もう一周すれば
ここのとことタイムラインを流れる言葉にもやもやが募る。
女性らしさ、フェミニズム、セクハラ問題、進路、教育格差、両親との関係、、
なんでこんなにみんな苦しいのだろう。なんでこんな社会なんだろう。
苦悩する彼女たちのその言葉たちに心は揺さぶられるけれど、
それを感じたことないわたしが共感するとは当事者からしたら言ってほしくないのだろうとも思う。
思えばわたしはそんなふうな壁にぶつかったことがないのだ。
なぜなんだろうと思った。
どうしてわたしの周りはこんなにも平和で、社会に充満しているそんな差別に出会わずに済んだのだろう。
いろんな社会からの縛りに苦しまされるあまりに多くの同世代の声を聞くたびに。
ひとつの答えは母だ。
母は幼少期をアメリカで過ごしている。
当時のアメリカを思えばアジア人だけだというだけでたくさんの差別を受けたに違いないし、実際卵を投げつけられたというはなしは聞いたことがある。
「女性らしく」「女の子らしく」そんな言葉をわたしは
意識したことさえほぼないに等しい。
性別や社会の立ち位置とか関係なく、ひとりの人間として立っている。
母からはそんな気配がする。
もともと芸術家同士だった両親のスタイルはどちらかというと
母が外に仕事に行き、父が家のなかや外や家わまりを担うことが多かった。
小さい頃からごはんも、洗濯も、おふろ掃除も、、どちらもがしていた。
今は、お風呂が薪になったのでもっぱら風呂まわりは父のしごとになっている。
そんな家庭環境だったのはどうやら珍しいらしいと気づいたのは中学生の頃ドラマで一般の家庭という像をみたり、(小学校の頃はテレビみさせてもらえなかった)友人の家に遊びに行ったりして感じたことだ。
小学校高学年頃からたった11人のクラスの中で他所から来たという家庭はわたしだけであった、無意識に感じていたよそ者感。
「みんなが◯◯だから〜〜がほしい」「みんなが◯◯って言ってるから」
は、母には見事に聞き入れてもらえなかった。
「じゃあ、あなたはどうなの」
何度この会話でケンカしただろう。
「かあちゃんにはわからへんのや!」って。
今思えばこれはものすごくありがたいことだ。
「あなたが幸せなことがなにより幸せだから」って伝えてくれた。
なにをするにも基本応援してくれたし、信頼してくれた。
もちろんいろいろ意見がぶつかることもあるけど、
今でもいちばんの相談役だ。
世間体とか、男社会に屈することを恐れず、おじさんばかりの村社会に自分の意見を貫き通す人だった。
時には、ちょっとしんぼうしてって危うく思うほどだったけど。
実際、わたしは今育った地元の地域の振興会で広報の仕事もさせてもらっている。
若干20代のわたしが60オーバーのおじさんたちの組織のなかでストレスフリーに、むしろやりたいこと自由にいろいろさせてもらえる環境はそんな母の姿勢が築いてくれたものなのかもしれない。
そんなことを感じて、どうしてこういうふうにならないんだろうと思った。
要因はからみあって根深く、容易に変えられないもののように感じる。
でもあと一周したら?
そんな悲しみや、理不尽や、苦悩を、抱えて。
自分の子どもにはそうさせたくないと親になれたら次の子どもたちは?
そう、まずは家庭環境だ。いろんな社会問題の根っこ。
根深い価値観はそんなに簡単に変わるものじゃないのかもしれない。
お母さんが専業主婦で家のことなんでもやってくれて、
お父さんは毎日仕事にいく。
人はたいてい経験したことでしか喋れないと思う。
でもそんないろんな社会の変化のなかで苦悩を抱えた世代が親になるターンがやってきている。
まずパートナーのことを想うこと。
目の前の相手のことを想像してみること。
笑うこと。
どうか世の女性たちがみんな心から笑って、
そのために男性たちは頑張ってほしい。
男性からしたら理不尽に聞こえるかもしれないけど
きっとそれがいちばんだと思うんです。
母が心から笑っていることが家庭にとっていちばん
平和で楽しいことなんじゃないかって感じる。
決して父にはできないポジション。
ってわたしは思う。
そんな笑顔が絶えない家庭は幸せだ。
奥さんを笑わせてあげることに全力になってみてほしい。
お母さんを笑わせてあげることに全力になってみてほしい。
そして感謝を伝えて。
きっと私たちの子どもたちの子どもたちの世代が親になる時には
なにか変われるんじゃないのかな。
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