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愚かしい退屈

退屈は、人生を愚かにします。
過分な言い方かもしれませんが、私は本気でそう思っています。
退屈であると自身で認めてしまうことができれば
まだ改善の余地があって良いのですが、
自身の退屈な生活に、気がつかないことが稀にあります。
嫌な時間の過ごし方だと思います。

気がつかない退屈は、気がつく退屈と違い、
何かをしていたり、誰かと一緒にいたりすることが多いように思います。
脳はほとんど動いていないけれど、手は機械的にでも動いているから…。
楽しくなく、興味も持てない空間にいるけれど、会社の人と一緒だから…。

このように、文章で可視化して客観的にその場面にいる自分を想像すると、
とても退屈で、すぐにでも逃げ出した方がいい瞬間を過ごしていることが
お分かりになろうかと思います。
例えそれが、耐えなければならない、仕方がない退屈だったとしても、
退屈であることに変わりはありませんし、退屈が愚かであることにも、変わりありません。

その時間を自由に使うことができたらば、
あなたは他に何を見ることができたでしょう。
何を聞き、何を感じることができたでしょう。
そしてそれを、誰かに伝えることだって、できたかもしれません。

長いようで短い人生で、何が起こるか分からない人生で、
あなたはあなたの時間を、どのように使ってゆきたいと思いますか。

私はできる限り、自分と、愛する人たちのために使いたいと思います。
この考えは、一見理想的なようで、利己的であろうかと思います。
しかし、そのことの何が悪でしょうか。
誰に咎められましょうか。

人は、自分の成したかったことを成し遂げている人を嫌ってしまうそうです。
元来その習性があるのならば、それは仕方がないものとして、
ならば私はそもそもその嫉妬という退屈な時間すらも
できる限り短くしたいと考えています。

今日も、そんな夢物語を頭の中で描きます。

このように文章を書いている時間は、私にとっては大変充実したものです。
これを読んでくださっているあなた方、この時間は退屈ではありませんでしたか?
拙い文章を長々と読まされて、というか何故か読んでしまって、
大変退屈な時間を過ごされたことと思います。

どうか、そんなあなた方にも、今後は退屈な時間が少なくありますように願って…。

(これはあくまで日記のような感覚で記しているものですが、
それでも皆さまの退屈を、充実に変えられるものになるよう、少しだけ努めたいと思います。)

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