都会は地方の恩恵のうえになりたっている

地方と都会という構図をまた考えさせられる機会になったこの記事。


地方には食べものや水や文化を育んでいる人たちがたくさんいて、その恩恵で都会の暮らしが成り立っていることを理解できない人たちが増えています。

去年も同じようなこと書いてたけど。

あんまり二項対立的な構図は好きくないし、都会に住んだことはないけどマジで奥深い山々が連なる自然から、渋谷みたいなところまで両方ある日本ってすごいって思ってる。

でもほんとに、これだけは本質的に。
地方なくなってったらどうやって食べてけると思ってるの?

どんだけお金持ちで豪遊生活してたって、お腹は減る。ごはんは食べるでしょ。お金って食べれないのよ、知ってた?

2年前の関西豪雨の時。
ひたすら雨が降り続いた。
土砂くずれであっちもこっちも孤立状態。
停電が3日も続いたところも。
ダムで100年に一度のためにつくられた排水口から緊急放水。
あらゆるものがとんでいった。倒れていた。
田畑は大打撃。

自然と近い環境だから被害も直接的。
怒りに近い願いをきいた。

「こんなことがあるから田舎には住みたくない」「もう農業したくない」ということになったらとても嫌だ。都会から「お願いだから野菜作ってください」「お願いだから田舎を守って住み続けてください」と言われるくらいになって然るべきだと思うのに、なんで!?

自然の豊かさと脅威さ。
人間は地球というひとつの自然界システムのなかに生きる一員にすぎない。

水は?
山から谷を流れ川へ⇄水道(その先は?)

食べ物は?
田畑の土から⇄スーパー(その前は?)

熱は?
山の薪⇄コンセント(その先は?)

もとを知っているということはつくれるということ、治し方、対処の仕方も知っているということだ。

これだけ物質的に豊かになってサービスもめちゃくちゃあって。自由で。
でも元を知らないというのは、選択肢がないということ。

治してくれる業者なりがくるまでなにもできないってめちゃくちゃ脆い。

人間って動物としてめちゃめちゃかよわい。

そこを「社会」という仕組みのなかで支えあって生きている。

地方には食べものや水や文化を育んでいる人たちがたくさんいて、その恩恵で都会の暮らしが成り立っていることを理解できない人たちが増えています。

こう言ってくれる大人がいるということが本当に嬉しく思った。

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