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#0 野良日記

野良日記なるものを綴っていこうと思います。日々の私の風景をつくる記録。

日々が美しい。美しい風景の中で生きていると思う。
その美しい風景というのは、つまり人間にとって都合の良い環境であって、それは人々の手によって作られているもので。
特に田舎では、自らの力でつくるものとなる。

私はこの風景に囲まれて育ち、この風景の中で次世代を育んでいきたい強く願う。

それはこの地元でという特定の地域ではなく、日本中の里山が同義語である。

森から水が流れて、谷筋を伝い、田んぼに流れて、お米を育てる。お野菜を育てる。
川を脈々と流れ、大海原へ流れつき、雲になり、森へ、里へ、戻ってくる。

風景は、そこに人がいる営みそのもの。
そしてそれは先代の人たちが脈々と作り上げてきたもの。

それを今、私は目の前の土に触れ、その営みが、耐えぬよう、汗を流す。

自然がないと私たちは生きていけないから。


現代では、大抵のことがお金で支払われる仕組みになったが、この目の前の風景は、自然はお金では買えないと感じる。
お金で買ったとしても、その風景を維持するために働く人がいなければその美しさは保たれない。
現代人は、そんなことに、気づかず傲慢になんでもお金で解決しようとしている気がする。

でも、少なくとも10年後、20年後にみんな気づくのではないだろうか。
そこに人がいないとその土地は巡っていかないと言うことを。
その美しさは、保たれないということを。

そうなる前に、私は少しでも多くの、同世代に野をつくって働く楽しさや、その営みの美しさを伝えていきたいと思う。

いろいろな問題が、食の中心ですあるお米づくりをすることで解消されるような気がする。
家族に一反とか田んぼを耕作する法律とかできたら面白いのにな。
自らの手を動かし、つくり、育て、ある時は苦悩し、自然界のパワーに圧倒され、その中で恵みを分けて貰えていることを体感する。


人は、人のできることしかできないけれど、せめても、自分の生ぐらい、自分で責任を持ちたい。この手でつくっていたい。

現代は、その範囲を大きく超えて仕組みが作られているからそれは無理が出る。

その仕組みの中でいながらも、根底の自分の生きることぐらい自分でできるようになりたい。
水、食べ物、生活環境、、

そう思うと、自分の生を他人の責任の上で成り立たせようとする人間は、動物としての生をもはや失っているのではないか。そんな風にも思えてくる。

とにかく私は自分が生きること位、自分が美しいと思える生き方をしたいと思う。
そして今を生きる最低限の責任として、
この里の風景を後世に紡いでいきたい。

そんな日々を綴っていく。

#野良日記

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