく物好きな方、いいじまの隠れファンの方以外は今すぐこの記事から離れることをおすすめする。 それではただのいいじまの備忘録を垂れ流していこう

        • 予定調和

          閏年。 4年に一度の暦の上でのつじつま合わせ。 地球やそのほかの惑星、その他諸々。別に我々の都合で動いている訳ではないのに。 いやだからこそなのかはわからないが、せめて我々の一挙手一投足の指針としての暦だけでも、、、、という日。 2/29、 カレンダーをめくってみて気づく人が大半。普段は2/28で2月をおさめている人が閏年を重んじる。 まるでサッカーやラグビーのW杯で盛り上がる渋〇の人たちみたいに。 そんな彼らと同様、僕も今こうしてnoteを書いている。 表象されているもの

          T-falな生活

          熱しやすく冷めやすい。 加えて様々な情景に心を沸かす。 そんな私の生活はあっという間に蒸発してしまうのだろう。 仕事で関わっている小学2年生の子に話の流れで、 私がいくつにみえるか聞いてみた。 「うーん、18歳?」 21世紀最初の赤ちゃんとして爆誕した私はオリンピックレベルで年齢のサバを読めるのか、と感心した。 生まれてこの方童顔であるが故に様々な場所で実年齢より若く見られることがしばしば。 しかし過去には実年齢より上にみられることも。 人は見かけに寄らず。とはあるものの、

          急須をかったよ、

          これはどこの馬の骨かも知らない一般男性が、急須を生活に取り入れてみた という文字の羅列である。 私はいつから年越しの高揚感を纏うことをやめたのだろうか。 親戚との会合のため大みそかは家族で遠出をしていて、出先の旅館の離れのペンションで過ごしていた。 食事の間隔がやけに離れている旅館のコース料理を平らげ、部屋に戻ったのが22時。 ベッドの上で読書に耽ろうと思っていた数分前の私ががっかりすること間違いないレベルの寝落ちを披露した。 気付いたら朝。そんな年越しだった。 遠出から

          急須をかったよ、

          just coward.(2023)

          僕がnoteに記事を書き始めたのが19歳。 そこからもう3年が経ったらしい。 実はその時から書いてきた記事の大半は下書き状態に戻していて、僕以外の人がアーカイブできるのは25か月連続で書いている月一記事たちだけ。 まぁそれらも後から見返してもそんな恥ずかしくないよなと思えるものにしといた。 そんなデジタルタトゥーを見えないようにすることに繊細な僕が当初から続けているのが、大晦日に投稿している、"1年を振り返る長文記事"だ。 (アーカイブはこちら。 この記事で4本目となる。

          just coward.(2023)

          誰にも言えなくて、

          職場の人、友人にも言ってないことなんてそりゃ生きていればたくさん溜まるもんです。 その溜まったものが溢れだしそうな気がして狂ったように緊張してパニクるなんてこともあるあるな日々でございましょう。 だから「誰にも言えないこの気持ちをちゃんとぶつける人に出会いたい!」みたいなニュアンスを存分に散りばめたようなニヒリズムぷんぷんの文章を書く気は毛頭ない。 そんなものを求めているのであれば東京都が提供してくれているマッチングサービスでも利用した方がニーズに適した行動だと思う。 そう

          誰にも言えなくて、

          コピペですみません。

          「君からは知性を感じない」 「君が話すことはChatGPTみたいだ」 こんなことを言われたあの日、 正直その人が僕に対して何を言いたいのかよくわからなかった。 なぜその人が僕に対してそのような印象を持ったのかも。 もっと寄り添ってみると、僕のどのあたりがChatGPT味を醸し出していたのかも。 よくわからなかった。 反省点を挙げてみろと言われたら、挙げれないこともないっちゃない。 まぁ相手の質問に対して、相手の質問の意図を考慮しつつ今まである程度考えてきていた思考パターン

          コピペですみません。

          確かに存在していた時を思い出して、

          直近のことで忙しいからなのか、たった1年半前くらいの出来事すら本当に起こっていたのか不安になるくらい、記憶というものが断片的で驚く。 「いやいや、大袈裟でしょ」 と横槍をディーン元気選手のように入れてくる人もいるだろうが、 大袈裟でもなんでもない。 もちろん今までの記憶がないとかそんなことではないし、別に昔のことを語れと言われたら出来ないこともない。 ただ、保証がないのだ。ただそれだけ。 そんな曖昧かつよくわからない記憶であっても、 いや、曖昧だからこそか。 ふと思い出し

          確かに存在していた時を思い出して、

          storyteller

          私は自分の過去を文章にするのが好きじゃないんですよね。 あ、あと人前で話すのも。 そんな奴がnoteなんかやりやがって。 なんていう気持ちをちっと抑えていただいて、 まぁこいつは何を言いたいのかっていうのを掴んでいただけるとありがたいもんです。 storyteller。 これ簡単に検索してみた。 そしたら、 https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/storyteller ストーリーを作ったり、語ったりす

          不自由な選択が故の儚さと美しさ

          トロッコ問題、囚人のジレンマ、時限爆弾の赤と青のコードどっち切るか問題、今日の夕飯、etc 哲学するにも、アニメを見るにも、自分のお腹を満たすのにも、全て僕の目の前には”選択”がある。 ”今”を含んだ直近のことにしか目がかけれないはずなのに、僕はちゃんと生きていて、どうやらちょいと昔から”僕”という存在はあったらしい。 でもちょっと待て。 嘘だろ。 今この瞬間認識できる”記憶”ってやつをフル動員しても、「なぜ今の僕が出来上がったのか」という問いに納得できる程の答えを見出せな

          不自由な選択が故の儚さと美しさ

          food for thought

          ぼくは特定のブランディングのためにこのnoteを使ってないので、僕の記事っていうのは様々なトピックで溢れているようになっているはず。 その都度僕が書きたいなって思ったことを書くようにしているから。 そんな僕でも、1つだけ儚い欲望をこのnoteのアカウントに載せている。 それはこの記事のタイトル通り。 まぁ考えるっていうのは誰だって生きている中で絶え間なく行っているわけで、こんなよくわからないアカウントの記事なんか見る暇もないくらい忙しい日々を個々人はおくっているわけである

          food for thought

          今日もどこかで生きていて。

          昨日親しい友人と都内の飲み屋街でラーメンを食べた。 彼とは小学校からずっと仲良くて、僕の過疎な友人ネットワークの中ではかなりとびぬけて多くの時間を共有している。 彼はこの時期から内定先の会社でインターンとして働いてる。職場が都内だからたまに連絡が来るのだ。 僕が大体暇なのと、ちょうど僕の仕事等が終わったタイミングで連絡が来るというので最近はよくその流れが多い。 というような友人もいれば、ある一定期間だけ仲良く過ごしていた友人もいる。 そこまで仲が良いわけじゃないけど何度も顔

          今日もどこかで生きていて。

          得意なこと

          僕ね、どうやら得意なことがあるらしいんですね。 自分との距離がはっきりしている人とのコミュニケーションが上手みたいなんです。 どういうことかと言いますと、僕は現在フリーターでして、4つほど仕事を掛け持ちして生活しているのですが、 その1つに不登校支援の仕事があるんです。 どういう仕事かと言いますとね、簡単です。お宅に訪問して一緒にゲームしたり、お喋りしたりを2時間すればいいんです。 そこで信頼関係だったりを築きつつ、登校先の学校の人たちと親御さんと連携しつつ、登校まで支援する

          「怪物」

          せっかくの週末。いつものように引きこもっているのも嫌だなと思い、映画館に行った。 知人がTwitterでレビューしていた、「怪物」。 予告編の映像をかなり前にYouTubeで見かけて気になっていたというのも僕の背中を押した一因でもある。 僕のnoteはいつもオチを考えずフラフラして不時着するというのが定番なので、 今回はちゃんとオチを前もって決めておこうと思う。 この映画を見たほやほやの感想としては、 「”怪物”というラベリングはとても便利なものだなぁ」 というもの。