nanako mochizawa

地元でゲストハウスを開くべく準備中。目指すは村全体のゲストハウス化。郷の野を良くしてい…

nanako mochizawa

地元でゲストハウスを開くべく準備中。目指すは村全体のゲストハウス化。郷の野を良くしていきたい。@Kyoto 南丹。野良師。『森と里の楽校』/『やぎ地立計画』-野良日和-てしごとの日/『シェアハウス表具屋』-あぜみちファッションショー/『水を旅する研究所』/『実生』-宿づくり中!

マガジン

  • 風景をつくる-野良師

    農は1年の計、森は100年の計、郷は200年の計。 7世代先まで語る風景をつくること。 活かして生きて還し、地に立つ暮らし方を実践する。 心が染み入る原風景をつくる生き方-野良師-

  • 新庄という船に乗って

    わたしの故郷「新庄」 欲しい未来のため地域を動かす奮闘記。

  • 自己紹介

  • 父の背中からまなぶシリーズ

  • 書き溜めたもの

    忘備録として。

最近の記事

  • 固定された記事

移住2世代目。里山で生きたいという話し。

里山で生きるということ。 ただ生活するのではなく、生きる、ということ。 1995年1月。赤子のわたしを抱いて阪神淡路大震災に合い両親は避難としてここに移住してきた。 それから24年。この里山で育ってきて、もっと里山で生きたい、という感覚の話し。 その前に、先日とても有意義なイベントに行った。 そこででてきた話しで、都会的な現代的な仕組みでは「二対問題」が基本だという。 ○○な事柄に対し××を行う。(例えば「12時26分発の電車に乗りたいから12時10分には家を出る」

    • 盆踊りという輪

      夏まつりといえば何を思いおこすだろうか。 提灯の穏やかな灯り。浴衣。 無限かき氷。無限流しそうめん。 走り回る子どもたち。それをうちわ仰ぎながは眺める大人たち。流れる夏の民謡。 子ども向けの出物してくれるおっちゃん。 飲み物配ってくれるおばちゃん…… 地域の夏まつりは小さくも温かく。 私が”この地域に育ててもらった”と 思えている所以の一つなのかもしれない。 今、コロナ禍を終えて。 そうで無くても少子高齢化は進んでいて。地域の子ども会なんかは消滅していっていて。そんな大

      • #0 野良日記

        野良日記なるものを綴っていこうと思います。日々の私の風景をつくる記録。 日々が美しい。美しい風景の中で生きていると思う。 その美しい風景というのは、つまり人間にとって都合の良い環境であって、それは人々の手によって作られているもので。 特に田舎では、自らの力でつくるものとなる。 私はこの風景に囲まれて育ち、この風景の中で次世代を育んでいきたい強く願う。 それはこの地元でという特定の地域ではなく、日本中の里山が同義語である。 森から水が流れて、谷筋を伝い、田んぼに流れて、

        • ないならつくる。

          「あぜみちファッションショー」というイベントを企画しています。 去年はできなかったが、1年越しの今年で3回目。 もともとシェアハウスに住んでたメンバーで、 *新緑の季節っていいよね〜 *お外でイベントしたいね *あぜみちをランウェイにみたてたら最高じゃない!!? そんな雑談ではじまったこの企画。 生命力溢れる新緑の季節は、一年でいちばん世界の祝福感が溢れんばかりに感じれる時季! この新緑を味わいに、みんなに田舎にきてもらうしかないやろ! レッドカーペットならぬ天然のグリ

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          17本

        記事

          コウノトリが飛来してきて

          【欲しい未来をつくる!サポーターにご協力ください!!】 これからの地域の農業を、環境を、変えれるきっかけをつくれるかも!!そんな予兆がしている。 この数年、地元地域に飛来してきているコウノトリ。 特別天然記念物であるコウノトリをある意味きっかけに、今地域の農業、さらには地域づくりの変化を生めるチャンスだと思っている。 コウノトリが定着できる環境づくりをしていこうと地域で動き始めた昨年。 そのひとつとして、地元の農業法人に、巣塔に一番近い田を慣行農法ではなく、農薬をで

          コウノトリが飛来してきて

          立春リトリート

          あまりに満たされると、言葉が出て来なくなるということを知った。 余分なものが無いということは、 より鮮明に色濃く映る。 何もないということは、 全てがあるのだということ。 ちょうど立春明けの、はじまりのタイミング。 玄米菜食、シンプルなごはんと暮らしをつくるリトリートの練習会を友人たちに声をかけて開催した。 好きな人たちと何も余分なもののない、暮らすための空間に身を置き、それぞれを見つめる。 すなわち自分も見つめ返す。 ほんとは ”ただ生きてる” でいいはず。 た

          立春リトリート

          「ひとの居場所をつくる」

          この本を誕生日にもらって読んだ。 とっても共感するところばかりで、あまりにもわたしたちがしようとしていることが書かれているので、その時の気持ちを忘れないように書き留めようと思う。 2年前にわたしのふるさとの10年後を描いたマップをつくった。 今もそも思いはいつも真ん中にあって、全てのことが「風景をつくる」というところに結びついている。 日本ではステージがそもそもないが故にほとんど存在していない「フリーハンドで、枠組みそのものを再設定しながら、ビジョンを描けるプランナー」

          「ひとの居場所をつくる」

          暮らしはこの手でつくる

          地域変革期のまさに最中に生きている。 地域のことって地球のこと。 地球のことSDGsとか言いってる人にあなたの住むまちは?ってひたすら問いたい。(そのまえの家族って話になると長くなるので割愛) 今日は地元振興会のまちづくり戦略部の会議をした。 地域の現状の忘備録をシリーズ化していこうと思う。 振興会ってみんな分かるのだろうか。 田舎特有の組織なのかもしれない。 わたしの地域は旧小学校校区で6つの区から形成されている。 約1000人300世帯旧村の自治組織。 ◼︎移住促

          暮らしはこの手でつくる

          『てとて』はじめました。

          『てとて』-tetote- 手と手を繋いでいきませんか。 この時代にローカルで生きる強みはリアルな繋がりだと感じます。 友人の友人ぐらいにまで手を差し伸ばせれる関係性をうめたなら。 ちょっと子ども預かって欲しい。 ちょっと裏の木払いたいねん。 ちょっと軽トラ出動して欲しい。 単発バイト募集! 里親探してます! いらないものあるよ、もらって欲しいものある〜 そんなタイミングとご縁が結ぶ、手助けコミュニティ。 南丹市界隈でのお助け掲示板。 むかし近所同士でお醤油を貸借りしてた村人

          『てとて』はじめました。

          もう一周すれば

          ここのとことタイムラインを流れる言葉にもやもやが募る。 女性らしさ、フェミニズム、セクハラ問題、進路、教育格差、両親との関係、、 なんでこんなにみんな苦しいのだろう。なんでこんな社会なんだろう。 苦悩する彼女たちのその言葉たちに心は揺さぶられるけれど、 それを感じたことないわたしが共感するとは当事者からしたら言ってほしくないのだろうとも思う。 思えばわたしはそんなふうな壁にぶつかったことがないのだ。 なぜなんだろうと思った。 どうしてわたしの周りはこんなにも平和で

          もう一周すれば

          新庄という船に乗って

          この春、コロナ渦の真っ最中に「新庄という船に乗って」は完成した。 わたしが25年間育ったこの場所が、「新庄」という地域だ。 お天道様が注ぐところは一面田んぼ 周囲を山々に囲まれ、京都や大阪まで流れる川の中流域で 四季の巡りの営みのなかで脈々と暮らしてきた。 特別な世界遺産や、全国に誇れるようなダイナミックな 自然が広がっているわけでもない。 「なにもない」 と言われるからこそ、ここの日常、営みに触れられるような。 よくある観光冊子のように全体を均一に紹介するでは魅

          新庄という船に乗って

          父というひと

          わたしの父はかっこいい。 ま〜じでかっこいい。世界一だ。 そしてすごい。 本業は石の彫刻家。 でも大工、木こり、溶接、鍛冶屋、、なんでも屋だ。 でもお茶目だし、よく笑うし楽しい人で、 なにより母がいちばんな人。 先日、食あたりをしたのか仕事場から吐き気を催し、 家に到着した時には顔面蒼白だった。 いちはやく、きづいてくれる父。 母はこういう時意外とドライ。 父がしてくれてるからというのもあるかもしれない。 ととりあえずぶっ倒れたわたしにおかゆなら食べれる? と

          父というひと

          織り合わさった光のゆらめき

          -夜が明ける、人々よ、見よ。幾千万回繰り返されてきた夜が、また明ける- 自然の理を超えた大きな群れを、 災ひ起こさず治め得る知恵など、 いまだ人は持たず。 哀しきかな。 小さき群れの貧しき平和。 大きな群れの諍ひ多き豊かさ。 自然の摂理。理(ことわり) 産まれる。育まれる。食べる、寝る、愛する、子孫を残す。 生きるとは。 ただシンプルにここに在る、ということ。 この世に祝賀を受け生きる。 しとしとと森に雨が降り注ぐ。命のめぐり 小さな虫は、小さなヒナは、 小さきいのちが

          織り合わさった光のゆらめき

          親愛なる、将来のご近所さん候補さんたちへ。

          将来のご近所さん候補になりませんか? そんな口説きをしていきたい親愛なるひとたちが全国にいる。 将来の選択肢が限りなく広がってきているこの時代。 住むところ、働きかた、暮らしかた、限りなく自由に選択できるようになってきているのではないかと感じている。 「地方移住」も。 世代を同じくして、地球環境のこと、地域のこと、自然に寄り添った暮らしかた、真髄を知っている、大切にしたいこと、志を共にする、価値観の共通する仲間たちがどんどん増えている。 自然の巡りを実感できる

          親愛なる、将来のご近所さん候補さんたちへ。

          夏の風

          田畑を耕し、草を刈っていると 地表で生きる虫たちがせかせかと 地中で生きる小さきものたちも急な光に 驚き慌ててでてくる。 気づかず鍬をふるってしまう、 そのものたちを圧倒的な力で傷つけてしまう。 鳥たちがどこからか寄ってくる。 そのものたちを生きる糧として食す。 一匹が飛び去る、また違うのがやってくる。 わたしたちには見えていないそのものたちを頬張り立ち去る。 傷つけてごめんね、って思いながらも 一匹一匹にかまってたら仕事はすすまない。 それでなくてももう命は長くなかたろ

          都会は地方の恩恵のうえになりたっている

          地方と都会という構図をまた考えさせられる機会になったこの記事。 地方には食べものや水や文化を育んでいる人たちがたくさんいて、その恩恵で都会の暮らしが成り立っていることを理解できない人たちが増えています。 去年も同じようなこと書いてたけど。 あんまり二項対立的な構図は好きくないし、都会に住んだことはないけどマジで奥深い山々が連なる自然から、渋谷みたいなところまで両方ある日本ってすごいって思ってる。 でもほんとに、これだけは本質的に。 地方なくなってったらどうやって食べて

          都会は地方の恩恵のうえになりたっている